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国際社会で評価される人材 [仕事は嫌い]

前回「途上国の民間セクター開発に必要なこと」でご紹介した先生に再度ご登場いただく。それは、日本が途上国への援助を進めていく際の課題という点についてである。

ごく簡単に論点を述べれば、ODAの実施に関して現地で活躍している日本人の職員はどの方も非常に優秀であるが、ロジ業務で非常に忙しくて本来彼らが相手国政府との政策対話や他の援助機関との援助協調の場で適切な発言を行なっていくために必要な理論武装をゆっくり考えて行なっている時間がなく、貴重な人材を十分生かしきれていないというものだった。また、援助の実施に求められる人材は、何でも80~90点を取れるオールラウンダーではなく、どれか1つでも100点が取れるスペシャリストだという。そして先生曰く、オールラウンダーでは国際社会での丁々発止のやり取りの中では通用しないと…。

お話を伺っていて、少し嫌な気分になった。自分自身の境遇に置き換えて考えてみた場合、「管理職」のような役割を担わされると、たいていの社員はオールラウンダー的なパフォーマンスを求められるので、自ずと自分の専門性を伸ばしてどれか1つでも100点を取れるという領域を作るという努力が疎かになる。というか、そうした領域に充てる時間と同等の時間を他の領域にも割かねばならなくなる。職場の中でも公益性を意識せざるを得ないので、嫌いな仕事を切り捨てて好きなことだけやっていればよいというわけにはいかなくなるのだ。これは個々人の努力の領域というよりも、組織全体の問題なのだ。

僕は以前国際機関で仕事をした経験もあるので、先生が指摘された点は非常によく理解できる。確かに、国際機関の場合はサブ・ロジの分業が非常に進んでいて、特定領域のスペシャリストが航空券の手配や旅費計算、職場の文房具調達といったロジスティックサポートや、職場の業務改善、ファイルの整理、労務管理等のマネージャー的な役割まで求められることは少ない。必要最低限の手続き上の基礎知識を習得しておれば、後は専門分野に邁進すればよい。元々そういう職種で採用されているのだから。しかし、日本の場合はそういうわけにはいかない。新卒で採用になった社員は、いろいろな部署でいろいろな経験を積み、徐々に管理職としての能力を培っていく。従って、企業としての経営改革のような議論への参加も求められるし、自分で伝票を切らなければならないこともある。国際機関の場合は、その専門性が買われて採用されるが、そこからマネージャーに昇進する途は自動的なものではなく、その領域での能力をアピールして新たに掴み取る努力が求められる。いわばエスカレーター的に次のポストに自動的に上がれるというわけではない。日本の場合はエスカレーター式に管理職に上がっていけるよう、それまでの部署での経験の積ませ方も配慮がされている。

国際機関の場合、「基礎教育専門家」とか「調達専門家」とか、部署に関係なくその人の名刺の肩書きだけ見ればその専門性が想像付く。しかし、日本の場合は、名刺上で所属部署名と肩書きを組み合わせて見ても、本当にその所属部署が担当している領域の専門性があるかどうかが想像つかない。平社員の場合、肩書きが付かないため、所属部署だけで判断しなければならないが、人事ローテーションで回る世界であるために、今たまたまその部署にはいるものの、その前の部署では今の部署と全然違う仕事をしていたとか――日本の名刺は、そういった点では非常に情報に乏しい。

少し話がそれたので元に戻す。ポイントは、個人の努力ではいかんともしがたいくらい、日本の組織はオールラウンダーの育成を前提としているということである。

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