『折れやすい部下の叱り方』 [読書日記]
女子柔道暴力問題は、全柔連の強化指定選手が45人もいると聞いて、ちょっと見方が変わった自分がいる。訴えた15人と残りの30人との間で、どうして意見が分かれたのか、他の30人はどう思っているのか、興味があるところである。野球の世界では、よく「怒られ役」というのがいて、他の選手のミスでもなぜか決まって監督・コーチから怒られる選手が決まっているという話をよく聞く。チームとして成功していれば美談として済まされる話だと思うが、「怒られ役」に対するフォローを怒る側がちゃんとしておかないと、怒られる選手がメンタル面で支障をきたす恐れがあると思う。
それに、「怒られ役」を周囲で見ている同僚も、どうやって怒られ役をフォローするのかを考えないといけない。今回の女子柔道の問題にせよ、大阪の高校バスケ部の問題にせよ、僕にはよくわからないのは、監督コーチ陣を評価する声がある一方で、暴力をやられていた一部の選手たちに対するチームの同僚の思いやりの言葉がほとんど報じられていないことだ。「私は暴力的指導は受けてません」と言われても、それじゃあ暴力的指導を受けていた他の選手をどう見ていたのだろうか。
まあ、日本代表候補になりそうな選手が、技術的に首脳陣の期待するレベルに達していないというのなら、それは所属チームで技を磨いておくべき話で、できないのなら強化選手に指定するべきでもないとも思うんですけど。
で、何となくタイムリーなテーマの本を選んでしまったわけです。
最近、上司の上に君臨する元上司から怒られることが二度三度とあり、だんだん素直に話を聴けなくなってきている。元上司だとはいえ今はそうじゃないのだから、今の上司をすっ飛ばしていろいろ指示されても正直言って動きがとりづらい。その指示に従って何かをしようとすると、結局今の上司のところに話を上げなければならないが、そこの部分が元上司と現上司の間でシェアされていないことが多く、現上司に対して自分で説明しなければならないことが多い。逆に、今はこのラインの仕事だからと、現上司を通じて進めた仕事がうまくいかないと、元上司から「なんで自分を通さない」と言われる。
その人のメールが届くだけでも心拍数が上がり、すぐに開けられなくなってきてしまった。メールを開けるだけでものすごいエネルギーを使う。こんなことは今までなかった。自分自身が折れかかっているのではないかと思う。
本書は、200頁超もあるが、主張はいたって単純で、部下を叱るよりも話を聴けというものである。以前何冊か紹介した「傾聴」というやつである。p.94にその傾聴とスキルとプロセスが図で書かれているが、これがすべてではないかと思う。
①部下の話に同意を示して、部下の心にコネクトする。
②部下の思考と感情に共感を示す。
③質問をして、意見を求め、考えさせる。
④以上を適宜繰り返し、その中で上司は、意見ではなく、気持ちを伝える。
⑤最後は必ず褒めて終わる。
こんな手順を踏んで話を聴いてくれたという上司は意外に少ないんだなと思う。逆に、僕が部下を持っていた頃、どうしょうもない部下が1人いたけれど、著者の言うアプローチを一時試みたところ、図に乗ってさらに仕事をやらなくなったので、結局やめてしまった。
こんな上司はいないという前提で考えるなら、自分が折れないための対策は自分で講じておかないといけないのかなと思う。そういう意味では、本書の「上司が「折れない心」を持つために」というセクションに書かれていることが実はいちばん役に立つような気がした。(まあ当たり前のことばかりだったけれど。)
最後に、「よき上司のもとで、叱られなくても部下は育つ」というセクションに書かれていたことを引用しておく。体罰・暴力で揺れている日本のスポーツ界の指導者に、読んでもらいたい、かな。
それに、「怒られ役」を周囲で見ている同僚も、どうやって怒られ役をフォローするのかを考えないといけない。今回の女子柔道の問題にせよ、大阪の高校バスケ部の問題にせよ、僕にはよくわからないのは、監督コーチ陣を評価する声がある一方で、暴力をやられていた一部の選手たちに対するチームの同僚の思いやりの言葉がほとんど報じられていないことだ。「私は暴力的指導は受けてません」と言われても、それじゃあ暴力的指導を受けていた他の選手をどう見ていたのだろうか。
まあ、日本代表候補になりそうな選手が、技術的に首脳陣の期待するレベルに達していないというのなら、それは所属チームで技を磨いておくべき話で、できないのなら強化選手に指定するべきでもないとも思うんですけど。
で、何となくタイムリーなテーマの本を選んでしまったわけです。
折れやすい部下の叱り方―「聴く力」を伸ばすカウンセリング・スキル
- 作者: 渡部 卓
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2012/11/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介今、僕には部下はいないので、実生活ですぐに参考にできる本ではない。むしろ部下の視点で上司をどう見たらいいかという問題意識で読んでみた。
自己愛世代の折れやすい部下が急増中。叱り方を間違えるとパワハラと逆ギレされかねない。年上、異性、外国人の部下など、価値観の多様化にも対応できて、上司力をアップするカウセリング技法を初めて応用した注目作。
最近、上司の上に君臨する元上司から怒られることが二度三度とあり、だんだん素直に話を聴けなくなってきている。元上司だとはいえ今はそうじゃないのだから、今の上司をすっ飛ばしていろいろ指示されても正直言って動きがとりづらい。その指示に従って何かをしようとすると、結局今の上司のところに話を上げなければならないが、そこの部分が元上司と現上司の間でシェアされていないことが多く、現上司に対して自分で説明しなければならないことが多い。逆に、今はこのラインの仕事だからと、現上司を通じて進めた仕事がうまくいかないと、元上司から「なんで自分を通さない」と言われる。
その人のメールが届くだけでも心拍数が上がり、すぐに開けられなくなってきてしまった。メールを開けるだけでものすごいエネルギーを使う。こんなことは今までなかった。自分自身が折れかかっているのではないかと思う。
本書は、200頁超もあるが、主張はいたって単純で、部下を叱るよりも話を聴けというものである。以前何冊か紹介した「傾聴」というやつである。p.94にその傾聴とスキルとプロセスが図で書かれているが、これがすべてではないかと思う。
①部下の話に同意を示して、部下の心にコネクトする。
②部下の思考と感情に共感を示す。
③質問をして、意見を求め、考えさせる。
④以上を適宜繰り返し、その中で上司は、意見ではなく、気持ちを伝える。
⑤最後は必ず褒めて終わる。
こんな手順を踏んで話を聴いてくれたという上司は意外に少ないんだなと思う。逆に、僕が部下を持っていた頃、どうしょうもない部下が1人いたけれど、著者の言うアプローチを一時試みたところ、図に乗ってさらに仕事をやらなくなったので、結局やめてしまった。
こんな上司はいないという前提で考えるなら、自分が折れないための対策は自分で講じておかないといけないのかなと思う。そういう意味では、本書の「上司が「折れない心」を持つために」というセクションに書かれていることが実はいちばん役に立つような気がした。(まあ当たり前のことばかりだったけれど。)
最後に、「よき上司のもとで、叱られなくても部下は育つ」というセクションに書かれていたことを引用しておく。体罰・暴力で揺れている日本のスポーツ界の指導者に、読んでもらいたい、かな。
上司が部下の話に耳を傾けず、一方的に部下を叱責するなら、部下もそのやり方を模倣します。そしてチームのモチベーションは下がり、人間関係は悪化し、停滞した職場になります。少なくとも、自分の子供たちにはこのアプローチでいきたいものだ。
一方、上司が部下の話をよく聴き、部下の優れた点を認めて、ほめて、部下を伸ばそうとするなら、部下も同僚や後輩たちに同じやり方で接します。
上司のあり方が、部下のあり方を規定します。
部下の話によく耳を傾け、部下から学ぼうとする上司のもとでは、部下も上司の姿から多くを学ぼうとします。
モデルとなるよき上司のもとで、叱られなくても部下は育つのです。(p.213)
2013-02-10 08:00
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「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
当人は、やけっぱちになっている。
日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この上下感が日本人の判断を狂わせている。
「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
「がんばって」の掛け声のようなものか。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
by noga (2013-02-11 20:13)