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若者の雄姿に自分の愚を思う [インド]

1月29日(金)、知り合いのいるJICAインド帰国研修員同窓会(JAAI)が市内北部アショク・ビハール地区で学校生徒を対象にした環境啓蒙プログラム(Environmental Awareness Programme for School Children) "Nature Nurtures"を開催するというので、見学に行ってみることにした。会場は、同地区内にあるKulachi Hansraj Model Schoolという1年生から12年生まである小中高一貫の私立学校だ。この学校は地区内に2つキャンパスを持っており、会場となったのは7年生から12年生までの生徒数3500のキャンパスの方だった。

JAAIが学校生徒を対象に環境啓蒙プログラムを行なうのは昨年度に続いて二度目だが、今年はデリー州政府とも連携し、市内で環境クラブを課外活動で設けている学校にも呼びかけ、なんと25校が今回のイベントには参加していた。そして、今回のホストを務めた本校は、2000年にISO9001を取得するなど学校としての環境への負荷軽減への取組みが進んでおり、雨水の再利用や、キャンティーン(食堂)で出た野菜の切れ端や残飯等を使ったミミズ堆肥(そして学校菜園)等が既に導入されているそうだ。

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《どこでも楽しいオープニングセレモニー》

ダンス・パフォーマンスや合唱等が行なわれたオープニングセレモニーが終わると、次は3つのグループに分かれての個人及び学校対抗コンペだ。①特別仕様コスチュームをまとっての個人ステージパフォーマンス、②環境啓蒙ポスター制作、③パワーポイントを使った環境啓蒙プレゼンテーション、の3部門で個人戦が行なわれ、その成績集計の結果として学校対抗の順位も決まるという仕組みだ。

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《ステージパフォーマンス。個人的にはこの子のがいちばん面白かった》

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《環境啓蒙ポスター、短時間でよくここまで描けるものだと感心》

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《環境啓蒙プレゼンテーション。地球温暖化と気候変動問題をアピール》

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《なんとマインドマップまで登場!》

観客の1人として拝見し、インドの子供達がコペンハーゲンサミットが何故上手くいかなかったのかを分析し、何が温暖化や気候変動に繋がるのか、そしてそれらがなぜ問題なのかを整理し、それらを趣向を凝らしたコスチュームで思い思いの形のパフォーマンスで観客にアピールしてくれたり、映像やアニメーションをふんだんに盛り込んだパワーポイントを見事に駆使して立派なスライド発表をやってくれたりする姿には本当に驚かされる。うちの職場の現地スタッフは、かなりシニアの人間でもパワポどころかエクセルすら使えないというのを最近知り愕然としたのだが、これからのインドの学校にちゃんと通えている子供達にはかなり期待できそうだ。

勿論、彼らが大上段に構えて地球規模問題を論じているのに対し、もっと身近な自分達の生活の中で自分達に何ができるのかの考察と実践があまりなされていないことも少しだけ気になった。国際社会がどう、政府がどう、企業がどうというのはそれはそれでいいが、自分達のライフスタイルを見直してみて、自分は既にこうしていますといった具体例があまり出てきてなくて、「私達はこうすべきだ」というアピールばかりが目立ったように思う。氷河が溶けて後退し、逆に氷河湖が大きくなってきているという指摘はその通りだが、それが我々の日常生活のどこに問題があってそうなっており、氷河湖が大きくなるのがなぜ問題なのかまでちゃんとアピールされていなかったのは、なんとなく議論が上滑りしてしまっているような印象を与えたと思う。まあ、「We should~.(私達は~すべきだ)」とは論じても、「I will~.(私は~する)」とは言わないのが一般的にインド人にありがちな思考パターンなので、仕方がないかなと苦笑もしたが。

とはいえ、彼らと同年代の日本の子供達が、ここまで立派な個人ステージ演技や発表をやれるかどうかというと、かなり難しいのではないかと思う。(違ってたらごめんなさいね。)

また、学校に環境クラブなるものが既にできていて、こうした環境啓蒙イベントが学校対抗で開催される状況を見ていると、どうしても僕が彼らと同じ年齢だった頃の学校生活との比較もしてしまう。僕が小中高校生活を過ごしたのは1970年代だが、その頃日本で公害問題が深刻化していたにも関わらず、学校での活動にそうした環境啓蒙を目的としたものが行なわれていたかどうかというと殆ど記憶にない。勿論僕が田舎育ちで、工業廃水や産業廃棄物、光化学スモッグといった都市部の公害と無縁であったこともあるだろうし、水俣病やイタイイタイ病は原因も特定可能な特定地域の公害病だったので、この点からも公害に比較的無関心な少年時代を過ごすことになったのだとも思う。でも、これほど真剣に地球規模の課題を論じ、国レベルでの対応を云々することは当時の日本では、たとえ都市部であったとしても殆どなかったのではないだろうか。

それを考えると、僕達を含む僕達よりも前の世代の人々は、大変な置き土産を今の子供達に既に与えてしまっているように思う。インドの学校生徒達が地球的規模の課題をこれだけ真剣に論じているのはありがたいことだけれど、そうした状況を招いてしまったのは彼らよりも前の世代の僕達に大きな責任があると思う。申し訳ないという気持ちで一杯になった。
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