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歴史を掘り起こす仕事2 [仕事の小ネタ]

帝国日本の気象観測ネットワーク〈2〉陸軍気象部

帝国日本の気象観測ネットワーク〈2〉陸軍気象部

  • 作者: 山本 晴彦
  • 出版社/メーカー: 農林統計出版
  • 発売日: 2015/10
  • メディア: 単行本

来年早々に受験を控えている子供が2人もいるため、この年末年始は恒例の里帰りもしていない。年末年始を東京で過ごすというのも久しぶりのことで、なんとなくペースをつかめないでいる。

積読にしてあった本でも読もうかと思っても、どれも分厚いのでなかなか読み始める勇気が持てないでいる。どんなに頑張ってもこの6連休で読める本は1、2冊がせいぜいだと思うが、著者に謹呈いただいた本を年明けまで放置するのも気分的によろしくないので、取りあえず紹介してしまうことにしたい。

今年4月に『歴史を掘り起こす仕事』という記事を書き、山口大学の山本晴彦先生から謹呈いただいた3冊をまとめてご紹介したことがある。タイトルはどれも「満洲」やら「帝国日本」やらがくっついていて、いかつい印象を受ける分厚い本ばかりだが、記録にしっかり残しておく必要性が極めて高い歴史の一側面を、見事にまとめておられるのが印象的だった。

この3冊をご紹介してホッとしていたところ、10月になって先生からさらにもう1冊送られてきた。日本の気象観測の歴史を、満州統治時代よりもさらに遡るもので、これまで主に満州統治時代の現地での気象観測の記録をもとにしてデータをまとめてこられた著者が、先人がまとめた『陸軍気象史』(1986年発行)という本の情報をもとに、さらに気象庁図書館、防衛研究所所蔵資料、アジア歴史資料センターのデジタルアーカイブ、米国議会図書館、奈良県立図書情報館「戦争体験文庫」等をこまめにあたり、集めた情報を整理したものだ。

日本の気象事業は、明治8年創立の東京気象台に始まり、その後公営の測候所が全国各地に作られた。東京気象台はやがて中央気象台と名を変える。本書はこのあたりから歴史の紐解きをはじめる。中央気象台はやがて第1次世界大戦後の航空機を利用した戦闘への多様化に伴って気象事業の軍事利用の必要性が高まり、日露戦争の気球隊偵察業務から、高層気象観測へと大きく展開する。初期の中央気象台の関係者たちは、これが軍事利用されるとは思っていなかったのだろうが、その意に反してどんどん戦争に取り込まれていったのだ。

僕はこういう分野の専門ではないが、よく読んでいくと、僕の関心領域とも接点があるような記述が所々に出て来る。例えば、明治36年(うちの祖母が生まれた年だ)、日露戦争の旅順総攻撃で活躍した臨時気球隊は、38年に第一、第二臨時気球隊に改編され、このうち内地で大気中だった第一臨時気球隊は、宿営地として関香園(畳270枚)を確保し、中野の作業場と宿営地間の往復は約30分を要したと書かれている。この「関香園」は、今では「蚕糸の森公園」と呼ばれている。明治44年(1911年)に農商務省原蚕種製造所が当地に創設されてから、農林水産省蚕業試験所(1914年)、蚕糸試験所(1937年)への改称を経て、1980年までの約70年間、日本の蚕糸業を支えた研究開発と人材育成の拠点となった場所である。でも、僕はこの蚕糸業の拠点のことは知ってても、それ以前のこの地のことは知らなかった。「関香園」というのは、関口兵藏という人が作った料理店だったらしい。

また、アジア歴史資料センターのデジタルアーカイブの使い勝手について、著者は若干苦言を呈しておられるが、そもそもこうしたアーカイブの存在自体を知らなかった僕などは、これを利用して少し調べてみたら、日本の蚕糸行政の歴史をもう少し紐解くことができるかもという気がしてしまった。山本先生、ありがとうございます!

タイトルはいかついが、気象予報士を目指すような人は、日本の気象観測の歴史を知る意味では読む価値がある1冊だと思う。僕はこういう分野の専門家ではないが、過去に埋もれていた文書に光を当て、何もしなければ忘れ去られてしまったかもしれない歴史の一側面を記録に残すという取組みは非常に重要だと思う。こうした本は、何年も経ってからきっと有用度が増すに違いない。分厚いが、書棚の肥しにはしておきたい。

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