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『江戸しぐさの正体』 [読書日記]

江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)

江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)

  • 作者: 原田 実
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/08/26
  • メディア: 新書
内容紹介
「江戸しぐさ」とは、現実逃避から生まれた架空の伝統である。本書は、「江戸しぐさ」を徹底的に検証したものだ。「江戸しぐさ」は、そのネーミングとは裏腹に、1980年代に芝三光という反骨の知識人によって生み出されたものである。そのため、そこで述べられるマナーは、実際の江戸時代の風俗からかけ離れたものとなっている。芝の没後に繰り広げられた越川禮子を中心とする普及活動、桐山勝の助力による「NPO法人設立」を経て、現在では教育現場で道徳教育の教材として用いられるまでになってしまった。しかし、「江戸しぐさ」は偽史であり、オカルトであり、現実逃避の産物として生み出されたものである。我々は、偽りを子供たちに教えないためにも、「江戸しぐさ」の正体を見極めねばならないのだ。

2004年に公共広告機構(AC)が「江戸しぐさ」を広めるテレビ広告を初めて流した頃、僕は日本にはいた筈なのでCMを見たこともあったのかもしれないが、全然覚えていない。こんなCMだったらしい。


そもそも「江戸しぐさ」なるものが巷に流布していたということ自体を知らなかったので、3月にジョギングしながら聞いていたTBSラジオ『荻上チキ・セッション22』で「江戸しぐさ」が取り上げられ、本書の著者の原田実氏がスタジオに登場して「江戸しぐさ」のいかがわしさについて理路整然と指摘したのを聴き、そんなのがよくもまあ流布したものだなと思ったし、なんで歴史的な確認作業もせずに道徳の教科書で採用されるようなことまで起きてしまったのか、不思議でならなかった。しかも、この番組から日も経たないうちに、今度は4月6日付の東京新聞が、「ニセの歴史か 「江戸しぐさ」 史料の裏付けなし」と題した記事を取り上げた。曰く、「「江戸しぐさ」なるものが、小学校の道徳教育や自治体の市民講座でもてはやされている。江戸時代の商人たちが人間関係を円滑にするために培ってきた生活マナーらしいが、その存在を裏付ける史料は存在しておらず、本当の江戸とのつながりは定かではない。歴史研究家は「ニセの歴史」などと指弾する。発信源を探ってみると、その名もずばり、NPO法人「江戸しぐさ」にたどり着く。国や自治体はこの主張に乗っかっていた。」

なんだかものすごく胡散臭いものを感じた。別に「江戸しぐさ」なんて言葉を付けなくても、その多くは現代社会に住む我々のマナーとしてあってもおかしくないものばかりである。中には相矛盾するような解釈まで存在するようなしぐさもある。結局、マナーとして当たり前のものに「江戸しぐさ」といったブランド名を付けることで、そこに何らかの利権が発生する。そういうカネのにおいを感じる。

これは面白そうな本だと思い、順番待ちを経て図書館で借りて読んでみることにした。聞き慣れない版元だが、どうも講談社の関連会社らしい。講談社現代新書のようなアカデミックさは感じないが、さしずめ祥伝社NONブックスやカッパブックスのようなイメージの編集がされている新書シリーズだ。

従って、実は読んでみるとどうしても既存資料から実証ができずに想像で書かれている記述も結構多い。ただ、それでも著者は相当綿密な取材を行った上で本書を書いているし、状況証拠的に言っても「江戸しぐさ」はクロだと思える。現代社会の、特にベビーブーム世代の人々の儲け重視の風潮や古い伝統文化風習を歯牙にもかけないふるまいに辟易して、「昔は良かった」と嘆く昭和ひと桁世代の芝三光の愚痴話に、背びれ尾ひれが付き、そこに別の思惑を持つ越川麗子なる同世代の人物がつながり、それに桐山勝のプロデュースまで付いてどんどん話が大きくなり、辻褄が合わないところは後で実証困難な嘘で塗り固められ、挙句の果てに今のような、一見理路整然としているけれど深く考えるとなんだか不気味なモンスターになってしまったということだったらしい。

しかも、そういうものの増殖を許してしまった環境要因として、歴史研究者はそういった巷の与太話の立証などやろうとも思わないし、象牙の塔に閉じこもっていてそんなトンデモな風習を現代に普及しようという輩の存在自体を知らないだろうから、専門家による実証を免れてきたということもある。そんな専門家、研究者たちの関心領域の狭間にうまく繁殖する場所を見つけ、ここまでモンスターに成長してしまったことは不幸だ。しかも、芝の愚痴話に根拠を置くこのしぐさも、その芝の言う「昔」というのが、どうも終戦直後にGHQで働いていた芝の、米軍士官との交流の中で学んだ欧米人の紳士的マナーにどうも起源があるらしいと聞くと、全然「江戸」じゃないじゃないかと腹も立ってくる。

一見当たり前のように思えることも、短期間のうちに急速に普及するようなものにはいったんは疑ってみるような姿勢を取ることが必要かもしれない。何かしらの裏があるかもしれないし、それで甘い汁を吸っている輩もいるかもしれない。

本書では、「江戸しぐさ」の胡散臭さの指摘から大きく外れ、昔一世を風靡したけれども実は歴史のねつ造だったというトンデモ話を幾つか事例として紹介している。その1つが昔の津軽地方に存在したと言われる別起源の日本人にまつわる怪文書である。『東日流外三郡誌』をはじめとした和田家文書は、1997年には偽造であるとの結論が出ている。これも嘘で嘘を塗り固め続けたなれの果てのような事件だが、その擁護派の1人である佐治芳彦が1980年に徳間書店から出した本を、真剣な眼差しで熟読している老紳士をたまたま乗り合わせた電車の車内で見かけた。

謎の東日流外三郡誌―日本は二つの国だった! (1980年)

謎の東日流外三郡誌―日本は二つの国だった! (1980年)

  • 作者: 佐治 芳彦
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 1980/02
  • メディア: -

徳間書店というところがいかにもな感じがする。「その文書は捏造ですよ」と言ってあげたい衝動に駆られたが、あまりに真剣に読まれていたのでやめておいた。信じ込んでしまうことの怖さを感じた。

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