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『路(ルウ)』 [吉田修一]

路(ルウ)

路(ルウ)

  • 作者: 吉田 修一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/11/21
  • メディア: 単行本
内容紹介
1999年、台湾に日本の新幹線が走ることになり、入社4年目の商社員、多田春香は現地への出向が決まった。春香には忘れられない思い出があった。台湾を旅した学生時代、よく知らないまま一日を一緒に過ごした青年がいた。連絡先をなくし、それ以後ずっと会えないままだった……。台湾と日本の仕事のやり方の違いに翻弄される日本人商社員、車輛工場の建設をグアバ畑の中から眺めていた台湾人学生、台湾で生まれ育ち終戦後に日本に帰ってきた日本人老人、そして日本に留学し建築士として日本で働く台湾人青年。それぞれをめぐる深いドラマがあり、それらが台湾新幹線の着工から開業までの大きなプロジェクトに絡んでいきます。政治では問題を抱えていても、日本と台湾の間にしっかりと育まれた個人の絆を、台湾の風土とともに色鮮やかに描く。
今から26年前の1987年夏、僕は某政権与党が主催した台湾学生との交流ツアーで、2週間台湾を訪れたことがある。南は高雄・墾丁まで連れて行ってもらったし、東海岸も花蓮・太魯閣まで足を運んだ。日本の各大学に募集があり、当時大学院修士1年目だった僕も、大学院の研究で台湾経済を扱いたいならいい機会だから一度台湾を見て来いという指導教官の勧めで応募し、参加することが決まったものだ。だから、高雄では輸出加工区見学というのもあったし、台北でも貿易センタービル見学や某大手銀行の董事長(頭取)との懇談会というのもあった。だが、最も印象に残っているのは、同世代の学生との交流だった。

ホームステイさせてもらった学生とか、日台学生交流で台湾側で参加していた淡江大学、東呉大学などの学生とは、主催者のセットした枠組みの中で親交を深めていったのだが、2週間の滞在期間中に訪問先でたまたまそこにいた若者と会話し、それが暫しの文通に発展するという経験もした。太魯閣ではたまたま青少年活動のボランティアでそこに来ていた女子学生と英語で会話して仲良くなり、台北市内でも輔仁大学の女子大生に一目惚れして、片言の中国語で彼女の住所を聞き出して、その後中国語で手紙を書いたこともあった。(そのために帰国直後の一時期中国語を勉強したのだ。)後者の方はあえなく玉砕したが、前者の方はしばらく文通が続いたのであった。

何が言いたいかというと、偶然の出会いというのが台湾には付きものなのかもしれない、そういう風土なのかもしれないということだ。だから、本書の主人公の1人である春香が、大学時代に台湾を旅行し、雨宿りの軒先で台湾人学生エリックと知り合うというシチュエーション、僕はほとんど違和感なく受け入れることができた。そんなのご都合主義だろうといつもなら鼻で笑うであろう僕も、こと台湾ということであれば、日本と台湾の関係を考えれば意外にあり得るかもと思えてしまうのである。

この作品は、台湾新幹線規格受注争いから実際の新幹線の開通まで、7年以上にわたる計画の進展を軸に、5人の主人公の人間模様を絡め、最初は別々のところで生活していた5人が、やがて新幹線建設で繋がっていくという話だ。吉田作品にはよく見られる手法で、最初は全然無関係だった登場人物が、やがて1つの出来事で繋がるというのは、過去に読んだ『悪人』や『ひなた』、『東京湾景』でも大なり小なり見られた。

台湾に土地勘があったお陰で、『悪人』なんかと違い、地名が出てきても特段違和感なく読むことができた。これだけ長い時間軸を持ち、登場人物も多い作品なので、自ずとページ数は多くなるし、すごいクライマックスがあるわけでもない。450ページ近い作品を読みきるのは多少時間もかかったが、イッキ読みできない分、その場面場面を味わって読むことができる。

ただ、ちょっと読んでていたたまれなくなる点も。登場してくる会社勤めの日本人男性が過労でどんどん心身を削られていくというパターンに陥る登場人物が3人もいたことである。春香の付き合っていた東京のホテルマンの彼氏は、過労でどんどん痩せ、しまい鬱になって長期療養を迫られる。そして「運命の人」と最初は言っていた春香との関係も自ら断ってしまう。春香の同僚も、「自分がいなければ仕事が回らない」と思いつめ、過労の末単純ミスを繰り返すようになり、上司から強制休養を言い渡される(そこから復活するのであるが)。そしてその上司も、新幹線建設の工程の遅れから来るプレッシャーで、相当に追い詰められるところに至る。この上司の場合は春香のひと言で救われるのであるが。ただ、こうして振り返ると、台湾人の働き手と日本人の働き手の間にある見事な対称を否応なく突きつけられるのである。

僕の場合は、こうして26年前に築いた台湾の若者との繋がりを、その後数年もしないうちに全て失ってしまった。また、その時一緒に台湾に渡った日本側の学生のうち、今も交流があるのは1人だけとなってしまった。あれから四半世紀以上が経って、僕もオジサンになってしまったし、あの当時はめちゃ可愛いと思った台湾の彼女たちも、今やオバサンになっておられるのであろう。あの当時に既にSNSが存在していたなら、交流を長続きさせるのはもっと容易だったかもしれない。そう思うと、今の若者たちは恵まれている。

あ~あ、なんか久しぶりに台湾に行ってみたくなっちゃったよ。


タグ:台湾
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