『日本近代科学史』 [仕事の小ネタ]
内容紹介【購入】
伊能忠敬、杉田玄白、佐久間象山、北里柴三郎、長岡半太郎……。明治維新から昭和を経て、科学と技術の国となった日本。紆余曲折の歴史の中、果たして日本人は、西欧に生まれ育った“科学”を、本当に受け容れたのか? 西欧の思想は、日本をどのように変えたのか? 西欧科学という「踏み絵」を使って500年を考察した、壮大な比較科学思想史!科学史研究の第一人者、村上陽一郎の初の単著『日本近代科学の歩み』(三省堂選書 1968年刊)を改題、文庫化。
この本も、読了後は当地に置いて行こうと思って日本で半年前に購入した。読み始めるまでに時間がかかったのは毎度のことであるが、なぜ今なのかといえば、文庫本だから飛行機の旅のお供にちょうど良かったからだ。今、カトマンズ(ネパール)~チェンナイ(インド)と続く出張の途上にあるが、本書はまだ任地滞在中から読み始めていて、読了はカトマンズから経由地デリーに向かう機中でのことだった。
購入の理由は、今の仕事を引き受ける前に自分が関わっていた日本の近代化の歴史をコンテンツ化するというプロジェクトと関連する。それに自分が関わったのは2019年4月から2020年3月までの12カ月のみだが、その間に、日本の科学技術の歴史もコンテンツ化した方がいいのではないかという話が持ち上がり、自分なりに文献を読んで予習を始めていた時期があった。
結局異動もあったのでそのタスクは後任に引き継いだのだが、次の配属先が「科学技術」のカレッジだったので、話のタネとして知っておいた方がいいのではないかと改めて思い直し、それで書店で見つけた本書を買って持って来ることにした。
結局、そんな話題でブータンの人と盛り上がる機会はあまりなかったので、長らく積読状態で放置していた。今読んだのも、残りの任期が2カ月半となったからでもある。本書は帰国すれば図書館で借りて読むことができる。今ブータンにいる邦人の方、ないしはこれから来られるような邦人の方に関心持ってもらえればと思ったので、JICAの事務所にある僕の文庫棚に残していきたいと思う。
著者の論点は簡単にまとめると、日本は西欧の科学技術を取り入れてゆく過程で、「技術」のみを受け入れてきて、「科学」の受入れはあまり活発には行われてこなかったというものだと思う。よく、日本は応用研究は得意だが基礎研究は盛んではないとか、外国の先行技術をハックして応用を利かせるのは得意だが、ゼロから新たな技術を生み出すのは得意ではないとか言われるが、それと通底している議論のように思えた。
初刊が1968年に出た本であっても今にも通じる論点が含まれているように思う。また、通り一辺倒な政治史だけを教科書中心に学んで、日本史をわかったような気になっていた自身の不勉強も痛感させられた。種子島の鉄砲からはじまり、江戸時代の漢学、蘭学、ひいては洋学への流れの中での個々の出来事について、名前だけは知っていても、その歴史上の位置付けについて考える機会はそれほど多くはなかった。
また、そもそも「科学」という言葉がどのような意味なのか、西欧では「科学=フィロソフィー」なのに日本では「フィロソフィー=哲学」と捉えられている点とか、今まであまり考えたことがないような気付きが
本書はそれを考えるいいきっかけになった。
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