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『日本の村・海をひらいた人々』 [宮本常一]

日本の村・海をひらいた人々 (ちくま文庫)

日本の村・海をひらいた人々 (ちくま文庫)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1995/05
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
日本全国を歩きめぐり、実際に自分の目で見て、そこに暮らす人々に話を聞いて調査した民俗学者、宮本常一。彼が日本の村と海、それぞれに暮らす名もなき人々の、生活の知恵と暮らしの工夫をまとめた、貴重な記録。フィールドワークの原点がここにある。
海外出張からの帰路で読んだ本の紹介第2弾は、毎度ながら宮本常一の著作から。本書は、タイトルが示す通り、2篇の別の著作から合作して編集されたものだ。おそらく想定されている読者は小中学生、但し、文庫サイズの割には字が細かく、今の子供達が読むかといえば、内容の面白さがわかる前に読み進められなくて挫折してしまうリスクが相当大きいと思う。高校生ぐらいが読んでもちょうど良いかもしれない。

本書を子供達を対象に執筆した背景として、宮本は「日本の村」の冒頭で次のように述べている。
 少年の日に、頭のなかにきざみこまれたことは、やがてその人の一生を支配するものだと思いますが、私はこのようにして旅がすきになり、いまも各地をあるきまわっております。そしていまも幼い日の父のおしえが心に生きて、私の学問の役に立っているのです。
 私はひろく日本中をあるきまわって、いろいろのことを学びましたが、それによってこの上もなくこの国土を愛するようになりました。(中略)

人手のくわわっている風景は、どんなにわずかにくわわっていても、心をあたたかくするものです。海岸の松原、街道のなみ木みちをはじめ、植林された山もまた、なつかしい美しさを持っています。そうした所に見出す1本のみちも、こころをあたためてくれるものです。
 そのような風景はよく考えて見ると、この世をすこしでも住みやすくしよう、と努力してつくられたものなのです。(中略)
 しかもそうしたものは、有名な人のした事業はいたってすくないのです。多くは、私たちのように、平凡な人々のしごとだったのです。
 みなさんも、みなさんのふるさとをよく見まもり、また旅行などによって、いろいろのことをまなぶとともに、私たちの祖先のしてきた努力に気づき、また私たちがどうすればよいかを考えてほしいものです。(pp.11-12)


これと同様な指摘は、「海をひらいた人々」の最後にも見られる。日本の水産業が全盛だった時代に書かれたのではないかと思われるので、今の日本の漁村の状況を考えるといささか古さは感じさせるが、言われていることはその通りだと思うし、少なくとも僕は自分の子供達にこのようには仕向けていなかったので申し訳ない気がしてしまう。
 日本の漁業の歴史をふりかえって見ると、名もしられていないような人たちが、いっしょうけんめいになって、多くのしっぱいをくりかえしながら、一歩ずつあたらしい漁場を見つけ、またあたらしい漁具をかんがえつき、船を大きくし、今日のようにまできずきあげてきたことがよくわかります。(p.266)

 また、ニシン、イワシ、サバ、イカ、サンマなどは、とれるときには一どきにじつにたくさんとれます。するとみるみるうちに魚の値段はさがっていって、両氏にはあまりよいもうけにはなりません。そのようなときには、とれた魚をくさらないようにしておいて、魚のすくなくなったとき、売りだすようにして、漁師があまり損をしないようなくふうもたいせつです。そういうことも、まだ十分くふうがいきとどいているとはいえません。
 ですから、そうしたいろいろのくふうがくわえられ、いろいろな危険をおかして海でいさましくはたらいている漁師たちのくらしが、1人もこまることのないような日本をつくりたいものです。それでこそ世界一の水産国ということができるでしょう。魚をたくさんとるだけが世界一であっても、ほんとうの世界一水産国とはいえないと思います。
 それには、魚をとることを漁師たちにまかせておくばかりでなく、魚をたべる者も、海のことに興味をもち、漁師のほんとうの味方になって、1人でも多くの人が、漁業の上でこまっている問題を解決していくようにしたいと思います。(pp.270-271)
離島振興法の制定に尽力した宮本の思想を垣間見るとともに、今や食卓で出される魚を何の想像も働かせることもなくただ食べているうちの子供達にも、そうした質問を投げかけ、海や漁をする人々のことを少しでも思い描かせるきっかけを与えなければいけないのではないかと考えさせられる。

例えば、日本海近海で獲れるサメ(フカ)について、元々出雲や能登の漁師は、中華料理の珍味としてもてはやされるフカヒレを取ったら、あとは海中に捨てていたのだという。一方、僕は、小学校の社会科見学で滋賀県醒ヶ井町の養殖場に行った時だったと記憶しているが、サメの肉はカマボコの原料になると聞いたことがあった。僕はそれを今でも覚えていたから、ヒレを取ったらあとは捨てていたという本書の記述には意外な感じがした。歴史的には、ヒレだけ利用するのが先で、カマボコの原料となるようになったのは後のことだということになるが、それではカマボコが日本で作られるようになったのはいつ頃のことなのか、それは本書には書かれていないので調べる必要がある。醒ヶ井町の社会見学じゃないが、こうやって人間は経験値を高めていくのだろうと思う。考えて、疑問を抱かせて、そして自分で調べさせるように仕向けていかないといけない。

『塩の道』を読んだ時もそうだったが、本書にはいつ頃からそうした農作物が作られるようになったのかが結構書かれている。例えば、綿花は安土桃山時代に大阪平野で作られるようになったが、元々は1570年頃に三河に入ってきたのが日本では最初だったというし、タバコやナタネもその頃なのだという(pp.250-251)。知ってました?

それに、本書を読んでいると、執筆された1960年代末に、既に宮本は「持続可能な開発(Sustainable Development)」というものを相当意識していたことがわかる。例えば、近海での漁獲高が減っている理由について、船が大型化して沖合漁業にシフトが進んだこともあるが、底引網のような漁業が盛んになって、沖の方の海を機械船でひいてまわるようになり、生えている藻が少なくなったり、海の底の泥がかいまわされて魚が産卵したり子を育てたりするところが少なくなってきていることを指摘している(pp.269-270)。これと同様の指摘は、1990年代から21世紀にかけてインドのヴァンダナ・シヴァが主張していたことと非常に似ている。

日本の農村や漁村を誰よりもくまなく歩いた宮本には、僕らがなかなか見えていないものがよく見えていたのだと思う。それに、全国の農漁村を歩き回るに際して、宮本は移動の列車の車窓からですら、家の屋根の形や材質に対して興味を払い、スケッチまでとっている。家の間取りや農機具の形状、墓石の形まで、よくもまあこれだけの情報をとっていたものだと感心する。それは、冒頭引用でも言及した通り、子供の頃に頭に刻み込まれた祖父の教えというものがある。既に一度ブログでも言及したことがある教えの内容だが、本書においても核心部分だと思うので、敢えて再掲する。
父は私がふるさとを出て行くときに「旅はうかうかとしてはいけない。汽車が駅へついたらそこに積まれてある荷物にどんなものがあるかをよく気をつけて見よ。それでそのあたりの産業がわかる。また乗りおりのお客のしたくで、そのあたりの村が富んでいるか貧しいかもわかる。汽車の窓から見る家々によっても、開けているか、おくれているかを知ることもでき、富んでいるか、貧しいかもわかる。田畑のできぐあいで、まじめにはたらいているかどうかもわかるものだ。旅をすることによって、いろいろおしえられるであろう」といってくれました。(p.10)

タグ:民俗学
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