先輩の生き方を見て我を振り返る [旅行]
ただいま米国バージニア州に滞在して剣道の稽古にいそしんでおります。
勤続20周年の特別休暇をGWにくっつけて、計12日間のお休みを取った。行き先は米国。10年前に3年間お世話になった道場に里帰りし、先生方に稽古をつけていただいている。
当時小学校低学年だったちびっ子剣士は高校生や大学生になり、中には全米クラスの大会で好成績を収めている子もいる。僕と同じ頃に剣道をはじめたK君は、当時稽古場にも時々連れてきていたガールフレンドと見事ゴールインし、今や二児の父となっている。そして、バスケットボール用に作られた堅いフローリングの小学校体育館を使って週1回細々と行なわれていた稽古は、今や床張りの見事な道場施設で30人以上が参加して週4回も行なわれるようになっている。指導されていた先生方は、上段の構えや二刀流を使われていたが、今ではオーソドックスな中段の構えをとられている。
お休みを取って剣道の稽古にいそしむだけなら、地元に居座るだけでも週5回は稽古ができる。ただ、折角の長期休暇なので、思い切って環境を変えてみたかった。こちらに来てから5日が経過し、その間に4回稽古に参加したが、こちらでは面の基本打ちに相当な時間を割き、その上で打ち込み稽古やかかり稽古が続けられる。いずれも基本技が強調される。これだけ基本を意識させられるのは10年ぶりだ。それに、こちらでは四段でもそれなりに高段者だから、自分の技が周囲の人々にどのように見られるのかを意識する。
それでいて2時間近くにわたる稽古なのだから、普段60分弱しか稽古していないオジサンにとっては、30秒ほどの打ち込みやかかり稽古はかなりきつい。時として地元の60分弱の稽古でもついていくのに苦労する僕は、こちらでは毎回地獄のようで、しまいの方は自分が高段者だという意識すらなくなる。
3月下旬に実にしょぼい試合を地元でやってしまった僕にとっては、基本を見つめ直すいい機会になっている。
それだけではない。久々の訪問ということで、先生方にご自宅に招いていただいて、バーベキューをご馳走になったり、アフタヌーン・ティーをご馳走になったりしているが、そこで驚かされるのは、ご自宅に剣道のトレーニングを行なう専用の部屋があることだ。割れた竹刀の竹を組み合わせて何本も新しい竹刀をこしらえたり、木刀も何種類も用意されていたりして、そこにフォームを確認するための鏡だとか、面と胴を装着した練習台人形が作られていたりする。こんなのが自宅にあったら、普段の稽古だけでは修練を積むことが難しい突きや逆胴の稽古もできそうだ。
ただ、それはないものねだりというもの。うさぎ小屋のような日本の家屋で、そんな部屋をこしらえることは100%不可能である。むしろ、感銘を受けたのはそこで先生方がなさっている稽古の中味であった。
僕が米国駐在していた頃、同じ職場で働いておられて、今もそこで働いておられる日本人の先生は、そこで朝500本素振りを行ない、腕立て伏せを欠かせないのだという。しかも、打突に冴えを出すために木刀での素振りもなさっている。この冴えのお陰で打ち落としができるようになり、試合で面の相打ちになっても負けずに一本取れるようになってきたとおっしゃる。海堂尊の『ひかりの剣』で、東城大学医学部剣道部の主将だった、のちの「ジェネラル・ルージュ」速水晃一が、顧問の高階講師から言われてひたすらやらされたのが真剣による素振りで、結果一刀流の極意である面打ち落とし面を修得したことになっている。僕はこの作品を読んで結構まゆつばだと思っていたけれど、身近なところでその効能を実証した人がいると、本当はそういうものなのかもしれないと認めざるを得ない。
そう、専用のトレーニングルームなどなくても、この先生方が日々行なわれている修練は、僕でもやろうと思えばできることなのだ。それをやっていない僕が、普段の地稽古の中でいろいろ工夫してみたところで、成長できる余地などたかが知れている。いや、成長どころか好不調のサイクルでしかないのにそれで一喜一憂しているに過ぎない。
基本に忠実に、しかも愚直に基本技を究めていくこと―――。
これが今回の米国武者修行で学べたことなのではないかと思う。折角米国まで来たのだからいろいろな人と地稽古できたらとも最初は望んでいたのだが、先生方からは、「あなたも四段なのだから四段の技をしっかり磨け」と叱咤激励されているのではないかと思うようになった。最初はこの機会に新しい技でも修得できたらと期待していたが、結局のところ基本技こそが「新しい技」だったのだ。
それを学べただけでも大きな収穫があった旅である。
勤続20周年の特別休暇をGWにくっつけて、計12日間のお休みを取った。行き先は米国。10年前に3年間お世話になった道場に里帰りし、先生方に稽古をつけていただいている。
当時小学校低学年だったちびっ子剣士は高校生や大学生になり、中には全米クラスの大会で好成績を収めている子もいる。僕と同じ頃に剣道をはじめたK君は、当時稽古場にも時々連れてきていたガールフレンドと見事ゴールインし、今や二児の父となっている。そして、バスケットボール用に作られた堅いフローリングの小学校体育館を使って週1回細々と行なわれていた稽古は、今や床張りの見事な道場施設で30人以上が参加して週4回も行なわれるようになっている。指導されていた先生方は、上段の構えや二刀流を使われていたが、今ではオーソドックスな中段の構えをとられている。
お休みを取って剣道の稽古にいそしむだけなら、地元に居座るだけでも週5回は稽古ができる。ただ、折角の長期休暇なので、思い切って環境を変えてみたかった。こちらに来てから5日が経過し、その間に4回稽古に参加したが、こちらでは面の基本打ちに相当な時間を割き、その上で打ち込み稽古やかかり稽古が続けられる。いずれも基本技が強調される。これだけ基本を意識させられるのは10年ぶりだ。それに、こちらでは四段でもそれなりに高段者だから、自分の技が周囲の人々にどのように見られるのかを意識する。
それでいて2時間近くにわたる稽古なのだから、普段60分弱しか稽古していないオジサンにとっては、30秒ほどの打ち込みやかかり稽古はかなりきつい。時として地元の60分弱の稽古でもついていくのに苦労する僕は、こちらでは毎回地獄のようで、しまいの方は自分が高段者だという意識すらなくなる。
3月下旬に実にしょぼい試合を地元でやってしまった僕にとっては、基本を見つめ直すいい機会になっている。
それだけではない。久々の訪問ということで、先生方にご自宅に招いていただいて、バーベキューをご馳走になったり、アフタヌーン・ティーをご馳走になったりしているが、そこで驚かされるのは、ご自宅に剣道のトレーニングを行なう専用の部屋があることだ。割れた竹刀の竹を組み合わせて何本も新しい竹刀をこしらえたり、木刀も何種類も用意されていたりして、そこにフォームを確認するための鏡だとか、面と胴を装着した練習台人形が作られていたりする。こんなのが自宅にあったら、普段の稽古だけでは修練を積むことが難しい突きや逆胴の稽古もできそうだ。
ただ、それはないものねだりというもの。うさぎ小屋のような日本の家屋で、そんな部屋をこしらえることは100%不可能である。むしろ、感銘を受けたのはそこで先生方がなさっている稽古の中味であった。
僕が米国駐在していた頃、同じ職場で働いておられて、今もそこで働いておられる日本人の先生は、そこで朝500本素振りを行ない、腕立て伏せを欠かせないのだという。しかも、打突に冴えを出すために木刀での素振りもなさっている。この冴えのお陰で打ち落としができるようになり、試合で面の相打ちになっても負けずに一本取れるようになってきたとおっしゃる。海堂尊の『ひかりの剣』で、東城大学医学部剣道部の主将だった、のちの「ジェネラル・ルージュ」速水晃一が、顧問の高階講師から言われてひたすらやらされたのが真剣による素振りで、結果一刀流の極意である面打ち落とし面を修得したことになっている。僕はこの作品を読んで結構まゆつばだと思っていたけれど、身近なところでその効能を実証した人がいると、本当はそういうものなのかもしれないと認めざるを得ない。
そう、専用のトレーニングルームなどなくても、この先生方が日々行なわれている修練は、僕でもやろうと思えばできることなのだ。それをやっていない僕が、普段の地稽古の中でいろいろ工夫してみたところで、成長できる余地などたかが知れている。いや、成長どころか好不調のサイクルでしかないのにそれで一喜一憂しているに過ぎない。
基本に忠実に、しかも愚直に基本技を究めていくこと―――。
これが今回の米国武者修行で学べたことなのではないかと思う。折角米国まで来たのだからいろいろな人と地稽古できたらとも最初は望んでいたのだが、先生方からは、「あなたも四段なのだから四段の技をしっかり磨け」と叱咤激励されているのではないかと思うようになった。最初はこの機会に新しい技でも修得できたらと期待していたが、結局のところ基本技こそが「新しい技」だったのだ。
それを学べただけでも大きな収穫があった旅である。
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