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『幻滅』 [読書日記]


このブログではあまり政治的なコメントはあまりしないようにしているのだけれど、我が家で妻や多少学校で学んで知恵をつけてきた子ども達ですら「それでいいのか」と憤慨しているのが国立競技場建設問題である。ネット上ではいろいろな形での直接間接の批判が繰り広げられているが、中でも衝撃的だったのは2004年アテネ五輪の会場跡地の惨状を伝える写真の数々だった。EU加盟が実現してギリシャがガンガン国債発行してインフラ整備を進めた結果がこれだということで、今のギリシャの債務危機問題のきっかけを作ったのは五輪だとの論調だ。ついでに言うと、2008年北京五輪の会場の写真も流布している。野球場やビーチバレー会場、そしてカヌー競技の会場等。

東京五輪開催後はこうなると言うつもりは必ずしもない。過去の開催地の惨状を見ていると、元々その国であまり盛んとはいえない種目の競技会場は、結局その後利用されないということが教訓として言える。幸いにして今の日本は弱いけどどの種目も一応競技者はいるので、五輪開催後に全く使用されないということはないとは思う。国立競技場だって、主だった競技では今までだって使用されてきたわけだし、コンサート会場として、或いは場合によってはだけどジャイアンツかスワローズの本拠地として野球の試合に使われることだってあるかもしれない。

それでも、今後少子化は一気に進む筈で、どの種目も競技者人口は減っていく。だから、どんな競技会場だって東京ならちゃんとその後も使い続けるとは必ずしも保証できないし、新国立競技場に至っては、毎年の維持費が馬鹿にならなくて目いっぱい使っても赤字になる予想と聞けば、そんなものをなんで作るんだろうかと首を傾げざるを得ない。別に新国立競技場など建設しなくても、埼玉スタジアムや味スタ、日産スタジアム等、FIFAワールドカップ用に整備された既存の施設をうまく活用すればいいじゃないのという気もするのだが。

余談が長くなった。新国立競技場建設問題だけではなく、最近メディアが盛んに取り上げている安全保障関連法案の問題も含めて、時々思うのは、こういうことを外国の知日派と言われる人々はどのように捉えているのだろうかということである。取り分け、長きにわたって日本ウォッチャーをされていたような人々が、今の日本をどう見ているんだろうかというのは興味あるところだ。今の日本の政治経済は米国を指向しているから、むしろ米国人でない日本ウォッチャーの言ってることを知りたい。

そんな折に出会ったのが、英国人社会学者のロナルド・ドーアの近著『幻滅』というタイトルの本だ。

幻滅 〔外国人社会学者が見た戦後日本70年〕

幻滅 〔外国人社会学者が見た戦後日本70年〕

  • 作者: ロナルド・ドーア
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2014/11/22
  • メディア: 単行本
内容紹介
「親日家」から「嫌日家」へ!? 依然としてどこよりも暮らしやすい国、しかし近隣諸国と軋轢を増す現在の政治、政策には違和感しか感じない国、日本。戦後まもなく来日、70年間の日本の変化をくまなく見てきた社会学者ドーア氏が、「親日家」から「嫌日家」へ!?
僕はそれほどドーアの著作を読んできたわけではない。ただ、1980年代に大学で経済学を勉強していた頃、よく講師の先生が紹介しておられたのが彼が1970年に書いた『江戸時代の教育』という1冊で、この著書自体は僕は読んだ記憶がないが、多分それで「ロナルド・ドーア」という名前が頭にインプットされて、『イギリスの工場・日本の工場』(1987年)、『不思議な国 日本』(1994年)、『日本型資本主義と市場主義の衝突―日・独対アングロサクソン』(2001年)あたりは読んだ記憶がある。(曖昧な言い方だけど、当時読んだ本をいちいち記録に取ってなかったのと、1990年代以前の蔵書は実家に置いてあって今すぐ確認できないので、このような言い方にした。9

従って、日本ウォッチャーとしてはかなり長い人で、本書を読んでみたら既に終戦直後に初めて日本を訪れている。日本ウォッチャー歴70年にもなるわけで、この方がロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで教鞭をとられていたということの意義はかなり大きかったと思う。今はイタリアに住んでおられるらしい。従って、本書を書かれるにあたって情報源としてかなりの頻度でWikipediaを利用されている。

それはともかく、今や90歳の大台を迎えられたドーア氏としては、日本の変化に対して我慢がならなかったのだろう。『幻滅』というタイトル自体が如実に示している通りで、自分自身の価値体系はほとんど変わっていないのに、日本の方がどんどん変化していってしまった、その間の自分の心の遍歴をこの際まとめておこうということでペンを取られたのだろう。

本書を書くにあたり、著者が意識したのは次の2点だという(p. 10)。

第1に、なるべく客観的に、時代時代で、日本社会のメディアの常識、インテリにおける支配的なムードはどう変わって来たかという、思想史と言うより、日本のムードの変遷を描きたい。

第2に、全く主観的に、自分の「日本」という存在・国・イメージに対する感情の移り変わりの歴史を描く。大変な日本びいきだった若い頃の自分から、最近、日本政府ばかりでなく、体制派というような官僚、メディア、実業家、学者等のエリート層の人たちにも、ほとんど違和感しか感じないようになった経過を辿ってみる。

序論がかなりの部分を物語っている。例えば、歴代の首相のうち、著者が好感を持ち、その政策目標を同情的に是としたは三木武夫首相とその内閣が最後で、少し譲っても鈴木善幸内閣ぐらいまでだという。その上で、それ以降今に至るまでの日本の状況を次のようにまとめている。
私の対日観を変えたのは、その後の憂うべき右傾化である。その原因は、中曽根や小泉など、我の強い政治家個人の世界観の影響もあっただろうが、12年前に書いた『日本型資本主義と至上主義の衝突』(東洋経済新報社)で述べたように、米国のビジネス・スクールや経済学大学院で教育された日本の「洗脳世代」が、館長や企業や政党で少しずつ昇級して、影響を増して、新自由主義的アメリカのモデルに沿うべく、「構造改革」というインチキなスローガンの下で、日本を作りかえようとしてきたことが大きな原因だったと思う。それと、日本の自衛隊の成長、シビリアン・コントロールの希薄化、ペンタゴンとの親密さの深化という、軍国主義化の傾向と、それも、鈴木善幸時代(彼に言わせれば、本人の意に反して)、ワシントンの首脳会談で、はじめて日米関係を正式に「同盟」と呼んだ時点が転換点となった。(p.12)

著者のいう幻滅の三大要因とは、「こうした政治経済についての常識の変化、共生・妥協・和を是とする社会から利益追求の競争社会への移行、そして平和主義から自国存在感の主張(勃興中国の抑制を目標とする防衛費増加への推移)」(同上)だという。

非米国人日本ウォッチャーが抱く危惧としてはごく常識的なところだと思うが、こうやって親日家が嫌日家に宗旨替えするのは簡単だが、そうした著者に共感を持ちつつも、親日家外国人にこうして見捨てられても日本人であること自体変えようがない僕らはどうなってしまうんだろうかと心が痛む。こんな政治や社会システムを選んでしまったのは他ならぬ僕ら自身の選択なのだから、とやかく言えないが。

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