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『南朝全史』 [読書日記]

南朝全史-大覚寺統から後南朝まで (講談社選書メチエ(334))

南朝全史-大覚寺統から後南朝まで (講談社選書メチエ(334))

  • 作者: 森 茂暁
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/06/11
  • メディア: 単行本
内容紹介
謎多き南朝。その実像は、政治・文化的実体をともなった本格政権だった。劣勢を余儀なくされながら、吉野山中になぜ長きにわたり存続できたのか。あらゆる史料を博捜し、「もう1つの朝廷」200年の全過程を明らかにする。

今月はなぜか昔の趣味だった南北朝時代の歴史オタクのハートに火が付き、南朝ものについて2冊既に紹介してきたが、南朝研究の第一人者である森先生の著書をもう1つ紹介し、ひと区切りとしたいと思う。(ひょっとしたら別の切り口の南北朝ものを紹介する可能性はありますが…)

森先生の著書の中でも、後醍醐天皇以前の大覚寺統とか、後南朝とかをより詳述した本は既に読んで一部はこのブログでも紹介しているので、今回のような南朝の起源ともいえる大覚寺統と持明院統の分裂以前、鎌倉中期にまで遡り、下流は後南朝というところまでをカバーする、いわば南朝の通史ともいえる1冊は、復習のような位置づけでかなり飛ばし読みをした。1つ1つの事件はあまり深掘りされていないので、本書はあくまでも通史と割り切り、各々の出来事をもっと詳しく知りたかったら、その部分だけを切り取った別の森先生の著書を読んでみるといい。森先生の南朝研究のエントリーポイントと位置づけてもいい本だろう。

おそらくこの時代のことを少しでもかじったことがある人なら、北朝よりも南朝の方にシンパシーを抱いている人は多いのではと想像する。どんどん劣勢に追いやられる中、時折北朝方の武家がお家争いや武将同士の対立などに巻き込まれて南の朝廷はいいように利用され、目的達成したらポイ捨てされ、南朝の悲願ともいえる京都奪還を本気で考える武将などほとんどいなかったのではないかと思う。そういう都合のいい存在ではあるものの、最後は利用価値が乏しくなって忘れ去られていく姿はどこか悲しい、滅びの美学のようなものを感じてしまう。

でも、今回南朝の歴史を通して眺め直してみて思ったのは、南朝といっても僕が興味を持っていたのは朝廷そのものではなく、楠木党や伊勢の北畠一族の歴史であったということだ。大覚寺統と持明院統の対立関係とか、南北統一以降の後南朝のこととかにはあまり興味がなくて、正直言ってしまうとあまり面白くはなかった。南北統一以降、楠木党も北畠一族も室町幕府との関係をある程度修復し、とりわけ伊勢の北畠家は北畠満雅以降将軍家と非常に親しい関係を維持していったため、当然ながら後南朝の時代になると両家の話はこの本ではあまり出てこない。そういった点では物足りなさがある1冊だった。

ただ、吉野の朝廷の姿を知るという意味では、この本も結構面白いかもしれない。南朝の天皇が連発していた綸旨がどのような内容なのか、国内のどの地方に住むどのような武士に綸旨は発出されたのか、直筆なのか側近が天皇のお言葉を書き取っていたのか、必ずしも国内統治を考える上では地理上のアドバンテージがない吉野や賀名生でどうやって統治をしてきたのか、どういう行政機構を持っていたのか、等々の疑問が湧いてくるが、そうした南朝の日常に関する記述はそれなりに面白かった。

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