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『社会人類学』(3) [読書日記]

『社会人類学』(1)
アジア社会を比較・解明。アジアを構造から理解する中根人類学の総決算世界人口の過半を有する広大なアジア。その各社会はどんな顔をしているのか?カースト・宗族等の根強い組織基盤をもちながら、新たな事態に対応していくインド・中国社会。恒久集団がなく、ネットワークを集積させ、変移性に富む東南アジア社会。集団が閉鎖的になりやすい特異な日本タテ社会。多様なアジア社会を比較し、その構造を解明した名著。

本書紹介の第3回目は、東南アジアについて言及されているところから拾ってみた。

ネットワーク
著者によれば、インド、中国、日本、韓国の諸社会の考察において、それぞれ構成・構造は違うものの、明確な集団としてのプリンシプルを抽出することができたという。従来から著者が「タテ社会」と表現している通り、日本の場合は会社や何らかの所属組織のように、縦に繋がる、あるいは「場」を共通にする(かつてそうであった場合も含む)関係者とのネットワークが大きなウェイトを持ちやすい。一方で、インド、中国、韓国などの場合は、こうしたネットワークの機能する範囲が日本よりもはるかに広く、その機能も高いという。なかでも血縁の繋がりは重要なウェイトをもち、それがネポティズム(縁故主義)を生む原因ともなっているという。

日本人の場合は、直接知っている人とそうでない人との差を大きくしており、日本でネットワークが働くのは、直接知っている者を介した人あたりまでということになる。つまり、「友達の友達は皆友達」とはなりにくいのだとか。

これを端的に示すエピソードとして挙げたいのがフェースブックのネットワークである。僕はこの手のソーシャルネットワークサイトでは、原則最低一度でも直接会って会話を交わしたことがあるかどうかで友達の範囲を規定している。これに対して時々、見知らぬインド人から「友達リクエスト」を受けとることがある。よくよく見ると既に友達関係にある知人の友達であったりするわけだ。よく見知らぬ外国人に何ら前置きもなしに「友達リクエスト」を出せるものだといつも戸惑う。

全インド剣道連盟(Kendo India)などもっと図々しく、現時点で1200人を超える「友達」を確保している。面識もないのに友達リクエストを乱発している典型例だろう。全国をカバーする組織でもないのに「Kendo India」などと名乗っているから、名前に騙されてリクエスト承認しちゃった人も多いに違いない。それでも僕のところに時々おねだりのメールが来ることがあり、僕は無視するようにしているが、ホントのところ、「あんた世界中にこんなに友達が大勢いるんだったら、全員にお願いしてみたらどうなの?」と皮肉の1つも言ってやりたいと思うことがある。

「友達の友達」だったらまあまだ許せるが、先日はなんと全く繋がりを特定できない人から友達リクエストを受け取った。発信元はミャンマーだった。
第三者に最もわかりにくいのは東南アジア的ネットワークである。東南アジアの多くの社会では、明確な境界あるいはプリンシプルをもった集団と言うものがなく、個人と個人を結ぶネットワークは不特定多数を対象にあらゆる関係を契機に作られる可能性をもっている。(中略)恒久的な集団というものへの依存ができないために、個々人を結ぶネットワークが一層大きな役割をになうということがいえ、その機能は東南アジア諸社会をみるとき最も注目しなければならない社会学的指標ということができる。彼らの社会学的地図には明確な境界線とか点がなく、錯綜したネットワークの濃淡の違いを表す陰影があるにすぎない。(p.332)
なんだかスゴイですね。

もう1つの興味深い記述は、集落の存在の仕方に関するものである。
東南アジアでは、日本やインドにおいて一般的にみられるように、一定地区に多くの家々が群集し、集落としてのまとまりをもち、他の集落との間に広い耕地があり、地理的にもはっきりとしたまとまりをもっているということはむしろ少ない。一つの村落とされていても、全戸がひとかたまりにならないで、数戸の家々が集って小さな居住区を形成し、そのような単位が他から一定の距離を置いて散在しているという設定や、川や道路に沿って、家々が連続していたりする。隣接する村落が同じように、その内部においてこうした散在の仕方をしていると、村落と村落の境界が見たところほとんど判明しないことになる。集落がそれほど孤立せず一定の広い地区に連続的に散在しているような場合は、いっそう隣村との区別は判別しないし、実際の村人たちの社会関係も、村落の隣接地帯では、自己の村落の人たちよりも隣村の人々との方が密度が高くなっていたりする。(pp.341-342)
この引用は、日本やインドと東南アジアとを対比しているが、これはインドの中でも違いがあるように感じた。著者のフィールドはインド北東部のアッサム州が中心だったと思われるが、実は僕自身、南インドで多くの農村を訪ねてみて、カルナタカ州とタミル・ナドゥ州では大雑把にいって集落形成に違いがあるというのに気付いた。カルナタカ州は確かに小さな居住区が形成されていて、それを構成する世帯の所有する農地は、居住区から歩いて0.5~1km離れたところにあると言われるケースが多いが、すぐお隣りのタミル・ナドゥ州の場合はむしろ東南アジアに似ており、住居と農地は隣接しているが、家と家の間の距離は結構離れており、居住区はあまり形成されていなかった。むしろ各家では門まで設けて外と内を遮断するような措置まで講じている農家が多かったのである。この違いが何に由来するのかはよくわからないが、興味深い気付きであった。

以上のような状況では、実際、村民にとっては、同じ村落単位というよりは、それぞれの家を中心とした隣人たちとのまとまりの方がはるかに重要な社会的意味をもっている。1つの村落内部がいくつかの近隣集団的なものに分かれるばかりでなく、その周縁にあっては村落の境をクロスして近隣集団(血縁・婚姻のつながりも勿論はいってくるが)が形成されているために、当然、村落としてのまとまりは弱くならざるをえないということになる。(p.342)
この指摘も、カルナタカ州とタミル・ナドゥ州での養蚕農家から養蚕農家への技術伝播のプロセスの違いを見事に説明しているように思う。カルナタカ州では、近隣の養蚕農家同士で労働や蚕具の相互融通をするケースが多く、近隣農家と一緒に集団行動を取る傾向が強いという印象を受けたが、タミル・ナドゥ州では、ある先進的農家から近隣農家へ技術が伝播するプロセスはあまり見当たらなかった。近所同士で融通するよりも、遠くの親戚何かを頼んでいるし、近所に技術を教えたといケースも少ない。近隣の養蚕農家同士で何かを話し合ったということもあまり聞けなかった。繁忙期に外から人を雇ってくるのは一緒だが、カルナタカ州では近隣農家に頼みに行くことが多いそうだが、タミル・ナドゥ州では人材斡旋を専門にやっている村のエージェント頼むのだということだった。この場合、技術普及を図る際にも、前者は放っておけば技術伝播はある程度起きるが、後者では第三者(公的機関)が大きな役割を果たさないと新しい技術は普及していかないであろうと予想される。

こういうことを事前に知っていれば、現地に入った時に手戻りが少なくて済む筈だ。民間企業でも政府機関でもそうだと思うが、現地に長期で駐在するような人がすぐに即戦力となるには、こうした情報は共有されていかないといけないと思うし、さもなくば頻繁に人事異動で人を動かしてその人がせっかく得た暗黙知を配置換えでふいにしてしまうのはもったいないとも思う。インドならインド、東南アジアなら東南アジアで、国や地域のスペシャリストを長年かかってでも育成していく方がいいのではないかと思うが、たまには中根千枝先生の著書のようなものを読んでみて、自分のフィールドでの経験と照らし合わせて「ああ、あの時のあれはこういう意味だったんだ」と理解させるようなプロセスがあるといいのかなとも思った。
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