『桐島、部活やめるってよ』 [朝井リョウ]
内容(「BOOK」データベースより)本書はおそらく発刊当時に読んだ人が多く、今さら月並みなコメントを書いてもしょうがないだろうし、重松清ならともかく、今さら高校を舞台にした作品などオジサンが読んでどうすると突っ込まれもするだろうから、ちょっと違った視点から紹介する。
バレー部の「頼れるキャプテン」桐島が、突然部活をやめた。それがきっかけで、田舎の県立高校に通う5人の生活に、小さな波紋が広がっていく…。野球部、バレー部、ブラスバンド部、女子ソフトボール部、映画部。部活をキーワードに、至るところでリンクする5人の物語。第22回小説すばる新人賞受賞作。
実は作者の朝井リョウは、僕の高校(岐阜県立大垣北高校)の後輩である。読む際の動機ではなかったのだが、登場人物のセリフが妙に岐阜の方言が入っていたのが気になり、それで調べてみたところ、案の定そうだったというわけだ。北高には映画部や女子ソフトボール部はなかったので、描かれている場面をそのまま北高とその周辺の施設にあてはめて読むことは難しいけれど、作品に登場する「マック」がどこのマックを想定していたのかは容易に想像がついたし、登場人物が電車通学などしているものなら、ああこれは作者が住んでいた不破郡を想定しているんだなと想像した。
そういうことを楽しみながら、途中からは読むことができた。
「読書メーター」のコメント欄で、「お洒落で目立つグループにいれば「上」で、それ以外は「下」というふうに、暗黙の了解で各自が住み別けているクラスが、気持ち悪いぐらいリアル」とコメントされている方がいた。朝井君と比べたら僕は25年以上先輩なのだが、そんな僕も高校3年間過ごした各学年のクラスでそういうのが確実にあるというのを実感したし、最近見た卒業アルバムでも、3年の時のクラスの生徒の顔写真を見れば、誰と誰がつるんでいたのかは、パーマのかけ方を見てればだいたい想像がつく。但し、女子に関しては昔はスカートの丈が普通の生徒よりも長かったのが「上」のグループの人たちだった。今の北高はスカート短いのだろうか(苦笑)
では僕自身がどうだったのかというと、「上」でも「下」でもなかった気がする。本作品で描かれている「上」のグループとは、体育会に所属し、そこそこ運動ができ、でも校則すれすれのところまで服装に手を入れてチャラいというタイプのクラスのほんのひとにぎりの人たちであり、逆に「下」のグループは、文化系の部活所属で運動とは縁がなく(縁が遠くなってしまった)、校則遵守の極めて普通の服装で、勉強でもさほど外さないというタイプの人たちである。でも、僕は体育会所属だったし、コードすれすれではないにせよ、化繊のワイシャツを第1ボタンまでとめて、学生服もフックまでちゃんととめているようなタイプの生徒ではなかった。マイノリティだったかもしれないが(単に人づきあいが苦手だともいう)、そういうタイプの生徒も当時はいた。今のクラスにもいそうな気がするがどうだろうか。
先日その高校3年の時の同窓会があったばかりなので余計にそう思えるが、こうして「上」と称されるグループにいた男子4人、女子4人ほどのグループの人は、卒業後10年以上経過してもお互い連絡を取り合っていて、そのあたりを中核にして、同心円的に人の付き合いが広がり、それが同窓会の開催の際にも機能するのではないかと思った。
さて、同じ北高の後輩で作家になったという輩に中村航君がいる。『100回泣くこと』を読んで世代のギャップを感じてそれ以後他の作品を読む気を無くしてしまったのだが(世代的には近い筈なのだが…)、朝井君の描く世界の方が僕には親近感があった。それは、彼自身が経験したばかりの荒削りな高校生の生活をストレートに扱った作品だったからではないかと思う。
うちの長男もあと数年でまさにこのストライクゾーンに突入する。「上」のグループではない、確実に「下」のグループのタイプに当てはまるキャラであるが、大事なのはおしゃれで目立つグループにいることではなく、自分がやりたいことをちゃんとやっているのかということなのだというのはわかって欲しいと思う。
コメント 0