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『英語は「インド式」で学べ』 [英語一期一会]

英語は「インド式」で学べ!

英語は「インド式」で学べ!

  • 作者: 安田 正
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2013/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容(「BOOK」データベースより)
「インド式英語学習法」は、英語が苦手な日本人にピッタリ!1時間後に英語が話しはじめられる!「世界標準の英語」だから全世界で通じる!「単語」「文法」「発音」など、新しい暗記はナシ!「3つの動詞」だけで簡単に英文が作れる!
この本のことは、3月に吉祥寺の大きな書店に行った時に気付いていた。立ち読みしている時間も十分なかったので、そのうち読もうと市立図書館で予約し、30人近い順番待ちを気長に待ち続けた。ようやく僕の順番が来たので、さっそく読み始めた。後ろにも順番待ちの人がいるだろうと思ったので、急いで読まなきゃという焦りはあったものの、結論から言うと朝風呂に1時間ほど浸かっている間に全部読み切れた。

正直、腹が立った。1500円払って買わなかったというのがせめてもの救いではあるが、何度も同じことを繰り返し書いて最初の118ページを費やし、ようやく肝心の英語の話に入ったと思ったら、エッセンスは序文で既に語ってしまっているので、基本的に序文の論点を繰り返しているに過ぎず、各項目の深掘りすらしていない。読み終わって何かを学んだという感覚は味わえないし、何が「インド式」なのか全くよくわからない。インドを馬鹿にしているのか。

著者によると、インド人の英語人口が1990年代~2000年代の約20年間で10倍に増えており、その理由は、「インドでの英語学習の方法」が、まさに「世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ)」の考え方に、ドンピシャリだった」からだそうだ。しかも、本人が正直に語っているが、これは裏を取ったわけじゃなく、著者の単なる想像でしかない。

この、読み始めて20ページで登場した著者の推論にはがっかり。僕自身は、インドで英語人口が多いのは、各州で公用語が違うので、インド全体の統一性を維持するためには別の「共通語」が必要だったからだと思っている。政府の公文書には昔から英語が使われている。ただ、この辺のことは著者はわかっていたらしい。著者の論点は、むしろそうしたインドの基底にある言語政策の環境ではなく、1990年代以降のインド国内での英語人口の急増の理由が英語学習法にあるということらしい。にも関わらず、著者がインドの英語教育について直接的にリサーチした形跡はない。

著者と同じレベルの推論でよければ、僕の見解は以下の通りだ。1990年代初頭に何か大きな変化があったとすれば、それはインド自体の経済自由化である。外国企業も入ってくるようになり、特定の地域では雇用機会も増えた。例えば、バンガロールがIT産業で発展していくとすると、自ずとそこに人は集まってくる。同じカルナタカ州内であっても、バンガロールで職を得ようとすれば、英語が理解できるにこしたことはないということになる。もう1つの可能性は、州をまたぐ人の移動。僕がデリーで会った南部出身者の多くは、90年代初頭にデリーに出てきて、就職機会を得ている。州をまたぐから、当然英語が必要になるケースも多い。南部ではそれ以前から英語ができる人は多かったかもしれないが、そうした人の多くが中東へ出稼ぎに行っており、そもそも90年代の統計で捕捉されていなかった可能性もある。

インドの英語教育の中身についてちゃんとした裏取りもせず、インドの英語学習法が世界標準の英語の考え方にピッタリだったと断言するのは、ちょっとどうかと思う。

著者の言う世界標準の英語の4つの特徴は、➀発音は気にしない、②イディオム(慣用表現)は使わない、③新しい単語を覚える必要なし、④英語が得意でない人でも使えるで、これに対してインド式英語学習法の3つの特徴(発音は気にしない、「インド式英語」を使うための工夫をする、英語は道具なので、使わない単語は覚えない)が見事にフィットしているということになる。確かに、発音を気にしないという点ではそうかもしれないが、それ以外はそうともいえない。

イディオム(慣用表現)を使わないという点については、僕もインドに駐在していて「こんな言い方があるんだ」と感心させられたケースが結構多いし、我々が日本での英語の勉強で学ぶイディオム(英熟語)とはニュアンスは違うが、インドならではという慣用表現というのはかなり多いし、冠婚葬祭や誕生日等のカードのメッセージのやり取りなどでは、皆すごく気の利いた表現を使える。

新しい単語を覚える必要なしという点については、まあリキシャ―引きや町の商売人の話す英語なら使用する英単語は限られるという点ではその通りかもしれないが、仕事で使っていた単語では、「え、そんな言い方があるの?」と驚かされる単語が普通に使われていることが多かった。小難しい単語を使って自分の知性をアピールし、「お前にこの言い方がわかるか」とチャレンジされているのかとすら感じたものだ。最も象徴的なのは英字新聞の英語だ。新聞を読んでいて感じたのは、僕らが全く知らない英単語がほぼ慣用的に彼らにとっては使われていたということだ。僕は米国にも駐在した経験があるので両国の英字紙での比較で言うが、「honcho」という、どうも「班長」という日本語起源の言葉、米国では使われているのを見たことないが、インドでは新聞のヘッドラインで度々見かけた。僕はインドで暮らして、英語の語彙の数が相当に増えたと思う。

僕は1990年代半ばに他の南アジアの国にも住んだことがあり、そこでもヒンディー映画を何本も観たし、2007年から駐在したインドでも、何度も映画館に足を運んで同じくヒンディー映画を観た。この、約10年を隔てた2時点間の比較で言うと、90年代のヒンディー映画では、俳優のセリフがほとんどヒンディー語だったのに対し、2000年代のヒンディー映画では、俳優がヒンディー語でしゃべっているセリフの中に、何の脈絡もなくいきなり英語が挿入されるシーンが激増したように感じた。1995年の『Karan Arjun』では、悪役の1人の決まり文句に「What a joke!」というのがあったので、例外もないわけではないが、これが2000年代後半になると、登場人物のほとんどが英語を使うようになっていた。ヒンディー語のセリフの中に、突然「There's no doubt about it.」なんてのが入ってくるのだ。

南アジアでは、1990年代から衛星放送が普及し、英語のチャンネルが多かった。ラジオも同様だ。90年代に現地で暮らした経験で言えば、日本と比べても普段から英語に接する機会が多かった筈で、それが英語人口の増大に拍車をかけた根底にあったのではないかと思う。

この程度のことで「インド式」と断言している著者の知識に鼻白むばかりだが、読み始めて120ページも進んでようやく踏み込んだ本論の部分についても、インド式かどうかは別にして、本当にそうかなと首を傾げるところはあった。ここでの著者の論点も明解かつ非常にシンプルで、シンプル過ぎるためにこの程度の内容で英会話スクールを運営していて生徒は集まるのだろうかと逆に心配になった。

1時間で読み切ってしまった直後に、この本の英語学習法の有効性については即断できない。この程度の中身で著者が推奨するような「1日20分×3ヵ月」の勉強が続けられるとは思えない。この程度のことで3ヵ月の継続学習を強いられるのなら、むしろ1日5つでいいから新しい英語表現を覚え、ショートセンテンスの音読を繰り返す法が絶対効果がある。

この本を評価する人は、先ず著者の推奨する継続学習を3ヵ月実践した上で、本当に効果が認められればそう紹介してほしい。

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