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『必生-闘う仏教』 [読書日記]

必生 闘う仏教 (集英社新書)

必生 闘う仏教 (集英社新書)

  • 作者: 佐々井 秀嶺
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
「煩悩なくして生命なし。必ず生きる…必生。この大欲こそが、大楽金剛です。すなわち、煩悩は生きる力なのです」。自殺未遂を繰り返し、尽きせぬ生来の苦悩の末に出家。流浪の果てにインドへ辿り着いた佐々井秀嶺。かの地で文化復興運動にめぐり会い、40年以上にわたりこの運動に身を捧げてきた。現在ではインド仏教徒の指導者として活躍する破格の僧侶が、波瀾万丈の半生と菩薩道、そして“苦悩を超えていく生き方”を語り下ろす。
海外出張から戻ってきた。ホッとした。この1週間で仕事ではヤマ場が3つあった。付け焼刃だとは思ったがこの2ヵ月相当関連の専門書を読んで勉強に努めたつもりだった。でも気持ち的にはかなり敗北感がある。これから次のヤマ場までは少し期間が開くが、やっぱり続けて勉強していかなければいけないんだろうなと思う。そう考えると気が重いのだけれど…。

出張先からの帰路は、経由地での待ち時間を含めると24時間にもわたる長時間の移動だった。現地出発前夜は報告書を書いたりして夜なべ仕事をしていてあまり寝ていなかったので、移動の間に6時間近く睡眠時間は確保したが、それを除いてもたっぷり時間があり、その間に仕事とあまり関係のない本を2冊読み切り、3冊目も途中まで読み進めた。

佐々井秀嶺師の著書はその第1号。出張に出る日に羽田空港で購入した。昔の職場の同僚がインドで佐々井師の「追っかけ」(言葉は悪いけど)をやったことがあるそうで、佐々井師の話を随分聞かされたことがあった。その頃薦められた本は山際素男著『破天』だったのだが、『破天』は新書とはいえ600頁もある大書で、なかなか読む気にもなれないうちにインド離任の日を迎えてしまった。それに比べると佐々井師本人が書かれた『必生』は200頁にも満たないので、佐々井秀嶺入門書としては最適の1冊だろうと思う。

ここで、本書裏表紙にある佐々井師の略歴について紹介しておく。
佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)
1935年、岡山県生まれ。インド仏教指導者。1988年インド国籍取得。ラジヴ・ガンディー(当時の首相)からインド名、アーリア・ナーガールジュナを授与される。1960年、高尾山薬王院(真言宗智山派)にて得度。タイ留学を経て1967年渡印。1968年、カースト差別に苦しむ人々を救う人権運動でもある、インド仏教復興運動に身を投じる。2003年にはインド政府少数者委員会仏教徒代表にも任命された。

恥ずかしながら、インドに3年も住んでいて、佐々井師のことにあまり関心を持ったことがなかった。もう少しちゃんと知っていたら、うちの両親が2008年11月にインド旅行した際も、佐々井師を訪ねるような日程の組み方もあったかもしれないなと思う。(佐々井師のことを知ったのはもっと後のことなのだが。)また、本書で紹介されている佐々井師がデリーで行なわれた活動も、その時期が僕のインド駐在と重なっているものもあり、もう少しちゃんとアンテナを張っていたらブログで紹介することもできたかもしれない。ほんともったいないことをした。

もっとも、インドの総人口の0.8%しかいない仏教徒に関する記事が、全国紙を賑わせるということもあまりなかったことはなかったと記憶している。

繰り返すが本書は佐々井師の自伝である。佐々井師の歩みをここで詳述するつもりはないが、本書を読んだ感想を最後に簡単に述べておく。

第1に、アヨーディアのバーブリ・マスジッド破壊事件であれだけ狂信的活動を行なったヒンドゥー原理主義者は、仏教徒に対しても、明らかに仏教遺跡建造の方が歴史的に古いものであっても、「仏教はヒンドゥー教の宗派の1つ」ぐらいの感覚で後からヒンドゥー教の施設建設をやって占拠してしまっているという事例があるらしい。ラーマーヤナゆかりの地だと言えばアショーカ王ゆかりの地だとする仏教徒よりも歴史的には古いという主張は正当だと思われているのかもしれない。ただ、こうした問題がなかなか全国紙でも取り上げられないのも、インドの人口に占めるムスリムと仏教徒の人口の違いによるところが相当大きいのではないかと感じる。

第2に、僕達は小さい頃浄土真宗の「正信偈(正信念仏偈)」を近くのお寺で習い、今でも読誦することができるが、七言60行120句の偈文に込められた意味を理解しようと試みたことは一度もなかった。『必生』には「南天竺」という言葉が出てくる。これは佐々井師によればマハラシュトラ州のナグプールを指すという。天竺といえばインドのことだから、南天竺は南インドのことかと思っていたが、そうではなかったということである。そして、「正信偈」には「南天竺」という言葉も出てくるが、それがどういう意味で出て来ていたのか、僕はそれが知りたくなった。

そもそも「正信偈」に込められた意味が何なのか――次に読誦するには僕が帰省する年末年始のことになると思うが、ただひたすらに称名念仏して「正信偈」を読誦するだけではなく、意味も考えながら読んでみたいものである。


破天 (光文社新書)

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  • 作者: 山際素男
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/10/17
  • メディア: 新書


男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

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  • 作者: 小林 三旅
  • 出版社/メーカー: アスペクト
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 単行本



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