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『死にたい老人』 [読書日記]

死にたい老人 (幻冬舎新書)

死にたい老人 (幻冬舎新書)

  • 作者: 木谷 恭介
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2011/09/29
  • メディア: 新書
内容紹介
83歳小説家、長く生きた。絶望の果てに―― 自死決行。結果は!?
もう充分に生きた。あとは静かに死にたい――。83歳の小説家は、老いて身体の自由がきかなくなり、男の機能も衰え、あらゆる欲望が失せ、余生に絶望した。そして、ゆるやかに自死する「断食安楽死」を決意。すぐに開始するや着々と行動意欲が減退、異常な頭痛や口中の渇きにも襲われ、Xデーの到来を予感する……。一方で、テレビのグルメ番組を見て食欲に悩まされ、東日本大震災のニュースにおののきつつも興味は高まり、胃痛に耐えられず病院に行く。終いには、強烈な死への恐怖が……! 死に執着した小説家が、53日間の断食を実行するも自死に失敗した、異常な記録。
自分の死があと数年後に予見できている人が残りの生をどのようにとらえているのか?
――80歳を過ぎた人に聞いてみたいけれど、これは絶対聞けない質問である。後期高齢者になって、毎日の体調がどうかをこまめに記録している人がどれくらいるのかどうかはわからないが、仮にあったとしても他人の目に止まる機会はそれほどないだろう。実家の両親に体調はどうかと尋ねても、「大丈夫」としか言わない。そんなベタな質問で本当のところは聞き出せない。

そんな葛藤をしていたところ、この本に出会った。82歳の著者は、昨年からなんとか断食によって静かに死を迎えようと試みる。そして、断食の準備から始まり、断食の過程での体調と体重の変化を日記につけた。その日何をしたのかも書かれている。元が作家であるので、それをパソコンを使って文章に落とすのはお手のものだ。80歳を過ぎてもう十分生きてやりたいこともあらかたやってしまったから、あとは残りの生を静かに全うしようと断食生活に入るのだが、独居老人の無縁死にならないよう、家政婦さんやかかりつけの医師らに、いろいろ細かいお願いをしてある。下手をすると自殺幇助になって罪に問われてしまうので、そこは注意して…(笑)。

一度目の断食は失敗。空きっ腹で服用していた薬のせいで胃痛に悩まされ、胃潰瘍寸前までいく。自然死はいいが胃潰瘍で苦しんで死ぬのは御免だし、想定外だったということでいったん退却。その後準備段階で延期を余儀なくされること1回。そして今年2月15日から、二度目の断食生活に突入した。

しかし、こういう本が世に出たということは、ご本人はまだご存命だということである。
要するに二度目の断食にも失敗したということである(苦笑)。

なぜこんなことを考えたのか、自分の考えを正当化するための様々な理屈が述べられている。そして、断食による自然死を断念した差異の理屈についても述べられている。何だよ、結局死ねなかったのかという、予想される嘲笑に対して精一杯の反論を試みているわけだが、それをどうこう言うよりも、死ななくて良かったんじゃないでしょうか、そう言いたい。そう、こんな本が日の目を見たのだから。

80歳を過ぎてからの日々の体調について克明に綴られているのは、僕らには参考になる。そうした年齢に達した人が、まともな文体で日記を綴っているところが僕らにはありがたい。それを残してくれただけでもこの著者の生きている価値がある。無理に死期を早めずとも、この著者が長生きするのには長生きするだけの意味があったのだと思う。それに、これでこの本の印税も入ってくるわけだし、ご本人の今後の所得保障も当面は安泰だ。良かったじゃないですか。

本書を読みながら、僕は我が父があと5年もしたらこの著者と同じ年齢に達するということをリアルに痛感した。この秋、毎週のように日曜夜に実家に戻り、そこから翌日京都の大学での講義に向かった。その際は、父に最寄り駅まで送り迎えをしてもらった。それが当たり前のように思っていたが、よくよく考えれば父も後期高齢者、車の運転が無理なく危険なくできる残りの期間はそれほど長くはない。それをすごくリアルに痛感した。ひょっとしたら、著者が本書で述べているような体のだるさ、痛さを父や母も感じることが頻繁にあるのではないか、車を運転するどころか、朝寝床から起き上がることもきついという時があるのではないか、そんなことを思ってしまうと居ても立ってもいられなくなる。

どうしたらいいのだろうか。ずっとずっと先延ばしにしてここまで来てしまった問題に、僕なりの答えを出さなければならない時は、もうそんなに遠くはない。

アルカイダの言っていることもわからぬではないのだが、本書の著書は息子の世話になるのを嫌がって1人で暮らしている。日本でもお年寄りを大事にする伝統があったのに、結局家族構成員が就労機会を外に求めるようになり、さらによりよい所得機会を得るのによりよい教育機会を得ようと都市へと若者が集まっていった。いわば家族構成員それぞれの活動がより分散されるようになったのである。イスラム世界ではこんなことは起きないと自信満々に語っているが、スピードの速い遅いはあるかもしれないけれど、家族が分散していく趨勢は早晩イスラム社会にも訪れると思う。他人事のように日本や中国のことを言うのはどうかなと首を傾げた。
タグ:木谷恭介
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