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14.ある母親の自己犠牲 [S.D.Gokhale]

Gokhale1.jpg 一時私はハンセン病療養所の所長を務めていたことがある。そこの入居者に若い頃からハンセン病を患っていた年老いた1人の女性がいた。彼女は既に完治していたのだが、自分の家のある村に戻るのを拒み、療養所にとどまり続けていた。

 彼女のベッドのそばの壁に、割れた鏡がかかっていて、私は彼女が1日に何度もその鏡を覗き込む姿に気づいた。とうとう私は彼女に聞いてみることにした。「アージ(おばさんという意味)、なんでいつもあの鏡を覗き込んでばかりいるんです?あんな小さくてはっきり見えないのに。」

 「息子よ、わたしゃ鏡で自分の過去と未来を見てるのさ」――彼女は怪訝そうな表情を浮かべながらそう答えたが、それ以上説明しようとはしなかった。私は丁寧に尋ねたにもかかわらず。彼女が話したくなさそうだったので、私はそれ以上聞くのをやめた。

 ある日、県の新しい徴税官補がわが療養所を訪ねて来るとの連絡を受けた。その徴税官補の名前と出身地を知ると、彼女は私にこう嘆願してきた。「息子よ、お願いだからその男を私の部屋には連れて来ないでおくれ。」

 「アージ、あなたがそうおっしゃるのなら、そうしましょう」――私はそうすることを約束した。「でも、理由を教えて下さい。」

 「後で話します。」――彼女はそう言って話を打ち切った。

 この徴税官補が療養所での用件を終えて施設を後にすると、女性は私のところに来て、約束通り彼女の話をしてくれた。「あの徴税官補は私の血と肉から生まれてきた息子だから会いたくなかったのさ。私がハンセン病を患ったのは息子がまだ赤ん坊だった時のことさ。息子が負の烙印(スティグマ)を押されて村八分にされたり、夫や息子がトラウマを感じたりしないように、私は夫に誰と再婚しても自由だと告げて、自分の意志で家を出て行ったのさ。」

 「でももう完治してるじゃないですか。」――私はこう反論しようとした。

 「あの息子ももう立派な大人でしかるべき役職にもついている。自分の母親がハンセン病だったということが息子の地位や幸せを台無しにしはしないかと心配だ。私はそうなって欲しくはない。私は確かにもう完治しているけれど、今頃になって彼のところに出て行って生活を混乱させたくないのさ。私はここに残るよ。息子が人生の中でとても名誉ある仕事を達成したのがわかっただけでも幸せだよ。割れた鏡の中だったら、私は今でも彼が赤ん坊のように見えるし、政府の高級役人にまで上りつめた彼も見える。鏡の世界にいることで私は十分幸せなんだよ。彼の成功に水をさすようなことはしたくないのさ。今も、そして将来もね。」――女性はこう締めくくった。頬を涙が濡らしていた。
タグ:ハンセン病
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