週報(11/12-11/18) [備忘録]
集中講義、無事終わる
10月13日から始まり、足かけ6週にわたって京都某私大で行なった15コマ集中講義が、今週末で無事に終了した。去年ほどの負担感はなかったものの、振り返ってみると週末はまるまる家を空けていたこともあり、ゆっくり休めたという実感があまりない。5回の京都行きで、平日の過ごし方もかなりタイトになった。「遊び」の時間がまったく無くなり、3時起床も相当徹底されるようになってきた。毎朝家を出るのは6時30分頃になった。それでも週1回は道場での稽古にも顔を出すよう努めたが、徐々に調子が落ちてきているのが実感としてわかる。このブログも、中1日ペースが中2日、中3日と更新の間隔が開くことが時々あった。それだけ余裕がなかったということでもある。
登録受講者数が5人というのは昨年度と同じ。でも構成がまったく違う。今年は本来このレベルから講義をスタートしたいと思っていた理想のレベルから始められたし、学生の側からの発言もけっこう活発だったので、やっていてとても楽しかった。僕が講義するような授業の形式を1日3コマ連続してやるのはしんどかったので、文献研究を去年より多めにして、各学生が2回は発表の順番が回って来るようにした。(去年は中国人留学生が多かったので、1回がせいぜいだった。)お陰で熟読したいと思っていた2冊目の文献もかなり読み込むことが個人的にもできたので、僕にとっても非常によい勉強機会だった。
来年も引き受けるかどうかは白紙。現在の配属先にいてこその講義機会のオファーだったと思うので、来年は確実に異動などで今の職場にはいないであろう僕が、この講師を受ける可能性は相当小さいだろう。それに、僕自身の博士論文のこともある。常日頃から「研究以外、余計なことは一切断れ」と論文指導教官に釘を刺されている身としては、それなりに負担もかかる講師の仕事を週末のエキストラで受けるのは難しい。
京都での集中講義はこうして終了したが、行事が詰まっている週末があと2回続く。何も考えずに1日完全休養に充てられる日は、まだまだ先の話のようだ。
11月12日(月)、東京
この日いちばんの出来事は上司と人事面接。僕の上司は7月に交代しているのだが、前任者からの申し送りがされていないことがよくわかった。1つは僕が1年以上我慢してきている部下の欠員。僕は空席が早期に埋まることを前提に昨年9月から追加の仕事を請け負ったが、欠員補充は実現せず、その間なし崩し的に請け負った仕事絡みの業務が増えてきている。もう1つは僕の異動時期。前任者によると、元々僕は今年9月異動を希望していたが、3月の人事面接の際、「人事部はあと半年待てるかと聞いている」と言われ、僕はそれを心の支えにして来年3月までにめぼしい仕事は全て終わらせようと取り組んできた。新上司によると、人事部からはそんなことは聞かされていないという。いったい何を信じてやっていけばいいんだか…。そんなわけで、面接では「異動希望」を再度強調した。明言してすっきりした。僕の残りの会社での人生を考えたら、今の職場にいるよりも、会社を辞めた後の自分のキャリアのことを考えておいた方がいい。
11月13日(火)、東京
朝6時30分に家を出て、駅まで30分の道のりを歩くのが日課になっている。そこから電車に乗り、だいたい7時40分頃職場の最寄り駅に着く。そうすると8時少し前に職場入りだ。この日は午後予定されているゲストインタビューの準備のため、その方が書かれた過去のレポートをざっと読み直し、質問事項について実際のインタビュアーとシナリオのすり合わせを午前中行なった。午後はインタビューだけでけっこうな時間がかかったが無事終了。予定通り、定時で上がって道場に出かけた。稽古は先週よりさらに調子が落ちた感じで、あまりできは良くなかった。みえみえの出ばな小手狙いの相手に小手を取らせなかったのはこの日の唯一の収穫。先生から誘われて、25日(日)の府中での剣道大会に出場することにした。元々うちの次男は出場予定で、応援に行くことにはしていたのだが、急遽僕自身も参戦することになった。帰宅後、フジテレビ系のドラマ『遅咲きのヒマワリ』を見て、それからすぐ就寝。
11月14日(水)、東京
週末の大学での講義の準備にそろそろ本腰を入れるべく、この日も6時30分に家を出た。7時40分頃職場最寄り駅に到着すると、コーヒーショップで1時間強の時間をかけて、授業の文献研究で使うテキストの予習を行なった。仕事では特段述べることなし。定時退社勧奨日であるこの日は、思うところがあって早めに退社し、自宅最寄り駅に隣接する市立図書館で調べものをした。図書館の自習室で講義の準備をさらに進め、テキストの予習をほぼ終え、21時過ぎに帰宅。
11月15日(木)、東京
前日、大学での講義の準備にある程度の目処がたったので、この日の早勉は翌週末に予定されている、母校の大学院の開設10周年記念行事の準備で、インドから招聘されるC教授対策ということで、インドの農業に関する論文集のoverviewを読み込んだ。C教授の分科会は、当日の参加者の顔ぶれを見る限り最も人気薄である。このため、司会進行役を務める身としては、参加予定者の興味を惹きそうな論点を予め提示し、少しでも集客努力をしておかなければならない。大学院の海外スクーリングでインドでC教授のお世話になった卒業生には、たとえ当日欠席であってもC教授宛のメッセージを書いてほしいという依頼を、大学院事務室を通じて週前半に配信してもらった。次の一手は、当日参加者向けに論点を予め提示することだと思う。朝方少し予習をして、協力依頼文案を練り、論点を整理した。(実際の配信は、翌朝自宅から行った。)
この日は仕事を終えた後、職場の有志で30分ほど合同ジョギングを行なった。大学講義で追われた10、11月を終え、12月に入るといきなり皇居での駅伝大会に出場予定である。残り2週間しかないが、走っている時間もない。この日のジョギングは5kmほどを通しで走り切り、取りあえずは皇居1周は走り切れるんじゃないかという目処はたった、ような気がする。その上で帰宅途中でも駅から自宅まで30分歩いたため、万歩計は20000歩を越えていた。
11月16日(金)、東京
この日も職場近くのコーヒーショップで1時間予習。それから出勤。昼前に外に出て、よくお昼を食べる定食屋で食事を済ませてから外勤先での13時のアポに間に合わせようと考えたのだが、注文した日替わり定食がなかなか出て来ず、注文から30分以上待たされた。相当焦り、出てきた定食を賞味せずに一気にかき込んでお店を出た。ギリギリでアポの時刻には間に合った。これ以外はあまり記憶に残らない1日。18時過ぎに会社を出た。途中少し道草を食い、21時前に帰宅した。翌朝が始発だったので、すぐに就寝した。
11月17日(土)、東京⇒京都
2時前に起床。ブログの記事を簡単に2本まとめて書いて、身支度を開始。4時30分に、妻の運転で、最寄り駅に向かった。駅で下してもらった直後、肝心の切符を自宅に置き忘れたことに気付き、妻の携帯に電話したが出てくれず(自宅に置きっ放しだった)、仕方なくタクシーで自宅に戻り、再度妻に駅まで送ってもらった。しかし、今度は中央線が動いていない。朝の始発までに終了している筈の中野駅の工事が長引いているのだという。これでは6時品川始発の新幹線には間に合わない。結局指定席をいったんキャンセルにしてもらい、ようやく動き始めた中央線で東京駅まで出て、6時30分発ののぞみ号の自由席を確保した。
9時前に京都駅に着くと、けっこうな雨だった。傘を持ってきていないことを後悔した。今日はなんだかやってることがチグハグだ。仕方なく駅前のコンビニで傘を買い、市バスに乗り込んだ。最後の悪あがき第二弾で、龍安寺石庭を見学に出かけた。ここも僕が教えている大学のすぐそばなのに、この2年間一度も訪れていない観光地。雨は残念だったが、赤く色づいたもみじと石庭を堪能した。先週の金閣寺と同様で、僕がここを訪れたのは1990年のお正月以来のことだ。
10時30分には大学構内に入り、1時間かけて講義の準備。11時30分に学科長に最後のご挨拶を済ませ、12時には大学に隣接するカフェで、この日3限目にお招きしているゲストスピーカーのKさんと打合せを行なった。13時から18時過ぎまで3コマ連続で講義。「講義」といいつつも、僕が本当に講義したのは最後のコマだけで、あとは受講生に相当しゃべってもらった。授業終了後は、大学院事務室の方お二人と一緒に、仏光寺河原町の料亭で打ち上げを行なった。今年は自分が思い描いていたのにかなり近い講義ができたので、2年目の機会を与えていただいたことには、非常に感謝している。22時過ぎまで飲んだ後、京都駅に移動。23時40分発の長距離バスに乗り込んだ。
11月18日(日)、東京
僕が乗った夜行バスは、朝6時40分新宿駅西口に到着予定だったが、なぜか5時30分に着いてしまった。睡眠不足の状態で起こされた感じで、6時30分に帰宅はしたものの、午前中はまったく体が起きなかった。お昼は家族で外食した後、テレビでマラソンの中継を見て、その後コミセンへ借りていた本を返却に行った。コミセンにはそのまま2時間近く居座り、読みかけだった本2冊を読み切った。17時前に帰宅した後、すぐにワイシャツのアイロンがけを済ませた。夜は近所の住む義父母をお招きして、次男の誕生日を祝うホームパーティーを開いた。
10月13日から始まり、足かけ6週にわたって京都某私大で行なった15コマ集中講義が、今週末で無事に終了した。去年ほどの負担感はなかったものの、振り返ってみると週末はまるまる家を空けていたこともあり、ゆっくり休めたという実感があまりない。5回の京都行きで、平日の過ごし方もかなりタイトになった。「遊び」の時間がまったく無くなり、3時起床も相当徹底されるようになってきた。毎朝家を出るのは6時30分頃になった。それでも週1回は道場での稽古にも顔を出すよう努めたが、徐々に調子が落ちてきているのが実感としてわかる。このブログも、中1日ペースが中2日、中3日と更新の間隔が開くことが時々あった。それだけ余裕がなかったということでもある。
登録受講者数が5人というのは昨年度と同じ。でも構成がまったく違う。今年は本来このレベルから講義をスタートしたいと思っていた理想のレベルから始められたし、学生の側からの発言もけっこう活発だったので、やっていてとても楽しかった。僕が講義するような授業の形式を1日3コマ連続してやるのはしんどかったので、文献研究を去年より多めにして、各学生が2回は発表の順番が回って来るようにした。(去年は中国人留学生が多かったので、1回がせいぜいだった。)お陰で熟読したいと思っていた2冊目の文献もかなり読み込むことが個人的にもできたので、僕にとっても非常によい勉強機会だった。
来年も引き受けるかどうかは白紙。現在の配属先にいてこその講義機会のオファーだったと思うので、来年は確実に異動などで今の職場にはいないであろう僕が、この講師を受ける可能性は相当小さいだろう。それに、僕自身の博士論文のこともある。常日頃から「研究以外、余計なことは一切断れ」と論文指導教官に釘を刺されている身としては、それなりに負担もかかる講師の仕事を週末のエキストラで受けるのは難しい。
京都での集中講義はこうして終了したが、行事が詰まっている週末があと2回続く。何も考えずに1日完全休養に充てられる日は、まだまだ先の話のようだ。
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11月12日(月)、東京
この日いちばんの出来事は上司と人事面接。僕の上司は7月に交代しているのだが、前任者からの申し送りがされていないことがよくわかった。1つは僕が1年以上我慢してきている部下の欠員。僕は空席が早期に埋まることを前提に昨年9月から追加の仕事を請け負ったが、欠員補充は実現せず、その間なし崩し的に請け負った仕事絡みの業務が増えてきている。もう1つは僕の異動時期。前任者によると、元々僕は今年9月異動を希望していたが、3月の人事面接の際、「人事部はあと半年待てるかと聞いている」と言われ、僕はそれを心の支えにして来年3月までにめぼしい仕事は全て終わらせようと取り組んできた。新上司によると、人事部からはそんなことは聞かされていないという。いったい何を信じてやっていけばいいんだか…。そんなわけで、面接では「異動希望」を再度強調した。明言してすっきりした。僕の残りの会社での人生を考えたら、今の職場にいるよりも、会社を辞めた後の自分のキャリアのことを考えておいた方がいい。
11月13日(火)、東京
朝6時30分に家を出て、駅まで30分の道のりを歩くのが日課になっている。そこから電車に乗り、だいたい7時40分頃職場の最寄り駅に着く。そうすると8時少し前に職場入りだ。この日は午後予定されているゲストインタビューの準備のため、その方が書かれた過去のレポートをざっと読み直し、質問事項について実際のインタビュアーとシナリオのすり合わせを午前中行なった。午後はインタビューだけでけっこうな時間がかかったが無事終了。予定通り、定時で上がって道場に出かけた。稽古は先週よりさらに調子が落ちた感じで、あまりできは良くなかった。みえみえの出ばな小手狙いの相手に小手を取らせなかったのはこの日の唯一の収穫。先生から誘われて、25日(日)の府中での剣道大会に出場することにした。元々うちの次男は出場予定で、応援に行くことにはしていたのだが、急遽僕自身も参戦することになった。帰宅後、フジテレビ系のドラマ『遅咲きのヒマワリ』を見て、それからすぐ就寝。
11月14日(水)、東京
週末の大学での講義の準備にそろそろ本腰を入れるべく、この日も6時30分に家を出た。7時40分頃職場最寄り駅に到着すると、コーヒーショップで1時間強の時間をかけて、授業の文献研究で使うテキストの予習を行なった。仕事では特段述べることなし。定時退社勧奨日であるこの日は、思うところがあって早めに退社し、自宅最寄り駅に隣接する市立図書館で調べものをした。図書館の自習室で講義の準備をさらに進め、テキストの予習をほぼ終え、21時過ぎに帰宅。
11月15日(木)、東京
前日、大学での講義の準備にある程度の目処がたったので、この日の早勉は翌週末に予定されている、母校の大学院の開設10周年記念行事の準備で、インドから招聘されるC教授対策ということで、インドの農業に関する論文集のoverviewを読み込んだ。C教授の分科会は、当日の参加者の顔ぶれを見る限り最も人気薄である。このため、司会進行役を務める身としては、参加予定者の興味を惹きそうな論点を予め提示し、少しでも集客努力をしておかなければならない。大学院の海外スクーリングでインドでC教授のお世話になった卒業生には、たとえ当日欠席であってもC教授宛のメッセージを書いてほしいという依頼を、大学院事務室を通じて週前半に配信してもらった。次の一手は、当日参加者向けに論点を予め提示することだと思う。朝方少し予習をして、協力依頼文案を練り、論点を整理した。(実際の配信は、翌朝自宅から行った。)
この日は仕事を終えた後、職場の有志で30分ほど合同ジョギングを行なった。大学講義で追われた10、11月を終え、12月に入るといきなり皇居での駅伝大会に出場予定である。残り2週間しかないが、走っている時間もない。この日のジョギングは5kmほどを通しで走り切り、取りあえずは皇居1周は走り切れるんじゃないかという目処はたった、ような気がする。その上で帰宅途中でも駅から自宅まで30分歩いたため、万歩計は20000歩を越えていた。
11月16日(金)、東京
この日も職場近くのコーヒーショップで1時間予習。それから出勤。昼前に外に出て、よくお昼を食べる定食屋で食事を済ませてから外勤先での13時のアポに間に合わせようと考えたのだが、注文した日替わり定食がなかなか出て来ず、注文から30分以上待たされた。相当焦り、出てきた定食を賞味せずに一気にかき込んでお店を出た。ギリギリでアポの時刻には間に合った。これ以外はあまり記憶に残らない1日。18時過ぎに会社を出た。途中少し道草を食い、21時前に帰宅した。翌朝が始発だったので、すぐに就寝した。
11月17日(土)、東京⇒京都
2時前に起床。ブログの記事を簡単に2本まとめて書いて、身支度を開始。4時30分に、妻の運転で、最寄り駅に向かった。駅で下してもらった直後、肝心の切符を自宅に置き忘れたことに気付き、妻の携帯に電話したが出てくれず(自宅に置きっ放しだった)、仕方なくタクシーで自宅に戻り、再度妻に駅まで送ってもらった。しかし、今度は中央線が動いていない。朝の始発までに終了している筈の中野駅の工事が長引いているのだという。これでは6時品川始発の新幹線には間に合わない。結局指定席をいったんキャンセルにしてもらい、ようやく動き始めた中央線で東京駅まで出て、6時30分発ののぞみ号の自由席を確保した。
9時前に京都駅に着くと、けっこうな雨だった。傘を持ってきていないことを後悔した。今日はなんだかやってることがチグハグだ。仕方なく駅前のコンビニで傘を買い、市バスに乗り込んだ。最後の悪あがき第二弾で、龍安寺石庭を見学に出かけた。ここも僕が教えている大学のすぐそばなのに、この2年間一度も訪れていない観光地。雨は残念だったが、赤く色づいたもみじと石庭を堪能した。先週の金閣寺と同様で、僕がここを訪れたのは1990年のお正月以来のことだ。
《おなじみの石庭。朝10時前に滑り込んだが、既に結構な観光客がいた。》
10時30分には大学構内に入り、1時間かけて講義の準備。11時30分に学科長に最後のご挨拶を済ませ、12時には大学に隣接するカフェで、この日3限目にお招きしているゲストスピーカーのKさんと打合せを行なった。13時から18時過ぎまで3コマ連続で講義。「講義」といいつつも、僕が本当に講義したのは最後のコマだけで、あとは受講生に相当しゃべってもらった。授業終了後は、大学院事務室の方お二人と一緒に、仏光寺河原町の料亭で打ち上げを行なった。今年は自分が思い描いていたのにかなり近い講義ができたので、2年目の機会を与えていただいたことには、非常に感謝している。22時過ぎまで飲んだ後、京都駅に移動。23時40分発の長距離バスに乗り込んだ。
《ゲストによるプレゼン。こんな雰囲気の中、15コマの講座は無事終わりました。》
11月18日(日)、東京
僕が乗った夜行バスは、朝6時40分新宿駅西口に到着予定だったが、なぜか5時30分に着いてしまった。睡眠不足の状態で起こされた感じで、6時30分に帰宅はしたものの、午前中はまったく体が起きなかった。お昼は家族で外食した後、テレビでマラソンの中継を見て、その後コミセンへ借りていた本を返却に行った。コミセンにはそのまま2時間近く居座り、読みかけだった本2冊を読み切った。17時前に帰宅した後、すぐにワイシャツのアイロンがけを済ませた。夜は近所の住む義父母をお招きして、次男の誕生日を祝うホームパーティーを開いた。
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