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『貧乏人の経済学』 [仕事の小ネタ]

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

  • 作者: アビジット・V・バナジー、エスター・デュフロ
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2012/04/03
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
貧困研究は、ここまで進んだ。単純な図式(市場vs政府)を越えて、現場での精緻な実証実験が明かす解決策。
数ヵ月前から気になっていた本で、市内の図書館で予約しても順番待ちが5人、6人になり、なかなか借りることができなかった。さすがにしびれを切らし、9月に中古で購入、みすず書房の本は少々お高いところが難点だ。

でも、結果的にには購入して良かったと思うし、新品でもよい。これは相当にいい本だ。ここ数年、途上国の開発問題を取り上げた専門書の中では最もお薦めしたいと思う1冊だ。「ランダム化対照試行(RCT)」を使った先行研究に著者自身が行なった研究の成果も加えて、僕らが一般的に抱きがちな途上国の貧困層の生活に対する「思い込み」の是正を試みている。

僕達は、最貧困層の人々は爪に火を灯すような節約生活を当然送っているのだと考える。でも、それなのに小袋に小分けにされた「パンテーン」のシャンプーはよく売れる。大容量のボトルに詰めたものより割高であっても売れるのは、貧困層世帯のキャッシュフローを考えた場合に、ボトルごと購入するだけの大金を融通できないから、少額の支出を頻繁に行なうような支出パターンしかとることができないのだと言われる。しかし、石鹸でなくシャンプーが嗜好されるのは、最初は意外な気がした。本当に貧しい人なら「パンテーン」などというブランド商品じゃなく、そこらへんの無名ブランドの安価なシャンプーでもよいではないかとも思えた。ことほどさように、僕らが考えている「途上国の貧しい人々なら当然こうする」という合理的な予想は、多くの場合裏切られるものになる可能性が強い。だから、本当にそうなのかどうか、より多くの実証研究が行なわれる必要がある。

本書はそうした実証研究の宝庫だ。各章で取り上げられているテーマを卒論や修論で扱う学生さんは多いと思うが、引用されている個々の論文を当たってみられるといい。意外な発見が得られると思う。

2、3例を挙げてみよう。

マイクロ医療保険は、僕の限られた情報の範囲内ではあるが、あまり成功している事例を聞いたことがない。自分が駐在していたインドならありそうなものだが、3年間アンテナを張っていてもなかなか「これは」というものには出会わなかった。マイクロ医療保険だけではなく、保険全般がなぜ難しいのか、本書はわかりやすく解説してくれている。

途上国に出かけると、建てかけの家をそこらじゅうで見かける。1階部分だけ出来上がり、既に住人がそこで生活を始めているのに、2階部分は作りかけで、支柱の鉄骨がむき出しになっていたり、レンガの積み上げが途中で中断している箇所がよく見られる。僕は、これは1階部分を整備するだけの資金が調達できたから1階だけ先行して建設したもので、まとまった資金が確保できたら、次は2階部分の整備を行なうのだと勝手に理解していた。しかし、本書はそれはもっと小口の資金でこまめに調達が行なわれるもので、レンガは一種の貯蓄なのだと指摘している。つまり、2階部分を整備するまとまった資金が確保できるまで金融資産として蓄えるのではなく、手元に今ある資金で購入できるだけのレンガを購入し、時間を見つけては積み上げて行く作業を行なうのだと言う。

マイクロクレジット(小口貸付)を起業や運転資金の調達を目的で利用する人は実はあまり多くないという。金銭消費貸借という性格なので、使途は限定されず、実際のところは起業や事業運転資金よりも、冠婚葬祭や子供の教育、家族の病気等でまとまった支出が必要な時に人はお金を借りている。この点については僕もインドの農村で聞いてきた話として支持できる。だから、職業訓練を施した上で対象者に事業資金を貸し出すというマイクロクレジットは、期待通りの結果がなかなか得られていない。別の文献では、それはファイナンシャルマネジメントやマーケティングリサーチ等のスキルが重視されていないからだと指摘されているが、本書の場合はそうではない。たとえそうした起業・事業に必要なスキルが向上したとしても、そこらじゅうに同業他者がいる状況では、そもそも事業の収益性自体が高くないのだという。貧困住民が思いつくような事業は、既に誰か他の人が既に思いついて同じ事業を始めている。

マイクロクレジットは、巷間言われているほど貧困削減には大きくは貢献しないと著者は主張している。そして、本当に農村貧困層を貧困状況から引き上げ、住民が自律的に次のステップに進もうとする努力を開始するには、個別世帯レベルの起業ではなく、工場などでの安定的な雇用機会の方が必要なのだという。農村に工場を立地するのが最もインパクトが大きいと著者は述べているが、もっと一般化すれば、臨時雇いの就労機会を幾つも組み合せてなんとか家計をやり繰りしている不安定な状態よりも、ある程度長期にわたって正規の就労機会を得られる方が、人は将来設計を考えやすいのだということだ。これは僕の実体験ともかなりフィットする主張だ。

しかし、こういう実証研究は、1つのテーマで対象地域を決めて何年間かにもわたって実験が試みられなければならない。これはある意味骨が折れる作業で、このような息の長い研究にも資金を提供してくれそうなスポンサーを確保し、さらにある程度の長期間にわたって研究従事者を確保しておくことも必要だ。こういうのを専門にやれる研究者がいて、そこに研究実施資金がつけられる仕組みが必要だという指摘は、最近読んだウィリアム・イースタリー著『傲慢な援助』(William Easterly, The White Man's Burden)の中にも見られる。

The White Man's Burden: Why the West's Efforts to Aid the Rest Have Done So Much Ill and So Little Good

The White Man's Burden: Why the West's Efforts to Aid the Rest Have Done So Much Ill and So Little Good

  • 作者: William Russell Easterly
  • 出版社/メーカー: Oxford University Press
  • 発売日: 2007/09/27
  • メディア: ペーパーバック

日本の援助の現場でランダム化対照試行(RCT)が行なわれているという話ははあまり聞いたことがない。ましてやNGOの事業現場になると、NGO自体がそうした実証試験を行なうインセンティブ自体を持っていないので、もっと行なわれる余地が狭いだろう。最近あった議論で、「村の一部の子供にだけ奨学金を支給することは格差の助長に繋がる」という指摘を、ある農村開発系のオフィサーがしていたのを聞いたことがある。これも直観的にはあまり反論の余地はない。でも、本当にそうなのかどうかは、奨学金を支給された生徒のグループと、そうでない生徒のグループとの間で、その後のキャリアパスとか、生徒達の家計の生活とかに有意な変化が見られるのかどうかを見た上で、判断しなければならない。そもそも奨学金を全生徒に支給することなど難しいわけだから、一部の生徒に支給するというプログラムを一種の実証試験とみなし、支給されない生徒のグループも合わせて長期間のモニタリングが行なわれるべきなのだろう。

本書には、インドで行なわれたRCTの先行研究事例がかなり出てくる。これは嬉しかった。インドに赴任する人は往々にしてインドの解説をする本を先に読もうと手を出すが、こういう、本のタイトルにはインドは入っていなくても、扱っている内容が相当にインドをカバーしている本もかなり有用だ。


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