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帰郷(2011年夏) [備忘録]

残暑お見舞い申し上げます。

あっという間に5日間の里帰りは終わってしまった。いつもならまとめて日曜日に「週報」として記録を残しておくところなのだが、里帰りは里帰りで特別な時間だったので、そこだけ切り出して何をやっていたのかを纏めておこうと思う。

今回はいつもと違い、小2の末っ子だけを連れて、電車で帰省した。上の子供達が中学の部活とか塾の夏期講習だとかで忙しかったから東京に残ることになり、自動的に妻も居残りに。そのため、いつもなら自家用車で帰省していたものを、今回は電車に切り替えた。

8月6日(土)
朝7時45分に自宅を出て、バスと在来線を乗り継いで東京駅到着。そこから新幹線のぞみ号に乗り込む。息子は本とか雑誌といった読み物を何も持ってきていないことがわかり、新幹線の車内で過ごした2時間弱、息子の相手で少し骨が折れた。こちらもろくに自分の携行した本も読んでられないし。名古屋で下車して在来線に乗り換え、実家から最寄りのターミナル駅で下車。迎えに来ていた実家の両親と待ち合わせ、駅近くのモールで昼食と当面必要な衣服の買出しを行った。帰宅してからはアポ取り。帰省中に会っておきたい人が2人いた。

8月7日(日)
1)虫取り:朝から網を片手に息子とともに虫取り。網を使ってセミを獲るコツを思い出すまでに何匹か取り逃がしたが、そのうちに俄然調子が上がってきた。定番のアブラゼミだけではなく、クマゼミもゲット。僕らが子供の頃と比べるとクマゼミの生息数は異常に増えたようにここ数年感じていたのだが、シャーシャーと音はうるさいクマゼミのの姿を捕捉するのは難しい。羽根が透明なので木の幹にとまっていると見つけにくいのだ。(もっとも、それ以前にクマゼミを探すような目的意識を持ったこと自体がなかった。)そのうちコツがわかってきて、クマゼミもかなりの高い確率で捕獲できるようになった。ついでに、僕の必殺技だった「アブラゼミ手づかみ」のも息子に披露して大威張り。オスとメスを捕まえてお腹を息子に見せてその違いを解説し、なぜオスしか鳴かないのかを理解させたりもした。ちなみに、獲物は全てキャッチアンドリリース。セミが地上で鳴くのは、一生の最後の数日間しかないのだから。この他にも、ミンミンゼミ、カマキリ、バッタ、ハグロトンボ等を捕獲。息子も自分で捕まえて昆虫をつかむ貴重な経験ができた。

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《クマゼミ、ゲットだぜ!》

2)高校同窓会総会と懇親会:この日の午後開催されたメーンイベント。高校卒業30年目にあたる僕らの年次が懇親会の幹事になっており、僕のクラスで世話人をやっていたH君から来るようにと念を押されていたから出た。6月に南インドで農村調査をやっている最中にメールをもらい、数日不在の後でデリーでメールチェックして気付いて「出席」と返事した。どのみちその頃は帰省していることが普通だったし。ただ、わざわざ東京から戻ってきて総会に出るような物好きはそんなにいなかったみたい。地元に残っている人は普段から何らかの形で横の繋がりがあったようだが、僕など住所を転々と変えて今日に至っており、とっても申し訳ない上に、居心地の悪さも正直感じた。

3)剣道部:同窓会会場に剣道部の元同僚はいるのかなと思って見回したけど、あまりおらず、今でも剣道やってるぜと言って胸を張ってやることもできなかった。唯一嬉しかったのは、1年後輩のテーブルに懐かしい顔を見たこと。30年振りなわけだが、よくぞまあ向こうから声をかけてきてくれた。このMさん、今はママさん剣士で僕と同じく三段なのだそうである。高校時代、この学年は女子が3人いて、その中では必ずしも強いとは言えなかった子だと思うが(僕も同じような立場…)、長く続けていればいいことあるよなぁと改めて思った。

4)学年懇親会:全体総会と懇親会が終了した後、僕らの学年の全体の懇親会というのも場所を移して開かれたので流れで出た。出席されたのは40人で、460人いた僕らの学年総数の1割満たなかったが、僕がいた3年時のクラスは昨年末に一度クラス会を開いているので、比較的集まりが良かったようだ。出席していた40人全員が自己紹介をやったが、「息子が大学卒業して就職して手が離れた」という方が結構多くいらした。20代前半で結婚していれば十分そうなる計算で、考えてみれば当たり前の話なのだが、末っ子が未だ小2の僕にはかなりの衝撃であった(苦笑)。

皆さんの話を聴きながら、1年から3年まで、僕はどこのクラスにいたのかを思い出してみた。1年の担任は数学のT先生で、お陰で数学が嫌いになれた。2年、3年はそれぞれ英語のH先生とM先生。M先生には1年時の英文法も習っていた。当時の母校には数学を嫌いにしてくれる先生は結構いらしたが、英語の先生には恵まれていたと思う。M先生の目が黒いうちはできるだけ毎年クラス会やろうと盛り上がったのはよいが、「来年はお前が幹事やれ」と言われた。まあ高校卒業時の僕が立場上やるべきだったのに、上京してウヤムヤにしていたところがあるので、確かに僕はこの点では罪悪感をずっと感じており、引き受けた方がいいのだろうと思う。(次の異動で名古屋あたりで勤務するようになっていたらなおいいんだが…。)本の前宣伝をしておいた。同窓会総会会場外で、OBの方が自費出版された本を販売しておられたが、来年は僕もやらせてもらおうかな…。

4)熱中症:午前中、暑い中を虫取りやっていたのがよくなかったのか、この日は午後から熱中症のような感じになってしまい、15時以降ずっとビールを飲んでいたこともあって、学年懇親会が終わった頃にはふらふらになっていたので失礼させてもらうことにした。

8月8日(月)
1)アブラゼミの羽化シーン:この日から、近所の神社の境内で行なわれている朝のラジオ体操に息子が祖父母とともに参加。帰りがけに神社の鳥居にへばりついてまさに羽化しようとしているアブラゼミを発見した。留守番していた僕まで呼び出されてデジカメで写真撮影しながらしばし観察。これは貴重だ。田舎育ちの僕ですら2、3回しか見たことがなかった。この夏、小2の息子はホントいい経験をさせてもらっている。

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2)映画:朝のうちに映画館に息子を連れて行き、「海賊戦隊ゴーカイジャー」、「仮面ライダー・オーズ」の映画2本立てを観た。まあこれは息子の退屈しのぎということで、長男でも一緒に帰省してきてくれていれば、長男に引率役を譲って僕は喫茶店で本でも読んでいられたのだが(苦笑)。右目の乱視がひどい僕は、新しいメガネを作った時にも言われたが、3D映画が見にくいのだとか。確かに、3Dはあまり機能していなかった。結局僕は遠くも近くも左目だけで見ているのだそうだ。3Dメガネを借りると1本50円レンタル料がかかるらしいが、なんだかもったいない出費だった。

3)南インド農村調査報告①:映画終了と共に映画館外で待ち合わせしていた両親に息子を引き取ってもらい、僕は岐阜市内に住んでおられる元インド養蚕技術協力専門家のご自宅へと向かった。僕が本を書き始めるに当たって最初の頃に一度インタビューでご自宅に伺ったことがあり、今回南インドでの養蚕農家調査を終え、先週原稿を書き上げたので、現地で撮影してきた写真の紹介も交えて今どうなっているのかを報告させていただいた。この専門家が任期を終えてお帰りになられたのは今から10年も前のことになるが、現地ではどんな指導を受けたのか今でも覚えておられる農家の方が今でもかなり多く、しかも指導された内容をかなり忠実に守って養蚕をやられている様子が窺えて、僕自身が嬉しかったし、そんな土産話をできて良かったと思う。奥様も同伴で現地にいらしていたので、奥様もマイソールでお泊りになっていた宿舎の話とかは懐かしそうに聞いていただいていた。

8月9日(火)
1)仕事:前日夜には作業を終えて文書ファイルを職場の同僚に送っておくことになっていたことを朝起きてから思い出し、慌てて朝一番で資料作成をやった。メール添付して送信ボタンを押したのは午前9時――まさにその同僚が出勤してきてメールをチェックする時刻だった。

2)南インド農村調査報告②:午前中に帰りの新幹線の指定席を押さえるためにターミナル駅に行き、その後岐阜経済大学を訪れた。元学長の大迫先生に南インド養蚕農家調査の結果を報告するのが目的。調査を計画する際、大迫先生が1980年代に発表された論文数点を参考にさせていただき、実際にお目にかかって何枚かの写真をお借りした。そこに写っていた養蚕農家の方々にもお目にかかってきたので、その方々が今どうしているのかを写真を交えて報告しておく必要もあった。また、当時大迫先生の受入窓口になっておられたインド政府中央蚕糸局(CSB)のマハデヴァッパさんにもバンガロールでお目にかかり、ご自宅で夕食をご馳走になった上に大迫先生宛のプレゼントまで託されたので、それをお届けしなければいけなかった。残念ながら養蚕農家の中には、今は養蚕をやめてしまったという家族もいたが、いずれも当時よりは経営規模も拡大しており、養蚕はその成長プロセスの中で役には立ったのだと思う。そういうお話ができて本当に良かった。少しばかりの恩返しはできただろうか。
*関連記事は以下の通りです。
 http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22-1
 http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2011-07-02-2

3)墓参りと池田温泉:お昼は1人で外食し、ついでに東京の家族へのお土産も買って実家に戻った。午後は一息ついた後、母方の実家の方のお墓参りに行ってきた。去年7月に母方の祖母がお亡くなりになり、僕も通夜に出席した。一周忌には間に合わなかったので、せめてお墓参りだけはしておきたいと思った。墓地に着いて、少しばかりお墓の周囲の草取りもやっておいた。その後、母と僕、そして息子の3名で池田温泉に行った。数日前から池田温泉そばに「道の駅・池田温泉」がオープンしたが、出店している店舗がそれぞれ別の建物になっていて、客の立場からは入りづらさを感じる。どこかの店舗にいったん入ってしまったら、逃げ道を塞がれてしまうような感覚に襲われる。道の駅では、以前お世話になった美濃池田国際交流を考える会のIさんにもたまたま偶然お目にかかった。次はフェリシモの「ピースバイピース・コットン」プロジェクトのご紹介で、講師もご紹介できます(内諾取り付けてあるので)と申し上げておいた。勿論、僕の本が出たら僕も話してもよい。

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《温泉は盛況だが、道の駅の集客力はちょっと未知数かも…》


8月10日(水)
朝、お墓参り。朝食の後、帰省生活の定番のモーニングに行く。週刊誌やスポーツ紙も読まずに両親と最後の談笑。モーニングは結構有効な社交場だと思う。いったん実家に戻って高校野球のテレビ観戦。日大三高が勝つのを見届けた後、家を出てターミナル駅に向う。途中のコンビニで別送荷物の手配。改札で父と別れ、列車を乗り継いで15時過ぎに東京・三鷹に帰ってきた。

【全体を通じて】
1)息子は得がたい経験をしたことと思う。学校の宿題の絵日記に書けるネタは相当に集まったのではないだろうか。あとはちゃんと書かせることか。忘れないうちにやらせないと…。

2)車で移動する際、東海ラジオ『かにタク言ったもん勝ち』、『聞いてみや~ち』を聴いていたが、えらい面白い。これらを聴ける東海地方の人々は幸せだと思う。

3)毎晩両親と晩酌をやって過ごした。21時にはもうかなり眠くなっている息子と一緒に寝室にこもり、酒が抜けるまで一眠りして、それから起きて読みかけの本を読むような毎日を過ごした。お陰で読書は結構進んだ。

4)純粋に休養とは言い切れないこともやっていたけれど、これまでの帰省とはちょっと違う過ごし方にはなったかも。連日日中の最高気温が36~37℃という中でエアコンも使わずに過ごしていたので、体が慣れなくて少々バテ気味。僕も弱くなったものだ。さすがに夜は熟睡するために弱めの冷房は入れて寝た。

【休暇を明けてみて…】
本当は11日(木)まで休めないかと妻に言われていた休暇を1日切り上げて出社してみたところ、上司からお呼びがかかり、先週書き上げた本の原稿について、修正の指示を幾つか受けた。明日までに終えなければいけない加筆に加え、来週1週間で完全に原稿を仕上げよとのこと。編集担当とのやり取りでぼちぼちやっていこうと思っていたが、その前に短期決戦で作業を終えなければならない。本当は道場の暑中稽古が始まる19日(金)から残りの夏休みを消化してしまおうと考えていたが、そんなわけにもいかなくなってしまった。この調子だと、節電対策のために絶対7日取れと言われているノルマすら消化できないかもしれないなぁ…。
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