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『一人っ子同盟』 [重松清]

一人っ子同盟

一人っ子同盟

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/09/22
  • メディア: 単行本
内容紹介
あの時のぼくたちは、「奇跡」を信じて待つことができたんだ――。両親がいて、子どもは二人。それが家族の「ふつう」だったあの頃。一人っ子で鍵っ子だったぼくとハム子は、仲良しというわけではないけれども、困ったときには助け合い、確かに、一緒に生きていたんだ。昭和40年代の団地で生きる小学校六年生の少年と少女。それぞれの抱える事情に、まっすぐ悩んでいた卒業までの日々の記憶。

なんだか久しぶりの重松作品だな。作家には、ネタの仕込みの時期と本として世に作品を出す時期というのが交互に訪れるということなのかもしれない。本書も雑誌に連載されていた小説を単行本化したものだ。

想定読者は誰なのか、不思議な作品である。小学6年生の主人公の1年間を描いているという点では、想定されるのは小学校高学年なのかもしれないが、舞台は1970年代の、伝統的な市街地の郊外に団地が出来始めた頃だし、使用されている漢字も小学生が読むにしては難しい。うちの末っ子も来年は小6なので、こういう作品にはチャレンジさせたい気持ちもやまやまだけど、舞台が舞台だけに今どきの小学生にはピンとこないところもありそうだ。

当時は2人兄弟、3人兄弟が普通で、一人っ子というのは確かに珍しかった。元々その地域に住んでいた世帯は特に家族数も多かった時代で、その郊外に建ちはじめていた団地の入居者に、核家族化が見られ始めた時期だろう。ただ、それでも一世帯に子供が1人というのはまだまだ珍しく、いたとしても、兄弟を事故や病気で亡くしたか、家庭の事情で早い時期に母子家庭になってしまったか、或いは逆に両親がともに亡くなって孤児になってしまったか、要するに「わけあり」の子だったというパターンは多かったと思う。

そして、当時はプライバシー侵害に対する意識も低かったから、クラス名簿に住所や家族構成まで詳述されているのが当たり前だった。お陰でクラスメートの家に電話をかけるのは当たり前にできたし、クラスメートの両親の名前まで僕らは知っていたから、遊びに行っても友達の親には普通に接することができた。ただ、逆に住所だけ見て親はその友達のバックグランドを判断することもできたわけで、誰々と付き合うのは要注意だとか釘を刺されたこともないことはない。住んでいる場所で、昔からの住民なのか、新参者なのかが判断できる。古くからの市街地の住民グループと、最近団地に越してきたような新参住民グループとの間には、葛藤もあったに違いない。そういうものも、この作品からは読み取れる。

作品で面白かったのは、人間関係が三角形で構成できているところは比較的安定していて構成する人の心も安らぐ部分はあるが、三角形がきれいに出来上がっていない人間関係は、やっぱりどことなく落ち着かないものであるということ。典型的なのはおそらく著者が「一人っ子同盟」という言葉でつなぎ合わせたかった、主人公ノブとハム子とオサムの関係。これによって、オサムはものを盗む癖を抑え込むことができた。また、ノブとオサムについてはそれぞれの家庭の中での三角形が別に存在している。これと対照的だったのはハム子のケースで、元々母子家庭だったところに、父子2人が入り込んできて新たに出来上がった四角形が、あまりうまく機能しなかった。(ノブの家庭に元々存在していた四角形が崩れたのは事故でお兄ちゃんが亡くなったという不幸があったからだが、作品の中で描かれた1年間のうちに、家族の関係性が再構築されて、安定的な三角形になっていったという印象だ。)

なんだか、社会ネットワーク理論の事例を見せられているようだった。

ここで作品のネタばらしをしてしまうつもりはさらさらないが、重松作品につて再三指摘しているカタルシスのなさはこの作品でも相変わらずだ。日常というものはこうやって流れていくのだろうが、だらだらしている感じが全体を通じて漂っており、エンディングもイマイチ盛り上がらない中で終わってしまった感じがする。それが重松作品の良さでもあるのだが。それにしても、作品の主題が「一人っ子同盟」になっているのに、ノブとハム子の小学校卒業を描いたエンディングの中で、「同盟」解散についてはひと言も言及されなかったのはかなり意外だった。

時折、大人になったノブが現在の目線から当時の自分を振り返るメタ分析が盛り込まれているのだが、これはもうちょっと多くしても良かったかも。解散した同盟はもう全く再会することはないのだろうか、当時の自分の見たり聞いたり、考えたりしたことが、今の自分にどうつながっているのか、今の自分はどんな状況なのか、そうしたことがもっと書かれていると、作品の印象も違ったものになっていたかもしれない。

最後にひと言だけつけ加えておくと、我が子供達が通った小学校のクラスメートの顔ぶれを見ていると、結構2人兄弟、3人兄弟等、兄弟姉妹の数が多い子が結構多いという印象を持っている。勿論、1970年代と比べたら一人っ子の割合も増えていることは間違いない。偶発的な一人っ子が多かった当時と比べて、今の一人っ子は両親がそれを選択した結果なのだろうと思うが。その一方で、子供のいない世帯も増えたと思うし、そもそも結婚自体していない単身世帯もそれ以上に増えている。従って、1970年代が伝統住宅地と新興住宅地の住民間の葛藤であったのに対し、今は子供のいる世帯とそうでない世帯との間での葛藤になっているか、或いは住民間のつながりが希薄化して、そもそもが集団的行動自体が難しくなってきた時代なのかなと思う。

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