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7.男か女か [S.D.Gokhale]

この記事は、予約投稿機能を使って掲載しました。
日本人の1人として、計画停電には積極的に協力していきたいと思います。

Gokhale1.jpg 市民フォーラムはマハラシュトラ州首相に対し、ムンバイ(当時はボンベイ)の市民がヒジュラ(去勢された男子)からの嫌がらせを辛抱していることについて、苦情を申し立てたことがある。こうした女装者(ヒジュラたち自身の言葉によれば)は常に人々を追い回し、信号機で立ち止まったりバス停で待っていたりするとお金を要求し、道を我がもの顔で闊歩しているという。ヒジュラたちは脅威になりつつあったのだ。

 社会のこうしたセクションの人々に関する私の知識は大変限られていた。先ず、彼らは女性のような衣装を着て女性のように暮らしている男性だった。彼らのことをバイセクシャルだと見なす人もいたが、両性具有者だと信じる人もいた。が、殆どの人は、ヒジュラは心理的に問題を起こしやすい人々で、大衆にとっては迷惑な人々だという点では同意していた。

 ヒジュラたちは街で物乞いをし、人々に嫌がらせをしていたため、物乞い法はヒジュラ逮捕にも適用することができた。このため、彼らは私が監督官を務めていた物乞い収容施設にも送還されてきた。ヒジュラ抑制キャンペーンの初日、100人近い女装者が逮捕され、以後4日で900人近い女装者が我が収容施設で拘留されることになった。

 収容施設にこれだけの数の女装者を集めたことで、市民病院の2つの研究チームが関心を持った。1つは世界保健機関(WHO)コンサルタントのアン・プライス博士がリーダーを務めるチームだった。女装者は伝統的に、半分男性で半分女性だと信じられてきた。しかし、プライス博士のグループは、収容施設にいるヒジュラの1人としてバイセクシャルだと分類できる人がいないことを発見した。

 博士は、ある子供がとても速く階段を上っていくことができるのに他の子はそれができないのと同じで、階段の途中でつまづき、助けを求めて泣きわめくように、人の発達は時として止まり、注意を引こうと試みることがあると説明してくれた。たまに男の子が自己愛に目覚めてナルシスト的傾向を発達させることがあるかもしれない。この特異な行動がいつしか注目を集めるようになり、生物学的な異常というよりも心理的精神医学的な異常と言った方がよい状況に繋がっていったという。


 2つ目の研究チームは頭につくシラミについて調べることを目的として施設にやってきた。物乞いや女装者の多くは髪が長く、かつきれいにはしていないため、科学的調査研究には十分豊富な数のシラミが生息できる完璧ともいえる環境を提供している。

 通常、物乞いが施設に送られてきた時、彼らはただちに強制的に入浴させられる。しかし、ヒジュラの場合、この研究者チームが頭からシラミのサンプルを採集している間、入浴プロセスを延期せざるを得なかった。それはそれは見ものではあった。研究者達は採集皿とピンセットを持って女装者に近付き、彼らのからまった髪から「研究対象」を遊離するのだから…。この一連の作業は女装者達をすっかり喜ばせた。

 女装者達はウルミラとかシャルミラといった可愛らしい名前で、ふだんはサリーとブラウスを身にまとい、サリーをたくさんのピンでとめ、髪にはリボンを付けていたが、私はこの新たな入所者が男性であるとかなりの確信を持っていた。このため、私は施設のスタッフに、必ず全員に髪を切らせ、入浴後はシャツとショーツを着せるよう命じた。

 これを聞くや、女装者達は私のオフィスに押し寄せてきた。自分達は男ではなく女だ、私の命令には従わないと叫んでいた。私が命令を撤回しなければ、髪につけたリボンを引きちぎり、サリーのピンを外して、この場で衣装を脱いでやると。

 ひるむことなく、私は断固とした口調でこう言った。「やりたければやりなさい。それでも私はあなた方にはシャツとショーツを着てもらいます。」幸いにも彼らは私が無視する態度を見せたことを決意の固さとしてとらえ、ゆっくりと私のオフィスから出て行った。

 看守長はこうして、女装者を施設の朝の訓練や行進に参加させるよう命令を受けた。数日後、看守長は私のオフィスに頭を抱えながら入ってきて、休暇の取得を認めてほしい、でなければ担当を変えてほしいと求めてきた。

 「どうしてかね?」私は尋ねた。

 「先生、私が申し上げた2つの選択肢のどちらかを取らないと、私は女装者みたいになってしまいます。彼らに正しい訓練をさせたり、運動や行進をさせたりするのは非常に難しく、彼らはいつも自分達が女性であることを強調する振る舞いでそれらを行ないます。歩く時はいつも体を左右にくねらせながら歩きます。手をばたばたと叩いて大声をはりあげます。先生、お願いですから休みを下さい。」彼はこう嘆願した。

 確かに、女装者にリハビリを施すのは本当に難しい。私達は結局、この女装者達が自分で育ててきた心に最も適切と思われるスキル――編み物や機織り、料理といったことを教えることになった。しかし、彼らの心まで変えることはできなかった。施設での拘置期間を終えると、彼らは解放され、社会へと帰って行った。

 しばらくして、私の妻が数日間両親を訪ねようと準備をしていた時、妻は、物乞い施設に入所していた女装者2人と偶然会った。彼女の予定を聞くや、彼らは妻にこう言った。「奥様、あなたはご両親の家を安らかな心で訪ねることができますわ。ご主人のことは心配なさらないで下さい。ご主人は私達の手の中にいて安全ですわ。私達がご主人の面倒は完璧に見ますからね。」

 この言葉を聞き、怯えた妻はただちに予定をキャンセルした。
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