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絵はがきにされた少年 [読書日記]

                                                                            藤原章生著                                                                    『絵はがきにされた少年』                                                            集英社、2005年11月


出版社 / 著者からの内容紹介
日本人が忘れた清涼な魂の物語。
今なお、被差別、貧困に満ちたアフリカ。しかしそこには、足ることを知る、純朴な人々が生きている。放っておけば砂塵のように消えてしまう彼らの存在を、言葉を、作者は温かい目で掬いあげ描く。第3回開高健ノンフィクション賞受賞作。

数ヶ月前に書店の店頭で見かけて、アフリカの貧困問題の悲劇性をある少年のエピソードを元に追いかけているルポルタージュなのかなと思い、機会があれば読んでみたいと思っていた作品だった。これも近所のコミセンにあったのに気付いて借りてみることにした。

読んでみると、「絵はがきにされた少年」というのは、著者が南アフリカでの特派員生活の中で見たアフリカのありのままの姿を綴ったエッセイの1つに過ぎないということがわかった。標題に取り上げられた作品にしても、「悲劇」というイメージではなく、「写真」という概念がないアフリカ(場所はスワジランドらしい)で、偶然村を訪れた英国人写真家が、子供たちが見よう見まねでクリケットに興じているところを写真に収め、それが英国で絵はがきとして売られているのを、撮られた子供が成長して50年振りに知るというお話だ。「遅れているアフリカ」の象徴としてではなく、筆者がインタビューしたこの老人は、自分の子供の頃はこんなだったんだと孫に話すことができるようになり、とても嬉しかったと述懐している。

考えてみれば「写真」という概念がないところで、昔の自分はどうだったのかを考えるような機会があるとは思えない。

さて、本書は、これを含め、11のエッセイから構成されている。ひとつひとつが示唆に富んだもので、マスコミのアフリカ特派員というと、ありのままのアフリカを伝えようとしても、編集側の都合で「かわいそう」というイメージと繋げて僕達のところに届けられてしまうというジレンマを常に感じておられるのではないかと思う。「アフリカは貧しい地域なのだから、絶望に苛まれた無力感、脱力感が充満しているに違いない」と、読者は考えるに違いない。そういう思い込みに対して、情報を提供する側もそうした形で「脚色」を施して届けようとする傾向がある。それに対して、著者は、報道する側のロジックからいったん離れ、冷静にありのままのアフリカをありのままに描こうという立場をとっている。

11ものエッセイが収録されていると、何が核なのかがわからず、本書をどう紹介しようか最初は考えあぐねたのだけれど、以上で述べた視点から幾つかの引用をしてみようと思う。いずれも、「かわいそう」だから「助けてあげたい」という上から下を見るアプローチではなく、相手のひとりひとりが置かれた状況を的確に見られるよう、理解するところから始めることが必要であることを示していると思う。


 南北対立という考え方がある。それを先進国、途上国という分け方と見ても構わない。そんな風に世界を見れば、世の中を手っ取り早くわかった気になる。だが、それぞれの国家の中にもそれぞれ貧富の格差や南北問題があり、そう簡単に北と南に分けることなどできない。まして、世界を二つに分けることなどできはしない。                                                                              

 それでも、南アフリカはぱっと見た限り、世界で最も「南北格差」が鮮やかな地だ。それはアパルトヘイトという露骨な制度で白と黒という色の違いを際立たせてきたからでもある。

 アパルトヘイトの終わりとともに、路上犯罪や空き巣が増え、住宅は2メートル以上の高い塀で囲われるようになった。塀の上に電流の通ったワイヤー、車には警報装置が取り付けられ、玄関はリモートコントローラーで開閉される。犯罪は増え続け、五十万人ほどが暮らすサントン地区では毎日のように殺人が起き、住人は町内を塀で囲い込み、安全地帯の入り口には検問所をつくり、ガードマンを立てる。

 この傾向はヨハネスブルクのみならず他の都市、南ア全域に広がり、のどかだった郊外はどこも小ぶりの「要塞」と化していった。つまり、南北格差の最前線が国の中にできたようなものだった。

(中略)南アフリカに暮らしていると、頭の中は日々、楽観と悲観を繰り返す。灰色というイメージを払拭する強い日差し、ほぼ毎日晴天の明るい土地、人種を問わず出会う素朴な良き人々。その一方で、露骨なほどの人種差別。それに伴う数々の暴力。そんなものを交互に見ていると、自分もこの国家が犯してきた罪をどこかで背負わされているという暗い気分に陥る。(pp.80-81)


 写真を無尽蔵に配信する通信社のカメラマンの中には、編集者が好んで載せそうな写真を、いかにも目の引きそうなアングルで撮る職人芸に徹した人が多い。出版側はそれをいかにもその絵に合ったような政治的メッセージに絡めて印刷する。

 アフリカとくれば、貧困、そして援助、そう短絡してしまうのは仕方がないのかもしれない。アフリカには想像もできないような金持ちが多数いる。そして、そこに降り注がれる援助金の多くは少数の特権階級の懐に消えてしまう。その反面、時に干ばつが来て緊急支援が遅れればあっさりと餓死してしまう人もいる。

 こうした地で報道に関わる者には、「貧困」「援助」というテーマが棘のように突き刺さっている。アフリカの人の言葉や、彼らの生活をつぶさに伝えれば伝えるほど、ひとりで完結しているような生の豊かさや孤高さを物語ることになり、「助けなくちゃ」という使命感をぼかすことになる。(pp.214-215)


「はっきり言って、食糧はもらいたくないんです。届いたときはみな喜び、何日間かは思いっきり食べますけど。なくなったとき、とても、空しい気持ちになるんです。私達はこんなに働いて、トウモロコシをつくっても、結局、ただでもらったほどのものをつくれない。だから、もらうのなら、まだ肥料をもらった方がいい。乏しい収穫を前に、これをどうやって分けて、どうやって食べていこうかと思っているときに、ただの食糧が来ると、もう働く気がしなくなるのです」

 夫を早くに失ったごく普通の農家の女性の言葉だ。私はその女性が援助をかなり冷めた目で見ていることに、感銘をおぼえた。(p.216)


 援助と気軽に言っても、人を助けるのは簡単ではない。尊厳という問題が絡んでくるからだ。相手が何を求め、どんな気持ちでいるかを知らなくては手の差し伸べようがない。アフリカ人を知るのも容易でない。まして、歴史的にほとんど関わりのない日本人が彼らを知るには相当な時間がかかる。むしろ、はたからは「旧宗主国による搾取」と映っても、長年、アフリカに住んでいる欧州系の人々の方がまだアフリカを理解している。アフリカに腰をすえている彼らは、「アフリカを救え」といった大雑把なメッセージを自ら発しない。周りを見れば、救える者もあれば救えない者もあると心得ているからだ。(p.217)


 漠然と無数の人々への援助を考えるよりも、救うべき相手をまず知ることから始めなければならない。先進国の首脳会議などの会場を取り囲み、「貧困解消、貧富の格差の是正」を叫ぶ若者達がいる。こうしたエネルギーを見ていると、1年でいいからアフリカに行って自分の暮らしを打ち立ててみたらいいと思う。1人のアフリカ人でもいい。自分が親しくなったたった1人でいい。貧しさから人を救い出す、人を向上させるということがどれほどのことで、どれほど自分自身を傷つけることなのか、きっとわかるはずだ。1人を終えたら2人、3人といけばいい。一般論を語るのはその後でいい。いや、経験してみれば、きっと、多くを語らなくなる。(p.226)


アフリカをもっと知りたいと思いつつも、1年でも現地で住む機会がなかなかない僕らとしては、アフリカを舞台とした文学の中からアフリカ的生活、アフリカ的心を理解するしかない。著者が度々引用しているのが南アのクッツェーの数々の著書である。

 J.M.クッツェー著『恥辱』早川書房、2000年12月


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