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『傲慢な援助』再読 [仕事の小ネタ]

東京でIMF世界銀行年次総会が開催されていたからというわけではないが、ここ3週間ほどかけて、ウィリアム・イースタリー教授の2007年の著書White Man's Burdenの邦訳版『傲慢な援助』をひと通り読み直してみた。ジェフリー・サックス教授の提唱するミレニアム・プロジェクトとそこへの大量資金動員を「ビッグ・プッシュの再来」とこきおろし、援助資金の大量動員よりもその資金が本来の目的であった筈の貧困層の生活向上にちゃんと使われることが大事だと主張し、援助資金がダダ漏れになって貧困層に届かない問題点を様々な形で指摘する。サックス教授との対比の中で、イースタリー教授は「援助不要」論者だと極論する人も多いような気がするが、著書を読み直してみると必ずしもそうではなく、やり方の問題だと言っているように思える。

傲慢な援助

傲慢な援助

  • 作者: ウィリアム・イースタリー
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2009/09/04
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、善意にあふれた先進国からの援助のうち、たった数パーセントしか本当に必要な人に届いておらず、これまで経済成長に成功してきた国は、援助をそれほど受け入れてはいない国である、という現実をまず冷静に分析する。そのうえで、本当に有効な援助とは何か、どんな援助のやり方が、本当にそれを欲している人々のもとに届けることができるのかについて、これまでの援助のやり方とは異なる援助を提案する、いわば、論争の書である。
今回読み直してみて、いろいろな箇所に付箋を貼り、マーカーで線を引っ張ったけれど、ブログ記事として特筆しておきたい箇所は主に第11章「欧米流援助の将来」に書かれている幾つかの記述である。

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欧米諸国が、政府に援助するのではなく、個人に援助するようになれば、援助がうまくいかないという難問のいくつかは解決することができるかもしれない。軍閥であろうと略奪政治家であろうと、形式的に国のトップにいれば、彼らは援助を受け取ることができてしまうのだ。(中略)何度も言うが、援助で貧困を終わらせることはできない。自由市場における個人や企業のダイナミズムに基づいた途上国自身の手による開発努力こそが、貧困に終止符を打てるのだ。経済発展そのものを援助で実現しようなどという幻想を捨てるなら、貧しい人々が困っている個別の問題解決において、今以上に援助ができることがあるだろう。(p.425)

 複数の目的を追求し、それを様々な部署が連帯して責任を負うという援助のインセンティブ・システムを改善しなくてはならない。個別のプロジェクトは個人が責任を負うべきである。援助機関は、得意とする分野あるいは得意とする国に特化すべきだ。その上で、援助の成果を真に独立した機関が評価すればいい。
 そのためには、それぞれの援助機関は予算の一定割合を科学的に評価することのできる先進国と途上国の外部専門家のランダム・サンプリングによる評価のための予算に充てるべきだ(今でも無駄な内部評価に一定の予算が使われている)。評価には、もしできるならランダム化比較試験(RCT: Randomized Controlled Trial)や厳密な統計分析できなくてもそれなりの統計分析が含まれるべきだ。ランダム化比較試験や統計分析による評価ができない時でも、少なくとも評価は完全に独立した専門家グループによって行われるべきだ。(pp.426-427)

援助機関は、スタッフに、特定の途上国の問題をその経済社会構造の枠組みの中で理解できるような経験を積ませるべきであり、そしてその経験豊富なスタッフに、現場において何がうまくいくかに関する決定を委ねるべきである。しかしながら現実は、援助機関のスタッフは十分な経験を積む前に異動させられることが多い。その結果、援助機関には地域や分野の専門家ではなく、ジェネラリストが増えてしまうのだ。(p.433)

(グローバル・ギビングを例に)彼らは、中央計画的ではなくイーベイ(eBay)のようなシステムで、援助をしようとしている。彼らのやり方には3人の登場人物がいる。(1)貧しい人たちのそばにいて彼らのニーズを満たそうとしている社会活動家、(2)いろいろな知識を持っている個人や組織、(3)貧しい人々に何かしたいと考えていてお金のある人たち、である。現状の援助システムでは、(3)が巨大な官僚制のもと(1)と(2)を中央計画的にコントロールしている。しかしデニスとマリは、そうではなく、すべての分野に多くの参加者がいて、いつも一緒に仕事ができる他の分野の専門家を探し、それがすぐにマッチングできる分権化されたアイデアを実行に移しているのだ(ちょっと変なたとえ方をすれば、援助の「出会い系サイト」だ)。多くの援助プロジェクトが資金を求め、専門家はそこでの仕事を求め、資金の出し手はいい成果を求め、いい成果が上がればますます資金が集まるのだ。彼らのシステムの参加者は過去の実績で評価される。(pp.434-435)

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以上は、主に欧米の援助機関(IMFや世銀、国連も含めて)に対する問題点と改善策の指摘であるが、こうして読み直してみると、その指摘の中には日本の援助のやり方に対しても一石を投じているのではないかと感じるところもある。時々読み直してみて我が身を振り返り、襟元を正せということなのだろう。勿論、自分のやっていることが正しいかどうか、立ち位置を再確認するのにも役には立つ。

これからの主役は、援助の実施機関ではなく、社会企業家であり、NGOであり、そして研究者であるのですよ。

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