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『地元学をはじめよう』 [読書日記]

地元学をはじめよう (岩波ジュニア新書)

地元学をはじめよう (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 吉本 哲郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/11/20
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
いきいきした地域をつくるために何が必要なのだろう?地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、引き出していくことだ。それを実行するための手法・地元学は、いま全国各地で取り組まれ、若い人たちも活発に動いている。調べ方から活かし方まで、自ら行動して地域のことを深く知るのに役立つ1冊。
Merry Christmas!! …と申しつつ、本日の記事はあまりクリスマスと関係ないですね。
少し前に読んだ柳田邦男『「気づき」の力』の中で紹介されていた熊本県水俣の「地元学」について、興味があったので1冊読んでみることにした。吉本哲郎氏の著書は他にもあるが、市立図書館に所蔵されていたのが本書だけだったので、取りあえずこれを選んだ。中学生向けの新書だが、僕らにも非常に分かりやすい記述となっている。

民俗学を地域住民の視線から捉え、当事者として主体的に住民が関わっていく学術的探求の実践のことを「地元学」と言うのかと勝手に想像していたが、読んでみると僕の定義から「学術的探求」の部分は外した方が良さそうだと気付いた。むしろ、最初からまちづくり、むらづくりを参加型でやっていくことを想定した実践手法の1つであるという印象を受けた。そして、「ないものねだりはせず、地域にあるものを探し出し、それを磨いて価値のあるものにしていく」というアプローチは、少し前に僕が4回シリーズで取りあげた和田信明・中田豊一『途上国の人々との話し方』で紹介されていたNGOソムニードの取組みとも通じるところが多いと思う。

この「あるもの探し」で、地域にあるもの、あること、いる人を調べていくにあたって、著者は以下の点に心がける必要があると述べている。
①現場に出かけて調べる。
②外の人たちといっしょに調べる。
③先入観を捨てて聞く。
④対等の立場で聞く。
⑤実際にやっていることや使っているものなどについて聞く。
⑥話しやすい場所を選ぶ。
⑦当たり前に住んでいる人が超一流の生活者だと思って聞く。
 (pp.39-40)
繰り返すが、これは村で対話型ファシリテーションを実践する主体が、外の人か(ソムニード)か、地域の人か(水俣地元学)かの違いでしかないような気がする。地元学の方では広義の地域の住民の視点で、外部者を客観視している。ただ、「自分の経験で推しはかって書かない」とか「意見ではなく、やっていることを聞く。たとえば「農業の経営はどうですか」などと聞くのではなく、田植えはいつか、野菜を植える時期はいつか、茶摘みの時期はいつか、この草はどう呼び、何に使っているかなど、暮らしで実践している事実を聞く」というのは、ソムニードのスタッフがスリカクラムの村で行なっていることと非常によく似ている。

さらにソムニードのスリカクラムの村での取組みと似ていると思ったのは、水俣地元学の実践を通じて、何が調査の対象となっているのかという点である。
◆水の行方
◆有用植物
◆海、山、川での遊び
◆集落の成り立ちの物語
◆職人マップ
◆店を利用するお客はどんな人たち
◆風土とすまい
◆魚や木、ゴミの行方
◆生き物の行方
◆古い道などと自然神
◆新しい道、昔の道
◆環境教育、学習
 (pp.42-47)
先進国か途上国かの違いがあって調査項目にも違いは多少はあるが、地元学がこれらの実践に基づいて作成する「地域情報カード」は、スリカクラムでの「植物図鑑」と非常によく似ているし、地元学で調査した「水の行方」を直接絵地図「水の経絡図」にまとめる作業は、スリカクラムの「小規模流域(マイクロウォーターシェッド)」の模型ととてもよく似ていると思った。

IMGP4055.JPG
《ポガダヴァリ村の小規模流域の模型。住民が作ったもの》

つまり、地元学から導出されるものの1つに「小規模流域」の気付きがあるということなのである。僕は本書の記述を読んでいて、ソムニードが住民に期待していた気付きの内容と酷似していたことに非常に驚いた。途上国での事象が特殊なのではなく、日本国内にでもそうしたことを気付き、考え、実践していかなければいけないような現場は多くあるということを痛感させられた。

さらに、地元学が水俣で起こったという点についても述べておく必要があるように思う。
 戦後、日本はめざましい高度経済成長をとげ、人々は物質的・経済的な豊かさを満喫するようになりました。しかも、大量に生産し、消費し、廃棄することが経済的なこととされていました。水俣病事件はこの時代と無関係ではありません。時代の背景には、自然への畏敬心を失い、科学万能におごりたかぶり、経済成長をささえた工業立国政策、徹底的な経済効率主義などの歪みと、生命の軽視、人権思想の欠如があります。(p.93)
この結果として、水俣では命を失い健康を損なった被害者が大勢出ただけではなく、被害者、一般市民、チッソの社員、行政などの間に、相互不信、反目、偏見、差別、中傷、非難などが渦巻き、地域社会が引き裂かれて混乱状態のまま40年以上を過ごさざるを得なかった。いわば地域共同体が完全に壊れた状態からの再興、関係性の再構築の取組みが地元学を通じてなされたということだが、そもそもの共同体崩壊のきっかけが経済成長至上主義の政治や社会にあったという点を、僕らは考えなければならない。こういう悲惨な歴史を経験しないと地元学のような優れた取組みが起こらないというのは悲しいことではないか。僕は、インドが経済成長重視で突き進んでいるように見える今の状況に多少の危惧を抱いている。

本書がいいなと思ったもう1つの点は、次世代の育成についても言及していることである。まちおこし、地域おこしの優れた取組みを紹介した書籍や情報メディアは非常に多いが、意外と後継者の育成という将来を睨んだ取組みの部分には焦点が当たらないことが多い。水俣にとどまらず本書で紹介されている日本各地での地元学実践事例では、高齢化の相当進んだ地域がかなり含まれている。今住んでいる人々は今は元気かもしれないが、次の世代の人々が入って来ないと、早晩共同体の機能は再び劣化が余儀なくされるのではないかと思う。

本書では国内の実践事例だけではなく、ベトナムでの事例も取り上げている。著者も述べているように、地元学の実践には対して予算もかからないが、どのような成果が見られるのかは現場で住民と接していないとなかなか確認することができないし、実践に至るまでのプロセス、住民がやる気を起こすまでの間はじっくりと待つ忍耐も要求される。ベトナムの事例は結局それを導入した日本のNGOがその事業コンポーネントへの予算投入を打ち切り、実施自体を見送れと東京の事務局が現地駐在員に指示する結果に終っているそうである。住民が変わっていくのをじっくり待つということが難しいのは、NGOであろうとODAであろうと国際協力の現場では現場にいるスタッフほど直面させられるジレンマである。

余談ながら、宮本常一的な地域の見方を水俣地元学が持っていると感じたポイントもあった。地元学を実践するのに先立ち、地域を俯瞰する下見の重要性を本書では指摘しているが、そこにこんなことが書かれている。
最初はみんなで見てまわるようにします。また、高いところから地域全体を見ると、理解が早くなります。また、事前に地図を見て、となりの町はどこにあるのか、どれくらい離れているのか、地区を流れる川の源流はどこか、山の高さはどのくらいか、その川はどの海に向っているのか、などを調べておきます。(p.48)

最後に、本書で紹介されている国内各地での実践事例の中に、宮崎県川南町の地元学がある。本書が書かれた2008年時点では非常に活気があったこの町の住民であるが、今年大変な事態に直面している。今春に宮崎を襲った家畜口蹄疫である。昨日発売された隔週刊誌『Number』のノンフィクションに「牛の如く。―口蹄疫と闘った宮崎・川南クラブの軌跡」が収録されている。地元学の実践では町で主導的役割を担った当事者の方々が、このルポの中でも登場し、牛や豚の殺処分に奔走した姿が描かれている。家畜口蹄疫がこれだけ拡大してしまった原因の所在にはいろいろな見解もあろうかと思うが、水俣病の被害の拡大をなぜ止められなかったのかという点についての本書の記述には、口蹄疫とも相通じるものがあったのではないかと感じたのは僕だけだろうか。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 1/13号 [雑誌]

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 1/13号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/12/24
  • メディア: 雑誌


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