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『蛍の森』 [読書日記]

蛍の森

蛍の森

  • 作者: 石井 光太
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/11/29
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
四国の山奥の村で、謎の連続老人失踪事件が発生した。容疑者となった父親の真実を探るべく、私は現場へと向う。だが、そこには歴史上最も凄惨な「人権蹂躙」の闇が立ち込めていた…。人間はどこまで残酷なのか。生きることに救いなどあるのか。長年の構想が結実した情念の巨編!血塗られた「差別」の狂気が、60年の時を経ていま蘇る―ノンフィクションの旗手が世に問う、慟哭の社会派ミステリー!
市立図書館で借りて間もなく2週間になる。本書の前に読み始めていた別の本で思いの他苦戦し、返却期限が迫っているため、今日(土曜日)は、早朝4時から本書を読みはじめ、午後2時になってようやく読み終わった。こんなに集中して読んだのは久し振りだ。今週もずっと仕事が忙しくてまとまった読書の時間など作ることができず、来週もそれに輪をかけて残業続きとなるのが間違いないので、この週末だけは仕事以外のことをやってリフレッシュしたいと思っていた。

読了した今、打ちひしがれている。感動したからではない。今から60年ほど前でしかない1950年代の日本の農村社会に、正史では決して語られることのない、壮絶な闇の部分が存在していたということに、声が出ない。

ノンフィクション・ライターが初めて書いた小説という触れ込みだが、扱っているのが1950年代のハンセン病の問題だっただけに、取材で集めた情報に基づくものであったとしても、ノンフィクションのルポは書きづらかったのかもしれない。昔のことを触れられたくない人もきっと多いと思う。取材して実名が知れるのを嫌がる人もきっといるに違いない。(匿名であったとしても、すぐに誰のことかわかってしまうかもしれない。)だから、小説に初挑戦というポジティブな取組みというよりも、フィクションにせざるを得なかったのではないかと想像する。

昨年8月に日本のハンセン病発症者隔離政策について集中的に調べたことがある。そして、民俗学者・宮本常一の執筆作品の中で、日本では古くからハンセン病を「カッタイ」と呼び、深い山谷を越えた人のなかなか立ち寄らない集落に発症者が集まって暮らしていたという記述が度々登場する。お遍路さんが通常通るような街道とは違い、山をよく知る者だけが通行し、ふもとの住民でも知らない道があり、ハンセン病を患った人々は、人目を避けてこうした道を使って移動し、また集落でひっそりとした暮らしを営んでいるというようなことが書かれていた。

日本も1960年代以降開発が進み、こんな山奥の辺境の地はどんどん開拓されたり、逆に過疎が進んで余計に人が住まなくなったりして、どこにそんなルートがあったのか、どこにそんな集落があったのか、わからなくなってしまった。でも、宮本常一が描いたこうした20世紀前半までの日本の山村の光景がどのように現在の形に変化していったのか、かつてはそこで暮らしていたハンセン病発症者が、どのようにして全国の国立療養所に収容・隔離されていってしまったのか、その過程がなかなかイメージできなかった。

本書はフィクションではあるが、辺境の地に住むハンセン病発症者と、療養所で暮らす発症者との間をつなぐストーリーになっている。僕の認識のギャップを埋めてくれる書籍として、読んで良かったと思う。それと、フィクションだけにどこまでが本当なのかはわからないが、国立療養所での生活についても勉強にはなった。

文中でまかれた伏線は最後までにほぼ回収されており、なかなかの構成力だと思う。ただ、ここまでひどいことをする村落住民が本当にいたのか、集落でひっそり暮らすハンセン病発症者の中に、平次ほどの不届きな奴が本当にいたのか、にわかに信じられないし、文中、カッタイ寺(ハンセン病発症者が共同生活の拠点としていたお寺)と雲岡村の中心地との間は、いくつもの尾根と谷を越えなければ簡単には行き来できなかった筈なのに(そうでなければ、カッタイ寺はもっと早く村民に発見されてしまっていただろう)、寺で暮らしていた人々は、この両地点を割と頻繁に短時間で移動したりしており、急峻な山のけもの道のようなところの往来の描写にはリアリティが少し欠けている気がした。

いずれにしても、読みはじめるにあたって読み手に相当な覚悟を強いる作品である。

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