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『緑の革命とその暴力』(2) [ヴァンダナ・シヴァ]

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緑の革命とその暴力

  • 作者: ヴァンダナ シヴァ
  • 出版社/メーカー: 日本経済評論社
  • 発売日: 1997/08
  • メディア: 単行本

公約通り、本書紹介のパート2は、印象に残った記述を列挙させていただきたい。

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 「緑の革命」は第三世界の農業を科学にもとづいて変革することにつけられた名称であり、インドのパンジャブはもっとも有名な成功例であった。理屈に合わないが、緑の革命は20年を経過したが、パンジャブは繁栄の地でもなければ、平和の地でもない。ここは不満と暴力がはびこる地域である。豊かさのかわりに、パンジャブに残されたものは、疲弊した土壌、病虫害に蝕まれた作物、湛水した砂漠、借金を負い絶望した農民である。平和のかわりに、パンジャブは争いと暴力を引き継いだ。この6年間に少なくとも1万5,000人が命を失った。(p.11)

 パンジャブにおける緑の革命の経験は、現代の科学的事業が政治的および社会的にいかにしてつくられるものであるか、いかにしてそれらが社会的評価を免れ、阻んでいるかを示す実例である。成功すれば科学の手柄にするが、失敗の責任は負わないことを示す例である。パンジャブの悲劇の物語は、自然と社会を支配する現代科学の力を過信し、制御不能となった自然と社会的状況をつくりだしたことの責任感の欠如の物語である。緑の革命の科学的および技術的および技術的な包括計画から、緑の革命の影響を外部化したことが、パンジャブ危機を宗派間の争いに変えた大きな理由であった。
 しかしながら、ほとんどの学者や評論家がしているように、パンジャブ危機の根源を宗教に還元することは誤りである。この紛争のルーツは緑の革命の生態的、経済的、政治的影響にあるからである。これらの衝突はたんに2つの宗教集団の衝突ではなく、失望し、不満をもった農業社会と、農業政策、金融、信用、投入物、農産物価格を支配している中央集権国家との緊張関係を反映している。こうした衝突と幻滅の中心に緑の革命が存在する。(p.15)

 IRRIは1960年にロックフェラー財団とフォード財団によって設立されたが、9年前にその前身である中央稲研究所(CRRI)がインドのカタックに設立されていた。カタックのCRRIは土着の知識と遺伝資源にもとづく稲の研究を行なっており、その戦略は明らかに、アメリカが支配するIRRIの戦略と対立した。国際的な圧力によって、CRRIの所長は解任されたが、それは所長が集めていた稲の生殖質(ジャームプラズム)の取り扱いをIRRIにまかせることを拒否し、IRRIが作った高収量品種(HYV)を早急に導入するのをやめるように要求したからであった。
 マッディヤ・プラデシュ州政府が元CRRI所長にささやかな俸給を与えたので、彼はライプルにあるマッディヤ・プラデシュ稲研究所(MPRRI)で研究を続けることができた。このわずかな予算で、彼はインドの米作地帯であるチャティスガルにもとからある2万種の土着の稲を保存した。MPRRIは、チャティスガルの部族がもっている土着の知識をもとに多収戦略を開発するというパイオニア的な仕事をしていたが、のちに世界銀行(CGIARを通じてIRRIと結びついていた)の圧力によって閉鎖された。MPRRIが収集した生殖質をIRRIに送ることを留保したからであった。(pp.33-34)

 「歴史的にみて、緑の革命は最適条件のもとで高収量をあげる種子をつくるという選択であった。つまり、干ばつや病虫害に強い種子を開発することを出発点にしないという選択であった。混作のような収量を増やすための伝統的な方法を改良することをまず重視することはしないという選択であった。生産的で、労働集約的で、外国から供給される投入物に頼らないような技術は開発しないという選択であった。穀物とマメ類というバランスのとれた伝統的な食事を増強するということに重点をおかないという選択であった。」
 土着農業の作物と品種の多様性を退け、狭い遺伝的基盤と単一栽培が取ってかわった。国際取引が行なわれている穀物に注目し、混作や輪作をやめて、多様な品種のかわりに数少ない品種をつくる戦略であった。新しい品種は多様性を減らす一方で、水資源の使用を増やし、農薬や肥料などの化学的投入物の使用量を増やした。(p.35)

 1万年にわたって、農民や小農民は自分たちの土地で自分たちの種子をつくり、最良の種子を選び、それらを保管し、再び植えて、生命の更新や肥沃化を自然の歩みにまかせてきた。緑の革命によって、小農民はもはや穀粒を保管し、保存することによって、共有の遺伝的遺産の管理人をつとめることがなくなった。緑の革命の「奇跡の種子」はこうした共有の遺伝的遺産を、特許や知的所有権で保護される私的財産に変えてしまった。植物育種の専門家としての農民は、多国籍の種子会社や、CIMMYTやIRRIなどのような国際研究機関の科学者に道を譲った。作物の遺伝的多様性や自己更新能力を維持し、豊かにするような植物育種の戦略が、均一性と更新不能性を特徴とし、多国籍企業の利潤を増やし、第三世界の遺伝資源に対する第一世界の支配を強めることを優先するような戦略に変わってしまった。緑の革命は、「種子」の基本的な性格と意味を変えることによって、1万年にわたる作物の進化の歴史を変えてしまった。(p.57)

 IRRIの新品種の稲がアジアに導入されると、かならず病虫害に弱いことが判明した。IR-8は東南アジアでは1968・69年に、シラハガレ病にやられた。1970・71年には、IR-8はツングロ・ウィルスにやられた。1975年には、インドネシアで新種の稲を栽培していた50万エーカーが害虫にやられた。1977年には、IR-36という、シラハガレ病やツングロ病などの8つの主要な病虫害に耐性をもった品種が開発された。ところが、この品種は「ラギッド・スタント」と「ウィルティド・スタント」とよばれる2種類のウィルスにやられた。
 パンジャブでの新品種の実験も同じようにかんばしくなかった。新品種は、新種の害虫と病気をつくりだした。TN1は、1966年に導入された最初の矮性品種であったが、シラハガレ病やセジロウンカの被害を受けやすかった。1968年に、小球菌核病やゴマハガレ病に耐性があると考えられたIR-8に変えたが、これもまたこの2つの病気に弱いことがわかった。(中略)
 「奇跡」の品種は多様な在来種を追放し、新しい種子は多様性を侵食することによって、害虫をまねきよせ、強化するようなメカニズムをもつようになった。土着の品種、すなわち在来種は、その地方で発生する病虫害に耐性をもっている。ある病気が発生しても、その系統の一部は被害を受けるかもしれないが、他のものは耐性をもっているので生き残る。輪作は害虫抑制に役立つ。多くの害虫は特定の植物につくものであるから、季節によって、年によって、植え付ける作物を変えれば、害虫の個体数を大幅に減らすことができる。一方、毎年、広大な面積に同じ作物を植えれば、害虫を増やすことになる。このように多様性にもとづいた作付システムは、予防策を組み込んだシステムなのである。(pp.87-88)

 パンジャブで大豊作が数年続いた後、NPK肥料をふんだんに使ったにもかかわらず、非常に多くの場所で不作が報告された。「高収量」品種が微量養素を急速に奪い続けたために、微量養素不足が新たな脅威となった。植物がNPK以外の養分を必要としていることは明らかであり、大食いのHYVが土壌から急速に微量養素を吸い上げてしまい、亜鉛、鉄、銅、マンガン、マグネシウム、モリブデン、ボロンなどの微量養素が不足した。有機肥料を使っていれば、こうした不足は起こることはなかった。有機物にはこうした微量養素が含まれているけれども、化学肥料のNPKには含まれていない。(p.113)

 水の集約的な利用は生態的に大きな影響を与える。緑の革命で水の使用量が大幅に増えたことにより、この地域の水収支が完全に不安定になった。生態系が自然にもっている排水能力を上回る水量を生態系に与えることによって、水の循環は不安定になる。それによって土地は湛水や塩類集積を通して砂漠化する。この種の砂漠化は水の利用というよりも、むしろ水の乱用状態である。砂漠化は大規模な灌漑プロジェクトと水集約的な栽培形態によるものである。(中略)ほとんど勾配がないパンジャブの肥沃な沖積平野は、緑の革命の農業を行なうために過剰な灌漑用水を導入したことによって、甚大な砂漠化の被害を受けている。(pp.128-129)

 生態的にも経済的にも不適切な科学と技術を導入すれば、発展どころか低開発にとどまる。資源を貪欲に利用するプロセスを基にした近代化は、そうした資源を生活のために利用している地域社会から間接的か、あるいはその生態的作用によって直接的に資源を物理的に取り上げる。こうした条件下の成長はすべての人々のための発展を保証しない。資源の転用あるいは破壊によってマイナス影響を受ける人々には低開発の状況がもたらされる。資源についての相反する需要はこのように成長を通じて経済の分極化をもたらす。大衆のエコロジー運動が激しさを加えていることは、こうした分極化の徴候であり、自然資源が人々の生存に重要や役割を果たしていることを思い出させる。したがって、自然資源を他の用途に転用したり、他の用途を通して破壊することは貧困化を深め、生存の脅威を高めるものである。
 低開発は一般的には、近代西欧科学と技術システムの欠如がもたらす状態として描かれている。しかしながら、貧困と低開発はたいていは、数百万人の生計を支えている資源集約的で、資源破壊的な技術的プロセスの外部化された見えざるコストによってつくられている状況である。
 すべての産業革命の経験は、いかにして貧困と低開発が、その時代の成長と発展の全プロセスの不可分の要素となっているかを示している。そのプロセスの収益は社会あるいは国のひとつの階層のものになり、経済的あるいは生態的なコストは残りの階層が負担する。(pp.242-243)

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今改めて振り返ってみると、インドで多くの草の根の活動家がオーガニック農業を活動の柱に組み込んでいることや遺伝子組換え種子の導入に反対の立場をとっていることは、こうした背景があってのことだというのがよくわかる。同様に、稲の種子の多様性を保全すべく「種子銀行(シードバンク)」のような取組みも幾つか見られるようになってきているのはこのブログでもご紹介したことがあるが、そうした取組みを推進しているのも、地域の農家と連携したNGOであり、インド政府は食糧増産のために依然として高収量の単一種子を導入して大量生産を進めるような政策を支持している。

緑の革命が中央の地方に対する力を強める方向で働いたという指摘は、まったくもってその通りだと思う。
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