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『ODA(政府開発援助)』 [読書日記]

【2011年8月14日記載分】
ODA(政府開発援助)―日本に何ができるか (中公新書)

ODA(政府開発援助)―日本に何ができるか (中公新書)

  • 作者: 渡辺 利夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
ODA(政府開発援助)は、日本の対外援助の主力として、1993年以降世界最大規模の支出額を誇ったが、国民の不信と批判にさらされ、大幅な削減を余儀なくされている。一方、欧米諸国は同時多発テロ以降、貧困をなくす手段としてむしろODAを重視する傾向にある。開発途上国側の課題が多様化したいま、ODAはどうあるべきか。現状と課題を平易に解説しながら、日本が国際社会のなかで果たすべき役割を考察する。
今年下半期に京都の某大学で15コマ分の講義を持たせてもらうことになった。前にその講義を持っていた教員は僕らよりももっと上の世代の方で、僕などよりもずっと経験が豊富な方だった。だからその講義の引継ぎを受ける際、シラバスも見せていただいたが、一目見て「こんな講義は僕にはとてもできない」と気が遠くなった。それだったら僕が話せる内容だけで組み合わせて自分なりのシラバスを作ろうと気持ちを切り替え、急かす大学事務局に応えて2月にシラバスを提出した。

それから半年―――事務局の担当者から久し振りに連絡が来たと思ったら、履修登録者は現時点で1人(!)だという。前任者がやっておられた昨年も4人だったらしいが、前任者の場合は土曜日に3コマぶち抜きという学生にとっては嬉しくない日程だったので仕方ないところはあったかもしれない。僕の場合は、事務局の方から暗に土曜日はやめてくれというプレッシャーがあったので、他の講義が比較的手薄な月曜午後2コマという時間帯にしたのだが、今のところその効果は出ていないようだ。勿論、後期の履修登録は9月にも行なわれるので、もう少し増えることは期待できるかもしれないが、1人が10人に激増することはあり得ないだろうから、本当に「講義」するつもりだった最初のシラバスは、「受講した学生とともに学んでいく」ような内容に改訂していかないといけないなと思っている。

前置きが長くなったが、本書は元々シラバスの「参考図書」欄に載せておいたものである。但し、前任者のシラバスにも載っていたものであり、僕もわざわざ落とす必要もないかと思って自分のシラバスにも残しておいた。

この本が店頭に並んだのは2003年の暮れのことである。当時僕は某大学院の修士論文の執筆の真っ最中で、帰省もせずにもっぱら東京の自宅にこもって毎日パソコンに向っていた。論文のテーマとも多少関連があったので店頭で見つけてすぐに購入したが、読み込むのにかける時間も十分ではなく、必要な箇所だけ拾い読みして論文に反映させた後、本は書棚の奥の方に眠らせてしまった。その眠らせた現物が見つからなかったので、今回は図書館で借りて読んだ。

今回久し振りに読み直してみて思ったのは、ODAの入門書としては今も鮮度を失っていないということだ。2003年から比較すれば、日本のODAとそれを取り巻く環境は大きく変わったと思う。JICAは独立行政法人になったし、さらには国際協力銀行の円借款部門と統合して巨大な援助機関へと変貌した。そうした実施体制の変化はあっても、日本のODAが言われている特徴も、そしてその特徴ゆえに受ける批判も、そんなには変わっていない。問われるべきは「量」よりも「質」だという問題提起は当たり前のものだし、ガバナンスの良くない国に援助しても成果が上がらないという、2000年頃によく言われていた話だが、今でもそれを打ち破る新たな主張は登場していないと思う。(勉強してないからあまり自信がないけれど。)

逆に、本書が出た当時はあまり日本では聞かれなかった次の主張は、今や企業のCSRとの連携だのBOPビジネス支援だの、PPP(官民パートナーシップ)だのといった一種の流行となっており、その点では本書は先進性が当時はあったと思う。当時こんな主張をしていた論者は記憶にない。
 本書の主張の根幹をあえて簡単に要約すればこうである。われわれが着目した最大の論点は、ODAの「触媒効果」である。1国の発展の原動力は民間企業にある。ODAがソフトインフラ整備を通じて民間活力を誘い出す触媒とならねばならない。ソフトインフラとは、市場メカニズムを少しでも有効に機能させるための制度的な環境条件の整備であり、そのための「知的支援」において日本はODA世界のリーダーたるべきだ。(中略)
 実践の場は東アジアである。(p.189)

因みに、僕よりも先に図書館で本書を借りた人の問題意識がどこにあったのかは、不届きにも鉛筆で線を引っ張ってあった唯一の箇所を見れば想像がつく。ODA評価のあり方について問題を感じておられたようである。本書では、日本のODA評価は独立性、客観性に欠けると批判している。
 第1に、(評価)報告書はプロジェクト別、テーマ別の評価を掲載しているものの、成功を収めたプロジェクトの比率やその比率の前年比増減といった全体評価が欠落している。そもそも何をもって成功としているのかの客観的基準さえ、実は明らかではない。また評価報告書は外務省、国際協力銀行、JICAにより個別に作成され統一性に欠ける。
 第2に、報告書は個別プロジェクトの成果(output)を証明してはいるが、そのプロジェクトを超える上位目標(impact)に対する評価が不十分である。日本のODA評価は、一応、DAC5項目を評価指針として採用しているが、受取国住民の所得は向上したのか、プロジェクト自体が妥当なものであったか(他に、より効果的な支援方法があったのではないか)、効率的に執行・運用されたか、などについての客観的な情報はほとんど提供されていない。
 第3に、評価が評価者の主観的な判断にもとづくものが多い。ODA関係機関が実施したプロジェクトについては、各機関が自ら評価することが原則になっており、一部のプロジェクトについては、有識者による第三者評価が導入されている。第三者評価は一見、客観性が維持されているかのようにみえるが、そうとばかりもいえない。また、データによる客観性が保たれているわけではない。(pp.136-138)
この点はあまり変わっていないのでは?

ただ、本書ではこの部分だけが鉛筆で線が引かれてあったが、ここより少し後に書かれていた事前評価のあり方に関する指摘の方が実は重要なのではないかと個人的には思う。著者曰く、事前評価で上位目標(impact)を評価するのに十分な情報を事前に得ていないために、事後評価がBefore-After法主体にならざるを得ないのだという。
 家計所得調査を通じて受益者1人当たりの所得を事前に把握するなどしてベースラインを設定し、プロジェクトが1人当たりの所得の増加にどのくらい貢献するか、公共サービスの提供によって生活の質はどのように改善されるのかを事前に明らかにし、それにもとづいて評価することが期待される。(p.160)
この点には激しく同意だ。本来、どの案件についてもこれをやっておくべきなのだが、案件数が多過ぎるからだろうか、それをきっちりやるところにあまりエネルギーが投入されていないのではないかと感じることが多い。また、この批判をODAにだけ向けるのは間違いだ。多くのNGOでも、その事業実施にあたってベースラインデータを取っておくような取組みが必ずしも十分行なわれていない。

はなからODA批判で徹頭徹尾論じられているわけではなく、是々非々で論点整理され、良いところは良いところとして公正に評価がなされている。今読んでも十分興味深い本である。というか、これ以降日本のODAを論じたような出版物をあまり読んでいないので、なんともいえないが、新書版ということで入門編としてはリーズナブルな1冊とは間違いなく言えるだろうと思う。

【2011年10月18日記載分】
さっそく講義で使ってきた。新書サイズだとはいえ、何が書かれているのかを真剣に読み込んでいくと、前回ブログに書いた時と比べてもいろいろなことが見えてくる。

ちなみに、授業の冒頭で、この本の中で印象に残った言葉を全員に黒板に書いてもらったところ、「ガバナンス」を書いた学生が3人、「量から質へ」、「借款」を挙げた学生が2人ずつ、「ODAの触媒効果」もちゃんと挙げていた。大勢の意見はおおよそ正しい。これらが本書のメッセージといって差し支えないだろう。

1)本書では、「質を上げる」ために「ODAの触媒効果」にもっと注目すべきといっている。この点は、前回の紹介記事でも引用しているポイントである。そのための知的支援をODAはもっとやるべきだと提言している。例として挙げられているのは東アジアの経験だ。東アジアでは、開放体制の下で、民間資金を開発の主体となった。政府は、市場メカニズムを効果的に機能させるための補完的役割に徹した。つまり、民間資金が既にそこにあり、高い政策遂行能力を持った政府と官僚制がそれを支えたことにより、持続的経済発展と貧困削減が両方実現したのだという。

2)本書はODA廃止すべきという意見には反対の立場をとる。ODAの出し惜しみは回り回って日本の損失に繋がりかねないとする。しかし、支持拡大は難しい。そこで、①ODAが途上国住民に裨益していることをしっかり示す評価の必要性と、②資金のレバレッジの強化(川上段階での知的支援への貢献、民間投資の触媒など)を謳っている。

3)援助の潮流に日本はどう向き合っていったらいいのかに関しては、6つほどポイントを挙げている。

ガバナンスについて:世銀の報告書『有効な援助(Assessing Aid)』に見られるような、ガバナンスの良くない国には援助は行わないという方向ではなく、日本は、援助は改革を志向する途上国の政府と国民を支援するものという立場から、ともにガバナンスの改善に向き合っていく立場を取るべきと主張している。

貧困削減と経済成長について:両者は一体不可分という立場を取る。そして、東アジアの発展の経験を、アフリカや南アジアにも伝えていくための知的貢献が必要だと主張している。(方向性はそうだろうと思うが、アフリカに有能な官僚制というものがあるのかどうかは僕にはわからない。)

ファンジビリティについて:元々日本の援助ではあまり顧みられることがなかった概念だが、今後もっと注意して見ていく必要があると本書は肯定的に主張している。

PRSP(貧困削減戦略ペーパー)について:川下でのプロジェクト援助だけではなく、調査分析作業のような川上にも投入できる人員の拡充が必要だと主張している。

対中援助について:縮小の方向性には理解を示す一方で、中国の苦悩をも共有する隣人としてのリアリティを日本は持つべきとも本書は述べている。(内陸農村部の高齢化問題では、一緒に知恵を絞って対策を考えていく余地はあるような気がする。)

以上のような整理をして講義は締めくくったが、振り返ってみてもやっぱりいい本だったなと思う。
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コメント 1

mika_m

渡辺先生は開発理論の先駆者ですよね。先生の先を見通す目の鋭さには定評があって「先生の予測はいつも当たるんだよ」と、ある新聞記者が言っていました。
でも、渡辺先生は「本書の最後の部分は、少し違ったかな」と仰っていました。外務省一本化がよかったのかどうか、まだ答えが見えていないのではないでしょうか。もちろん、現場はひたすら業務に励むのみです。
by mika_m (2011-08-17 19:27) 

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