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週報(3/13-3/19) [備忘録]

震災から1週間以上が過ぎた。行方不明者の捜索、被災者の救護、救援物資の輸送、さらには東電福島原発事故への必死の対応が展開される中で、僕達首都圏に住む人間の生活への影響もそれが当たり前だと思えるようになり、少しは落ち着いてきたように感じている今日この頃だ。やれ計画停電、やれ大停電の恐れと騒がれた割には停電は最低限に抑えられているようで、思っていたほど停電の頻度も高くはない。東電の電力需要予測がどうなっているのかと思われる人もいるだろうが、僕はこの点に関しては東電はよくやっていると思っている。ギリギリのところで需要を見極めているからこうなっているのであって、需要が予測を下回っているということは、具体的な危機感が持たれた時の日本人の対応力、団結力の凄さを示すものでもあるが、その一方で、東電が予め輪番制のスケジュールを地域住民に事前にアナウンスしていることも大きいし、しかもそれが自治体のHPや有線放送でもアナウンスされて、住民に周知されていることも大きいと思う。

これが米国なら、電力消費をその水準まで下げること自体が難しいだろうし、途上国なら、地域住民にスケジュールを予め知らせるようなこともせず、有無を言わせず電力供給をストップさせるような荒々しいやり方をするだろう。住民も慣れっこになり、だいたいこの時間からこの時間までは停電になるからというので生活サイクルをそういうのに慣らしてしまっている。最もひどかったのはネパールのカトマンズで、夜20時から朝まで停電で、暗くなったら寝るしかないという生活を、2009年4月に短期滞在した時には強いられた。

職場も18時を過ぎたら追い出され、飲み屋で一杯という気持ちにもなれずに自宅に帰って家族と食事する。電気があるうちにそそくさと全員が風呂を済ませ、とっとと寝てしまう。地震で目が覚めることも度々あるが、それでも6時間は寝て、その上生活スタイルが朝型に移りつつある。インドやネパールでの停電生活の経験から最も心配したのはインバーター(蓄電池)やジェネレーター(自家発電機)を持っていないことだったので、懐中電灯やロウソクを常に手元に置いておくことにしたが、それもあまり使わずになんとか生活できている。

不謹慎な言い方かもしれないが、これで京都議定書の目標達成にはかなり近付けるのではないかと思う。ラジオでは散々言われている、この震災が日本人のライフスタイルを根本から見直すきっかけとなるのではないかと。


今週は、既報の通り、14日(月)から16日(水)まで、初期の混乱を最低限に抑えたいということで僕らは自宅待機・在宅勤務となった。在宅勤務だから仕事をしたのかと聞かれると、市内の図書館へ行って調べものをしたり、読みかけの資料は読み込んだりはしたものの、正直フルタイムで働いていたわけではない。

例えば、大地震発生当時に市の公会堂を使って行なわれていた長男の中学校の吹奏楽部の発表会は、地震の影響で急遽中止されたが、その振り替え演奏会が16日(水)に中学校で開催されることになり、先約のあった妻に代わって僕が出席した。長男も演奏に加わっていたからだ。

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演奏を聴きながら、中学校がわざわざ振り替え演奏会を開いてくれた理由もわかるような気がした。どこまで自粛するのがいいのかはわからないが、子供達から目標としていたものまで取り上げる必要まであるのかどうかは疑問だ。うちの近所の町道場は、震災の翌日も稽古をやった。21日に予定されていた市内の社会人大会は中止になり、僕は目標を失ったけれど、13日(日)の少年剣道大会は予定通り開催された。春の選抜高校野球大会も開催されるのはいいことだと思う。

在宅勤務だったとはいえ、僕の会社は情報政策が厳しいので、会社で使っているメルアドに届いているメールのチェックが外にいるとできない。元々職場を離れたら仕事に追われるのは嫌だと思っていた僕は自宅でメールチェックできないデメリットなど今まで考えたこともなかったが、大地震発生以後のメールが自宅からだと全く読めないのは不便だと思い、14日(月)はママチャリをこいで1時間30分かけて出勤を試みた。実際にメールボックスに届いていた中には、昔住んでいたインドや米国の知人から無事かどうかを尋ねるものが結構多かった。さらに2日の在宅勤務を明けて職場に復帰してみると、無事かどうかだけではなく、被災者へのお見舞い、日本の復興を祈願する祈りのメッセージなどがさらに何通か届いていた。

とりわけ僕が嬉しかったのは、僕がインドを離れる直前に最後の個人旅行で訪れたマハラシュトラ州プネ郊外のある村の村人から、そこで活動しているNGO経由でメッセージが届いていたことだ。簡単に外国の情報が届く村ではないと思うが、そんなところにまで震災の話は伝わっており、そして、これまで交流してきた異国の人々が住む国で起きた大災害に心を砕いてくれる方がいらっしゃるというのは嬉しいことだと思う。

それだけではない。ファーストネームしか差出人名が書かれていないお見舞いメールを受け取り、誰だか顔が思い出せず、メルアドを頼りに調べてみたら、マディアプラデシュ州インドールの綿紡績・織物縫製工場の社長さんだった。仕事のクライアントを案内して一度だけ訪問したことがあったが、結局ビジネスパートナーシップは構築できなかったので僕自身が忘れてしまっていた。

僕がインドで働いていた職場の現地人スタッフも、職場内で義捐金を募り、寄付したいと本社に伝えて来ているそうである。運転手や庶務のスタッフが1,000ルピーも寄付するのは相当な負担だったのではないかと思う。胸が熱くなる今週の出来事だった。

心配して下さる方々にちゃんと近況を職場以外の場所からでも知らせられる手段を確保した方がいいと考えた僕は、今週、急遽ソーシャルネットワーク・サイト「フェースブック」にアカウントを開設した。暫く音信が途絶えていたような人も探して友達登録を重ねることができ、30人ほどとの連絡はすぐ取れるようになった。僕の知り合いにはシニアでSNSなど利用されない方も多くいらっしゃるため、これで十分だとは思わないけれど、これも今週の大きな出来事だった。
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rezare

私も新興国に何年か住んでいたのと、子どものころには日本でも
今よりずっと頻繁に停電があり(特に田舎だったから?)、
気持ち的に停電には慣れっこです。

もともとは、私たちの生活が大量のエネルギー消費を前提に
成長してきたことが、今の「困った」につながっているのも事実。

もちろんそれは国民一人一人の責任とは言えませんが、
「この明かり、いらないじゃん」と無駄に気づくいいきっかけ。
長期的な省エネルギーにつながる展開になるといいですね。
by rezare (2011-03-21 16:39) 

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