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『渋沢栄一』 [シルク・コットン]

渋沢栄一――社会企業家の先駆者 (岩波新書)

渋沢栄一――社会企業家の先駆者 (岩波新書)

  • 作者: 島田 昌和
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/07/21
  • メディア: 新書
内容紹介
長年にわたって近代日本の実業界のリーダーとして活躍した渋沢栄一(1840-1931)。経済政策に関する積極的な提言を行う一方で、関わったおびただしい数の会社経営をどのように切り盛りしたのか。民間ビジネスの自立モデルを作り上げ、さらに社会全体の発展のために自ら行動しつづけた社会企業家の先駆者の足跡を明らかにする。
珍しく新刊をご紹介したい。先日、別の本を探しに書店で物色をしていてふと目に止まり、気になったので買ってしまった。年譜だとか参考文献リストとか、そのうち参考になるかもしれないと思ったし、あまり本格的に渋沢栄一の伝記を読みたいというわけでもなくさらっと理解できればそれでいいと割り切っていたので、レファレンス用として手元に置いておくならこれくらいの新書サイズのがちょうど良いと考えた。

先月下旬、群馬県伊勢崎市境島村を訪れた際、埼玉県深谷市の「血洗島」という変わった地名の土地をたまたま通りかかった。渋沢研究者ならご存知かと思うが、血洗島は渋沢栄一の生家があるところで、今も資料館があったりする。そう、青年時代に家業で蚕種を売り歩く行商をやっていたという渋沢は、蚕種で有名な島村からとても近い土地で生まれ育ったということなのである。本当はその頃のことがもっと描かれていたら嬉しかったのだが、渋沢の立志伝の醍醐味は血洗島を出て江戸に出てきてからのことだから、養蚕のことがさらっと書かれていてもそれはやむを得ない。

また、出来るなら東京高等商科学校や京華商業の設立経緯だけではなく、東京高等蚕糸学校(東京農工大学)の設立の経緯についても言及して欲しかったと思う。申すまでもなく、僕の関心は養蚕と渋沢栄一の繋がりにある。従って、渋沢に繋がる人脈についても、蚕糸関係者の人脈がどれくらいあるのかをもっと知りたかったと思う。もしこういう切り口で渋沢栄一論を述べている文献があったらどなたか紹介して欲しい。いなければ僕自身でも少し調べてみたいと思う。

ついでに言えば、1872年に田島弥平らによって島村に設立された蚕種会社「島村勧業会社」も株式会社だが、渋沢の勧めで設立されている。(1988年に解散し、島村に蚕種製造の灯が消えたわけだが。)だから、描きようによっては「養蚕と渋沢」というテーマであれば1章ぐらいは書ける可能性があると僕には思える。

このテーマとは別に興味深かったのは、渋沢が蓮沼門三が創設した青年社会教育団体「修養団」(現・公益財団法人修養団(SYD))を支援していたという話。僕の父は戦後修養団の研修で東京や伊勢に行ったことがあるし、僕はその繋がりもあって高3の夏にクラスメート2人と敢行した東京の大学の下見で、千駄ヶ谷の修養団の宿泊施設に1泊させてもらったことがある。さらには、大学入学して最初の2年間、目白にあった修養団の学生寮にお世話になった。僕の場合は寮生はしていたけれども特段何かしらの青少年活動に参加したわけではない。いわゆる「新人類」の第一世代だった僕らは、社会人になる前からある意味「新人類」だったので…。ただ、渋沢がなぜ修養団と蓮沼を支援したのかという背景を知るにつけ、僕は学生時代に何かしら大事なことを逃してしまったのではないかという後悔の念に襲われてしまった。

こういう本を読むことで、昔何気なく通り過ぎてしまったものの歴史的価値について改めて見直す機会ができ、さらに父が若い頃に関わっていたことに対する興味も掘り起こすことができた。今この記事を書いているのは帰省中の実家の寝室であるが、本書を読んだお陰でそれを話題にして父と話すことができ、そこから父が東京に初めて出てきた昭和28~29年当時の話をより掘り下げて聞くことができてとてもよかった。父は東京で小金井の光華殿とか代々木の日本青年館とかを訪ねたと言っていたが、僕らも東京に戻ったら少し武蔵小金井界隈を歩いてみようかと思っている。

そんな意外な出会いもあった作品だった。まあ、渋沢の才能やネットワークがそれだけマルチだったというわけだが。
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