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週報(10/22-10/28) [備忘録]

またもや週報を1週間分スキップしてしまいました。度々すいません。今年も京都の大学での集中講義が始まり、仕事との両立では相当な苦戦を強いられています。ブログで記事を更新している余裕もちょっと失くしつつあります。とはいえ1回で3コマぶっ通しで行なう集中講義も、今週で折り返し地点を過ぎました。来週は土曜日が祭日で授業お休み、中2週で残り2回の京都行きをこなすのは、少しは余裕をもってできる、そう思いたいところです。

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10月22日(月)プロ野球セリーグ・クライマックスシリーズ最終ステージ第6戦。ドラゴンズは最後に力尽きた。その無念の思いは別の記事にまとめておいた。選手にどうこう言うつもりはないが、監督には言いたいことが沢山ある。この日は試合開始前の日中から既に諦めモードだったので、敗戦自体へのショックはあまりない。

10月23日(火):4時前に起床して、2時間読書。大学での講義で使うテキスト『途上国の人々との話し方』を読み込んだ。職場での仕事は、ここ数カ月ペンディングにしていた作業に取り組んだ。他の人がやる予定だった作業が滞っていてピースが欠けているというのが僕が先延ばしにしていた最大の理由だが、上からもう待てないと言われ、できるところまでは今から進めておこうということになったものだ。他の様々な業務がある中でも、優先度を変えてこれを最優先でやれと厳命されたので、どうしてもやらなければいけない。1日その作業に没頭し、次のステップに進む段取りだけつけた。帰宅して、フジテレビのドラマ『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~』を見た。『GTO』の後釜の番組で、高知・四万十村に赴任してきた地域おこし協力隊員のお話。いきなり初回で大女優(倍賞美津子さん)のキャストを死なせるのにはビックリした。そういう時代なのかな。

10月24日(水):4時前に起床して、前日同様2時間読書。定時よりは少し早めに出勤して仕事に取りかかった。午前中やった仕事は前日の続き。午後もそれをやろうとしたが、急な面談リクエストがあったり、急な作業指示があったりして、思ったような動き方はできなかった。15時過ぎからは外勤。小田急線の鶴川まで出かけ、某大学主催の公開シンポジウムに出た。外国人の発表者のプレゼンを逐次通訳でやっていたのでいたずらに時間がかかるシンポだった。間に入った通訳も欧米人の先生で、日本語への訳し方がおかしい箇所がかなり目立った。テーマは「越境する少子高齢化」だったが、主催した大学の先生が発表者に名を連ねていないという、ちょっと不思議なアレンジだった。会場を少し早目に後にし、19時前に新宿まで戻ってきた。職場の剣道部の月例稽古会に参加、この日は全日本クラスの先生と、国際武道大学の南米某国と欧州某国の留学生剣士も参加して下さり、普段より賑やかで、かつ中味の非常に濃い稽古になった。恒例の「反省会」にも出て、帰宅したのは午前零時を少し回っていた。長い1日だった。

10月25日(木):この日は5時起床。朝から雨だったので、妻が珍しく駅まで車で送ってくれた。通学で電車を使う娘も一緒だ。お陰で職場にも意外と早めに着き、仕事開始。今週集中的に取り組んでいる最優先事項に再び取り組み、手元にあったボールのほとんどを、関係者に投げてフィードバックを待つようなところまで持っていった。1人だけ向こう側の作業が遅れている人にもやんわりとプレッシャーをかけるメールを送っておいたが、それすらスルーする内容の返事が来た。さてどうしようか…。とはいえ、これで午後は別の作業に取り掛かれることになった。夕方は職場のランニング愛好家の合同練習が終業後に行なわれ、1周3km弱の周回コースを1周だけジョギングした。この日は6人で走った。いい汗かいた。剣道の稽古があった翌日なのに、ちゃんと走れたので驚きだ。ジョギング後も20時近くまで仕事して、それから帰宅。プロ野球ドラフト会議、ドラゴンズはなかなかいい指名をしたんじゃないだろうか。ただ、ポスト谷繁候補を誰と想定しているのか、それが一向に見えてこない。僕は青森・光星学院の田村捕手ぐらい指名してくるのかなと思っていたが…。来年のドラフトで大阪桐蔭高校の森捕手でも狙っているんだろうか。それとも、今回4位指名の早稲田大の杉山内野手を本気で捕手で育てようというのだろうか。

10月26日(金):3時起床し、すぐに24時間ガストに出かけて超「早勉」をやった。週末の講義の資料ができておらず、前日までに資料は読み込んであったので、これをスライドに落とし込むための手書きのメモを作った。5時前には作業を完了し、帰宅して娘を起こした。夏休みが終わって9月頃までは遅寝遅起きの悪習が身についてしまっていた娘に、朝5時から1時間なら居間のデスクトップPCを使っていいという約束をしたら、娘も23時就寝、5時起床の生活パターンに移行できた。早寝早起き開始から既に2週間以上が経つが、なんとか続いている。24日から3日間、学校の中間テストがあったので、娘はPCで動画サイトを閲覧する時間もなく、朝起きて試験勉強をやっている。登校も慌てずにできているので好循環だ。ただ、自分1人では起きられないので、毎朝僕が起こしている。この日も娘を起こした後、僕は身支度に取りかかり、早めに出勤。早勉で作ってあったメモ書きをパワポのスライドに落とし込む作業を行なった。午前中に全ての講義資料が完成し、配布用のコピーも取った。昼休みを迎えた頃には頭痛があったので、頭痛薬を服用して午後の仕事に臨んだ。本当はこの日のうちにやっておきたい仕事もあったのだが、他の雑用が重なって集中できず、結局未着手のまま夜を迎えた。翌日早朝から京都に向かうことを考え、早めに帰宅。子供たちがテレビで見ていた映画『20世紀少年』も途中で見るのをやめて、22時30分には就寝。朝が早かったので、強烈に眠かった。

10月27日(土):3時30分起床、読みかけていた本『ソバを知り、ソバを生かす』を読み進めた後、5時に娘を起こし、自分の身支度を整えて、6時30分には家を出て、京都に向かった。10時に京都駅に着くと、駅前の地下街でトーストセットを食べながら講義プランの最終確認を1時間半行なう。ここ3週、土曜朝の日課となっている。それからバスに乗って大学講義に向かう。13時から授業開始。18時前に講義終了。3コマぶっ通しは本当に疲れる。でも、去年よりは充実した授業になっている気がするし、この日の3コマで、残りは2回6コマ、折り返し点を通過してしまった。講義終了後、バスと在来線を乗り継ぎ、岐阜・大垣の実家に辿り着いたのは21時過ぎ。途中南草津駅で急病人の看護があって新快速の列車が20分遅れとなり、米原駅での乗り継ぎで20分待たされ、結果大垣駅到着がかなり遅れた。駅まで父に迎えに来てもらった。実家に着くと、父母と1時間ほど飲んだ。その後風呂に入ったが、湯船に浸かりながら『スリジエセンター1991』を読んでいるうちにウトウトして、気づいたら1時近く、風呂のお湯は冷たくなっていた。そのあとすぐ就寝。

10月28日(日):朝6時に起床。朝食後ブログの記事を書いたりして時間を費やし、10時過ぎに身支度を整えて、父母と共に外出。大垣市内のレストランでモーニングセットを注文し、しばし両親と歓談。父が「終活」(人生をより良く締めくくるために“最終章”を具体的に考えて、葬儀やお墓について生前のうちに決めておこうとする取組み)を始めているという話は、長男なのに親元から遠く離れて暮らしている僕にとっては身につまされる。大垣で両親と別れた僕は、そこから列車に乗り、名古屋で新幹線に乗り換えて、15時前には東京の自宅に戻った。少し休憩した後、17時過ぎからは市の剣道連盟が主催した日本剣道形講習会に参加。17時30分から20時30分までの3時間、みっちり講習を受けた。ずっと立っていたので、21時前に帰宅した時にはヘトヘト。夕食もとらず、ワイシャツのアイロンがけだけ済ませて、22時過ぎには寝てしまった。

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