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週報(11/26-12/2) [備忘録]

週報のあり方を考えてしまう
日曜日(12月2日)までを取り上げた週報を、4日も経過してから掲載するのはかなり気が引ける。ソネットのメンテナンス作業があったり、僕自身が残業やら宴会やらが続いたりして、更新したい時にその作業ができなかったのが原因だ。それだけでなく、週報のまとめ書きは、思い出す作業も大変だし、長ったらしいので読むのも大変だ。こんなやり方でいいのかなと疑問に思えてきた。

日記のような形で毎日書くのもつらいし、それをはじめようにも既に4日も遡らなければならない状況だから、あまりやりたくない。今はまとめ書きしているからまだよいが、記憶が鮮明な時に小出しで書くと、多分分量は増えてしまうだろうし、プライバシーを詳らかにしてしまうようで気分も良くない。

結局今の形で進めるのが賢明なのかもしれない。但し、なるべくシンプルに記述するのに努めたい。

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11月26日(月)、東京
先週の週報の冒頭でも触れた通り、この日は病欠。ほぼ1日中、ふとんの中で過ごした。両肩から首の血行が非常に悪く、それが頭痛を誘発していたので、肩から首にかけて温感湿布薬を貼りまくり、レンジで温めた枕を敷いて頭を乗せて寝た。いちばんよかったのはこのところ不足気味だった睡眠をたっぷり取ったことだろう。

11月27日(火)、東京
休み明けで出勤してみると、いろいろ仕事が溜まっていた。メールというのは便利な機能だ。相手が休んでいても、仕事だけはメールで依頼できるからだ。社内メールでそれをやっているケースも見かけた。こっちが休んでいるのは知ってるんだから、自分で処理してくれてもいいのにと恨み節の1つも言いたくなる。

11月28日(水)、東京
病み上がりなのでどこまでやれるか不安だったが、この日は会社の剣道部の稽古に出た。昔、「稽古やってひと汗かけば風邪は治る」と先生からよく言われたが、確かにその通りで、僕のリードで相当思い切った稽古をやったところ、かなり体が温まって楽になった気がした。稽古の後は恒例の「反省会」。この日飛び入りで参加して下さった先生もいらっしゃったので、酒の席も盛り上がり、帰宅したのは午前零時少し前だった。

11月29日(木)、東京
仕事の関係で、1990年代半ばにネパールで仕事されていたプロジェクトの関係者の方々と王子神谷のネパール料理店で飲んだ。プロジェクトの関係者は2年に1回ぐらいの頻度でこうして会っておられるそうだ。この日も僕を合わせて11人で集まった。僕は今抱えている仕事の関係で、このプロジェクトの関係者に一斉に説明して事前にご理解を得ておく必要があった。幾つか宿題はもらったが、概ね好感をもって受け入れていただけたのではないかと思う。21時30分過ぎにはお開きとなったものの、王子神谷から自宅最寄り駅までは少し距離があり、雨の中妻にピックアップしてもらった時には22時40分になっていた。

11月30日(金)、東京
この日を完了目標にしていた作業があったので、それに集中。午後はこの日に上げるとライターさんから言われていた出版書籍のリライト原稿がいつ送られてくるのかと待ち続けたが、結局19時を回っても送付されてくる気配がまったくなかった。作業が週末にずれ込むなら自宅に送ってくれというメールをライターさんに送信し、職場を後にした。

待っている間、週明け予定の職場の自主勉強会での発表用レジメの作成作業を少しだけ進めた。発表対象となった論文は、この1週間かけてコツコツ読み進めてあったが、細切れで読んでいたので効率が悪く、全体で何が書いてあったのかがなかなか把握できず困っていた。この日は朝出勤前にタリーズでラテを飲みながら、報告書全体のoverview(概観)の章から僕の発表の対象となっている章の要約を読み直し、さらに担当章の結論部分を読み直して、取りあえずは何が書かれているのか全体像を掴んでおいた。それをレジメに落とし込んでおく作業だけ、この日のうちに済ませておいた。あとは週末、時間を見つけてどこかでやろうと考えたのだが…。

12月1日(土)、東京
妻が朝から仕事を入れていたので、洗濯や食器洗いなど、普段なら妻がやってくれている家事を僕が行なって午前中は過ごした。昼過ぎからは家を出て、職場の有志のランニングクラブが出場する駅伝に参加するため、皇居(桜田門)の会場に向かった。昼過ぎに一時降った雨はレース開始前に上がったが、北風が強くて体感温度は3、4度しかないようなコンディションだった。第三走者だった僕も、なんとか走りきることはできたが、タイムは目標だった25分台には届かず、前回6月よりも20秒ほど縮まった程度に過ぎなかった。

走り終えてタスキを繋ぐと、僕はすぐに会場を後にし、地元の道場に向かった。この日は道場杯ということで子供の試合が行なわれる。前週公式戦初勝利を挙げた我が子には密かに期待して、試合開始前に道場に到着したが、くじ引きの結果、小1~3の子供の中で最も試合で強い優勝候補と1回戦で当たり、注文通りの出ばな小手2本であえなく敗退してしまった。観戦していた四段のオヤジとしては、みえみえの小手狙いの相手の術中にはまるのには忸怩たるものがあり、特訓でもやって秘策を授けたい衝動にかられた。

それはともかく、子供の部が終わって、次は大人の部の稽古。駅伝走った直後の体での稽古には躊躇もしたが、「やってかないのか」と先生からギロっと睨まれ、結局着替えることに。よく体が動いたものだ。稽古の後は、先生の七段審査合格祝賀会。小学生時代から道場に通っていた生え抜きの先生が初めて七段合格したということで、大いに盛り上がった。帰宅は23時を回っていた。すぐに就寝した。

12月2日(日)、東京
朝5時起床。翌日の職場勉強会の準備でレジメ作成の作業に着手したが、子供が起きてくるともう仕事にならなかった。そこに中央自動車道・笹子トンネルの天井崩落事故の一報。続報が気になって朝は何も手につかなかった。
他人事ではない。我が家では毎回帰省の際には中央道を使っており、笹子トンネルは必ず通らなければならない。それに、長野・岐阜県境の恵那山トンネルも同じ構造だと聞くと、正直全長8km以上あって通過に10分近くかかる恵那山トンネルは怖くてとても通れない。今ですら恵那山トンネルに入るには相当な覚悟が必要で、その前に阿智や恵那峡のサービスエリアで一息入れ、心と体を整えるのを儀式としているくらいだ。今度の帰省はどうしようか、どんなルートを使えばいいのか、いろいろ考えはじめている。高度成長期に建設されたインフラは、既にかなり老朽化が進んでいる筈である。今後こんな事故が増えるのではないかと考えると、かなり恐ろしいものがある。

この日は12時に新宿で待合せ、インド駐在時代に仕事でお世話になった日本人スタッフYさんの東南アジア某国への赴任の歓送会を開いた。場所は代々木駅前のインド料理店。Yさんにお世話になったボランティアOBも加わり、4人でインドの思い出話に花を咲かせた。お店には15時まで居座り、それから直帰。朝方晴れていた空は夕方には曇り空に変わり、寒さも増してきた。また頭痛がひどくなってきたので、ワイシャツのアイロンがけなど翌週の準備を済ませ、早々に就寝した。

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うなぎ

中央道、笹子トンネルの天井崩落事故。
詳細な原因は、まだ究明されていないようだが、老朽化などは理由にならない。
老朽化で人命を奪うようなトンネルを作ってはならない。
設計・施工ミスであり、その責任を免れることはできない。
by うなぎ (2012-12-06 20:11) 

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