SSブログ

『わが盲想』 [読書日記]

わが盲想 (一般書)

わが盲想 (一般書)

  • 作者: モハメド・オマル・アブディン
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2013/05/16
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
ひょんなことから19歳で来日。言葉も文化も初めて尽くしのなか、さまざまなピンチに見舞われながらも、日本語、点字、鍼灸の専門用語、オヤジギャグを使いこなすまでになった著者。パソコンの音声読み上げソフトを駆使して自ら綴った、爆笑、ときどきホロリの異文化体験手記。

分科会の開催が2ヶ月に1回程度のスローペースになってきてから、僕は地元の国際交流協会のお手伝いがなかなかできないでいる。一部のシニア会員さんに強いご推薦をいただいて、職場からの移動で会議出席が遅れた僕は分科会の副委員長をやらされているが、正直なところ、去年の4月以来、協会の活動に対してまともな貢献をしておらず、心苦しさを感じていた。地域の国際交流事業は、平日日中であっても実施されている。都心に職場があって平日の事業にはほとんど参加できない僕としては、今のような事業の建付けで貢献できることなど元々限られている。しかも一昔前と比べると国際交流事業に熱心に関わってくれる地元の学生会員がいないし、分科会の開催頻度も毎月開催から隔月開催に変更され、自ずと活動は停滞を余儀されている。

現状では僕の国際交流協会の事業への貢献は、週末に開催される「国際理解講座」に限られている。しかも、昔は多い時には年4回はやっていた講座も、今は年2回開催するのにも四苦八苦している。僕が協会のお手伝いを始めた9年ほど前は、分科会の委員の方々の中にも海外駐在経験のあるシニアの方々が多くおられて、下っ端の僕が黙っていてもいろいろな企画がすぐに出てきた。そういう方々がひと声かけるだけで、結構有名な方が講師で来て下さったので、振り付けがどうのとか、集客がどうのとかであまり苦労する必要がなかったのだ。

それから9年も経過すると、鬼籍に入られた委員もいらっしゃったりして、企画立案が難航することが多くなった。下っ端だった僕が経験を積んでいろいろ弾出しするようにはなったが、あまり僕の趣味が出過ぎるのも良くないし、僕の基本コンセプトは、名前だけで集客力のある有名な講師を外部から招聘するのではなく、地元でコツコツやってこられた人材にスポットを当てて、ご近所つながりで集客を図ろうとするところにある。ここ数年間のうちに僕が挙げた企画案のほとんどが、市内ないし市周辺に住んでおられて、最近まで海外生活をされて戻ってこられた日本人ボランティアとか、スタディツアーのメンバーによる帰国報告会だったりするし、他の方の企画であっても僕が積極的に推してきたのは、長く海外を渡り歩いてきて今は市内にある某大学に留学されている外国人学生や、大使館員だったりする。そして求めるのは、講座一回限りのお付き合いではなく、その後も何らかの形で協会の活動に参加してもらうことなのである。

僕はそういう考えに基づいて企画を提案しているが、これまた一部のシニアの委員の中には、昔から協会が得意としてきた、巨艦大砲主義―――集客力のある有名知識人を講師として招聘して、国際情勢の分析にような難しい話をしてもらい、それを知的なシニア市民はありがたく拝聴する―――というのに強いこだわりがあって、僕のような地元主義に対しても単なる「思い付き」だと一刀両断される。僕は巨艦大砲主義を否定はしない。ただ、僕らの企画提案をけなすだけではなく、具体的にこの人を招聘してこんな話をしてもらう、講師への出演交渉は誰がやり、集客にはこんな工夫をする、といった、具体的な企画提案をして欲しい。それがなかなかできないのもシニアの委員だったりする。

いつまでも待っていてもなかなかシニアの委員で妙案を出してこられる方がいらっしゃらない中、僕もまた痺れを切らし始めている。次回の分科会は11月中旬にあるが、それまでに腹案を幾つか考えておきたい。特に、先日ドラッカーの『非営利組織の経営』を読んで「リーダーというのは後天的に育ってくるものだ」という言葉に勇気付けられている今、いっそのことなら今年度分だけでなく、来年度分も含めて大小5つぐらいの企画を考え、立て続けに仕掛けてやろうかと考えるようになった。

そんな中、僕は近所の大学院で勉強する1人のスーダン人のことを知った。

9月半ばの東京新聞で、東京外国語大学に留学中の院生が、日本での生活をポプラ社のHPで書き綴ってきたものが本にまとまったと紹介されていた。この院生はスーダン人で、しかも視覚障害者。1998年1月に鍼灸師育成プログラムで日本に留学し、以来福井県立盲学校で点字、鍼灸学を、筑波技術短期大学で情報処理を、東京外国語大学で日本学と学んで、さらには大学院で紛争予防・平和構築について勉強されている。日本滞在は15年間にも及ぶ。しかも、今は僕らの町の近くにお住まいだ。

こういう方に国際理解講座では市民向けのお話をしてもらえないかなと思った。だから、この方にお話をお願いするならどんな切り口でやってもらえるか、それを考えるために、アブディンさんの著書を読んでみることにしたのである。

切り口の1つ目はやはり南北紛争当時のスーダンのお話である。2005年の南北和平合意後の様子であれば、他のチャンネルからでも知ることができるが、紛争真っ只中の紛争国の様子は、そこにいた人にしかお話いただけないと思う。紛争時と和平後のスーダンの庶民の生活についてお話しいただいたらいいのではないかと考えた。

加えて、うちの次男の通っている小学校の同級生のお父さんで、これまでスーダンの首都ハルツームで駐在されていた方が間もなく帰国されるという情報も耳にした。だったら、アブディンさんに講演をやってもらうというだけではなく、その方との対談形式でもいいかなぁと漠然と思った。

切り口の2つ目は、外国人障害者の眼(?)から見た日本社会という視点である。本書を読むと、アブディンさんは晴眼者とほとんど変わらない生活を送り、晴眼者とほとんど変わらない考え方をしながら暮らしてこられたというのはわかる。その普通ぶりは驚くほどだ。ブラインドサッカーにも目覚め、ブラインドサッカーは間違いなくアブディンさんの留学生活を豊かなものにしているのは間違いない。でも、細かく見ていくと、僕たちがなかなか気付かない、視覚障害者ならではの苦労も垣間見える。

視覚障害があると、地震の感じ方が晴眼者以上に怖いと感じるようだし、教科書が点字に訳されているといっても、コンピューター情報処理の用語だとか数式だとか図表だとかが点字でどのようにイメージされるのかというのもよくわからない。外国人居住者が日本社会を見ると、例えば災害時の情報ギャップがどうこうというのはあるというのはよく耳にするが、これに視覚や聴覚の障害などが加わると、どのような点で災害時に不便や不自由を感じるのか、多文化共生の観点からでもお話を聞いてみたい。

ブラインドサッカーという切り口もあり得ると思う。アブディンさん、日本のブラインドサッカー関係の有志からのボール寄贈を受けて、母国スーダンでもサッカー教室を開いたりしておられる。スーダンの障害者支援を進めるNGOを東京外大や筑波大の学生の支援も受けて立ち上げ、活動をされているのである。身近なところで行なわれている海外支援活動を市民に紹介し、その市民の善意のリソースが地域の中でそうした活動に流れる仕組みを仲介するのも国際交流事業の役割だと思っている。そういうアブディンさんの活動についてもお話いただきたい。

日本語検定1級を取られていて、これまでの日本での生活で交流した人々から相当なオヤジギャグを仕込まれているそうで、文章がメチャしっかり書かれていて、しかも面白い。ウィットにも富んでいる。観客の笑いと共感を得られるお話をして下さる方だと思う。

さて、2005年の南北和平合意以降の復興については、つい最近、別の本が出ている。こちらはハルツームを拠点にして南部スーダン、ダルフール地方、東部地域など、スーダン国内各地で起こった紛争の終結後に国際社会が進めた復興支援・平和構築活動に現地で関わった日本人駐在員の方が書かれている。


アフリカ紛争国スーダンの復興にかける 復興支援1500日の記録

アフリカ紛争国スーダンの復興にかける 復興支援1500日の記録

  • 作者: 宍戸 健一
  • 出版社/メーカー: 佐伯印刷
  • 発売日: 2013/10/15
  • メディア: 単行本


nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0