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『雑草の花』 [読書日記]

雑草の花 (戦後ニッポンを読む)

雑草の花 (戦後ニッポンを読む)

  • 作者: 三浦 朱門
  • 出版社/メーカー: 読売新聞社
  • 発売日: 1998/01
  • メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)
初期の海外青年協力隊の活動を事実に基づいて描いた物語。若々しい情熱で困難に挑戦する青春群像を中心に、協力隊のプラス・マイナス両面、南北問題を描く。再刊。
佐高信があとがきで書いていることを先ず紹介しておく。

これは青年海外協力隊(JOCV)の物語である。JOCVはケネディが提唱した米国平和部隊(PeaceCorp)の発足とほぼ同時期、当時の青年運動組織や政治家の働きかけにより1965年にスタートした政府事業である。技術協力が中心というところで平和部隊と違っている。春と秋に募集する隊員の応募資格は20歳から原則35歳まで(現在はボランティアの解釈が変わって、応募時に39歳までがJOCV、40歳以降はシニア海外ボランティアと呼ばれる)、学歴、性別を問わず、医師、看護師、柔道のインストラクター等、職種は100を超える。

しかし、こうしたことをいくら並べ立てても、隊員の現地での奮闘ぶりを伝えることはできない。それで、「協力隊を育てる会」の理事でもあった小説家・三浦朱門は小説を書こうと思い立った。初めは、協力隊発足10周年の記念企画で、中根千枝や衛藤瀋吉、鳥羽欽一郎らの研究とは別に、三浦はルポルタージュを書こうとしたが、ルポの場合はプライバシーとかいろいろ問題があるので、途中から小説に切り替えたのだという。

フィリピンを舞台にしたこの小説も、「人間は組み替えているが、個々の話は事実」だという。フィリピンを選んだ理由は、一番古い派遣国で、人数も多く、職種もバラエティに富んでいるので話が特定されにくいこと、津々浦々、どこへ行っても英語が通じるので取材がやりやすいと思ったからだという。

カッコよさなど求めず、「自分の力を試したい」と困難に挑戦する若者が、この日本にも確実にいたということが、小説からは強烈に伝わって来る。

JOCVのプラスもマイナスも隠さずアピールしようという動機から生まれたこの小説は、「南北の格差」を鮮明に浮かび上がらせているという意味で、「南北問題」を描いた優れた経済小説である。

―――と前置きが長くなった。つまり、1998年再刊となっているものの、オリジナルは1976年に発表されている。だから、1998年当時のJOCVを多少は知っている僕も、読み始めて暫くの間は描かれている時代が少し古いような違和感を感じた。

違和感を強烈に感じたのは、主人公・木島貞一のバックグランドである。マニラ事務所長として赴任した彼は、今でいえばJICAのフィリピン事務所長である。しかし、この人、①所長としての仕事はJOCVだけをカバーしていて、他のODA事業の話には全く関わっていないし、②元々大学で国文学を教えていた学者だが、社会人採用で職員となり、国内でJOCV訓練所副所長を経て、マニラ事務所長として赴任しているし、③事務所の日本人スタッフが本人を含めても4人しかいない。昔のことはよくわからないが、フィリピンも当時は「協力隊調整員事務所」と呼ばれていたのかもしれない。今で言う「ボランティア調整員」を社会人採用のJICAの職員が務めているようなものなのだが、今ならちょっと考えにくいバックグランドの人である。

そして、この首席調整員を主人公としたことにより、確かに任国各地にいる複数の隊員の姿は描けるものになったが、木島の不倫問題とか、余計なエピソードが入っているお陰で、隊員の姿が霞んでしまったところがあって残念に思う。妻子ある調整員がこんなことを考えているというのが「ありのまま」と思われると、世界各国で派遣されるJOCVのケアや要請開拓等を行なっている調整員の業務について、間違った理解を読者に植え付けかねない。相手国政府の援助窓口機関のトップが若い女性で、日本側トップの首席調整員と恋に落ちるなどという事態は、今世界中のどこの国を探してもあり得ないと思う。

いずれにしても、著者もいろいろお考えのところがあったのかもしれないが、調整員を主人公にしたために、隊員ひとりひとりの姿が調整員から見た断片の部分しか読めないのは残念だった。とはいえ、昔のJOCVってたとえフィリピンであってもこんな奥地に1人で派遣されていたのかというのには驚かされる。登場する隊員の派遣前の境遇などが描かれていないので単に想像の域を出ないが、この当時の日本と途上国とは今ほどの発展度合いの格差はなかったから、日本の農村で昭和20年代に少年時代を過ごした若者たちにしてみれば、途上国の田舎であろうとさほどの違和感はなかったのかもしれないなと思う。

僕が駐在していたインドでも、1960年代にJOCV派遣が始まり、1970年代半ばに中断したが、当時派遣された隊員の方の回顧録などを読むと、本書に描かれている隊員の姿とダブるところが多い。当時は、ビハール州アラーやムザファルプール、今でいうチャッティスガル州の州都ライプールや南部バスタール県等、今なら全く考えも及ばないような「奥地」に隊員は派遣されていた(稲作や農業機械の隊員が多かった)。「満天の星空を仰ぎながら故国に思いをはせて涙した」なんて述懐は読んでいてこちらが泣けてきた。

余談ながら、今インドに派遣されている隊員の方々のブログをご紹介しておく。2006年から派遣再開されて、主に日本語教師と柔道で派遣が行なわれている。こうやってブログで日本の読者の方々とリアルタイムで繋がっていられるというと、いい世の中になったものだなと思う。何ヶ月かぶりで日本人に会って、「しばらくはまともに口がきけず、1時間ぐらいいると、セキを切ったように話し出す」隊員が実際にいたという1970年代のJOCVと比べてみると、隔世の感がある。

「はれときどきゆめ」
http://hareyume.blogspot.com/

「平和郷の日本語教師IN INDIA」
http://santisanti.exblog.jp/

「プネの…」
http://puneindia.blog99.fc2.com/
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コメント 3

mika_m

昭和隊員と平成隊員はかなり違いますよね。調整員の不倫話など、全然驚きません。私も、しばらく自分が協力隊出身者であることが恥ずかしかったくらい、同様の不愉快な事件に巻き込まれましたから。
でも、今思えば、あの狂気は洗礼みたいなもの。それが生の人間の活力であり、理不尽で不条理で何でもありの混沌とした世界で生き抜く意味を教えてくれたのかもしれません。
日本人はきれい事に染まって、もう生命力を失い掛けていますよ。ばかげた生命力を持っていた、協力隊創世期のおっさんたちは、ODAコンサルではまだ現役です。泥まみれになりながら理想を求め、劣等感、敗北感、矛盾を抱えながら正義にこだわっていた人々って魅力的ですよ。きれいなことしか知らない人たちよりも。(これは好み問題かもしれませんが…)
by mika_m (2011-05-21 04:35) 

Sanchai

調整員の不倫話がこういう活字メディアを通じて一般化されるのはどうかと思うんですけどね。
by Sanchai (2011-05-21 07:40) 

mika_m

すみません、読んでいないのでどの程度一般化されて書かれたものかわかりません……。(反省)
by mika_m (2011-05-21 23:56) 

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