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高校生が見てきた日本の地域おこし [ブータン]

ブータンの高校生が見た日本の六次産業化
Sixth industry initiative Bhutanese students saw in rural Japan
Kuensel、2018年4月28日、Koji Yamada(JICAブータン事務所長)
http://www.kuenselonline.com/sixth-industry-initiative-bhutanese-students-saw-in-rural-japan/

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先月半ば、トブゲイ首相が日本を訪問した。その頃の訪日報道については、「華々しい首脳外交の陰で」の中でご紹介したが、両国政府がもうちょっとフォローした方がいいんじゃないかなと思っていたのが、日本政府(外務省)の対日理解促進プログラム「JENESYS」の招聘プログラムで毎年日本を訪れる高校生や大学生がいるというところである。10日間ほどの招聘プログラムで、ブータンからは毎年20~30人ぐらいが、インド、ネパール、スリランカ等のSAARCメンバー国から選ばれた高校生、大学生等とともに、日本を訪問している。

こうした招聘プログラムの存在は、僕がブータンに来る前から知っていた。東京でひょんなことから何人かの高校生を知り合う機会があり、こちらに来てから連絡を取ろうと試みたが、学校にコンタクトすると「市役所を通せ」と言われたり、それでも学校にコンタクトに成功しても、次は「既に卒業している」と言われてしまったりして、追いかける術を失ってしまった。彼らは各高校や大学から選抜されてJENESYSに参加してくる若いリーダー的役割の人々で、親日派・知日派としてのポテンシャルは相当高いと思うが、今どこにいるのかがわからなくては、そのネットワークの活用のしようがない。

ところが最近、彼らが意外なところをよく見ているというのに気づいた。それは、JICAブータン事務所のFacebookである。1年前ぐらいからだろうか、JICAの所員が国内を出張する際、行く先々でJENESYS参加者と面談している様子がアップされるようになった。そのページを見ていると、そこで紹介された参加者本人だけでなく、他の記事で紹介された別の参加者も「いいね」を押してくれていたりする。英語なので読まれているのかどうかはわからないが、彼らが「最も印象的だった」と口を揃えるホームステイのホストファミリーの方々も、彼らの近況を見て下さる可能性がある。

僕もそこで紹介されたJENESYS参加者の1人を知っているが、彼らはWeChatというSNSのアカウントを持っており、同期の参加者同士、そこで交流を図っているという。JICAの人がいつ誰のところを訪れたのか、全部メンバー間で情報共有されていて、「俺のところはいつ来るんだ」とワクワクしながら待っていたと聞いた。JICAのFacebookが、JENESYS参加者同士、プログラムに関わった日本側の関係者とをつなぐプラットフォームになりつつあると実感した。

今年もいつかはわからないが、ニューデリーの日本大使館は、当地でジャパンウィークを開催するんじゃないかと思うが、せめてそういう機会ぐらいは、JENESYS参加者が集うことができる同窓会でも開催していただけたら嬉しい。大使や政府高官がお越しになる時は、彼らに会っていただけたら嬉しい。彼らは日本から戻ってきても日本と何らかつながっていたいと思っている。だからJICAのFacebookをフォローしているんだし、僕が会った大学生も、「集まりがあれば呼んでほしい」と言っていた。

◇◇◇◇

さて、前半はJENESYS招聘プログラムのことばかりを書いたが、この1年、JICAのFacebookでしか見かけなかった「JENESYS」の文字が、4月28日付のクエンセルに載った。JICAの所長による記名記事で、ブータンの高校生が見てきた、日本の地方における六次産業化の事例として、長崎県大村市の「おおむら夢ファーム・シュシュ」(以下、シュシュ)の取組みが紹介されている。

この高校生4人は、バジョのユースセンターのマネージャーの引率で、昨年11月下旬に長崎を訪ねた。平和資料館訪問や諫早高校の生徒との交流イベント等に加えて、農業拠点施設であるシュシュを半日訪問し、そこでジェラートやプリンを賞味し、「ぶどう畑のれすとらん」で地元食材で作られた料理をバイキングでご馳走になった。夜は、シュシュのメンバー農家さんの家で2泊ホームステイさせてもらったらしい。

短期訪問するだけでは、シュシュの今しか彼らは知ることができない。シュシュは1990年代後半に既に取組みが始まっていた日本の六次産業化の中でもかなり初期から取り組まれた有名な事例で、僕が1月に読んだ金丸弘美『里山産業論』の中にも、「ぶどう畑のれすとらん」が作られた経緯についての言及があった。そういう、シュシュの立ち上げに関わった人々が当時何を考え、行動に移していったのか、華々しい今の姿に至るまでに、関係者の方々のどのような努力があったのか、短期の見学ではそこまでの洞察には至らないことが多い。ましてや彼らは高校生なので、見たもの体験したものを断片的にしか捉えられていない。

JICAの所長の寄稿は、それを補うために行われたふしがあり、シュシュについて集められる資料を集めてそれなりに読み込んで書かれている。ブータンでは、政府の役人でも、農業は農業、製造業は製造業、サービス業はサービス業と、産業区分通りに明確に区切られていて、農家が農産品加工も手がけ、直売所も経営し、さらにはレストランや冠婚葬祭、農業学校にまで経営拡大するという発想がない。「六次産業化」と聞いてもピンとこない役人が多く、かといって日本の六次産業化の取組み事例を英文で紹介したようなコンテンツは寡聞にして聞かない。シュシュについても、日本語では非常に多くのレポートが存在するが、英語になると旅行者向け情報サイトで言及がある程度で、それらは六次産業化とはどんなものなのかという視点では描かれていないのである。

この記事のキモは最後にある有限会社シュシュの代表取締役のひと言にある。地元農家が自分たちでリスクを取り、土地を持ち寄り、金を出し合い、大きな借金までして、自分たちで経営を進めた。政府の助成制度に安易に頼らず、他の直売所との違いを見せ、お客様を飽きさせず、何度も来てもらうために何をしたらいいか、常に考え続けているという。自分たちでリスクを取ることで、それだけ考えに考え、アイデアが浮かんでくるのだという。

1000ワードという規定に収めるのは大変だったと思うが、僕たちが「六次産業化」や「コミュニティビジネス」を口にする際に、「これ読んでみてよ」と1枚ペラ紙で手渡せるコンパクトな資料として、この寄稿は使えると思う。また、JENESYSに参加した高校生も、学校で日本について話すとき、「自分が見てきたのはこんなところです」と言ってこの記事のコピーを配布できたりするに違いない。

◇◇◇◇

それにしても、4月28日付のクエンセルは面白い記事が多かった。同じ日の新聞から3つもブログで拾うことになるとは思わなかった。実はもう1つあるのだけれど、それはやめて、僕も先に進むことにする。

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