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『宗教と開発』学習メモ2 [読書日記]

Religion and Development: Ways of Transforming the World

Religion and Development: Ways of Transforming the World

  • 編者: Gerrie Ter Haar
  • 出版社/メーカー: Hurst & Co.
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: ペーパーバック

「宗教と開発」紹介シリーズ第二弾は、宗教関連団体との対話について、開発援助機関がどのような経験をしてきたのか、そこでの教訓は何か、今後どうあるべきなのかが、世界銀行を事例として論じられている。執筆者のキャサリン・マーシャルは長年世銀に勤めてきた実務経験豊富な学者で、特に1990年代後半に総裁就任したジェームズ・ウォルフェンソンが「世界宗教開発対話(WFDD)」なるイニシアチブを始めてから2005年に世銀総裁を退任するまでの間、この宗教界の指導者達との対話と、宗教界との連携の世銀組織内での主流化の取組みをリードした事務方のトップだった人である。

Ch.2: Development and Faith Institutions: Gulfs and Bridges
Katherine Marshall, pp.27-53

はじめに
◆国際政治では長年、中心的アクターとしての「宗教」を無視。外交による宗教の無視は国際開発事業にも跳ね返ってきていた。

◆宗教団体(faith institutions)と開発援助機関には共通点が多くあり、協働することができる。(例)貧困層への焦点、人の潜在能力が引き出されていない状態に対する不満、社会的排除への懸念、不平等がもたらすモラル上及び実際上の影響への懸念など。

◆何故、宗教と開発という分野で組織間の長い歴史的断絶があったのか?宗教団体とのよりフォーマルな関係構築に取り組んだ世銀の経験に焦点を当てる。

開発と宗教:まがりくねった歴史 
◆1965~2009年に世界で起こった大きな出来事が、開発援助実務者の間で、開発モデルの再考と新たな政策アプローチ――何が社会的変化と経済成長を促すかについての狭く機械的な見方(インフラ、資本)から、複雑で人のケイパビリティに注目する見方への変化――をもたらした。そこでは、経験に基づく大きな教訓として、学際的アプローチの重要性が明らかにされてきた。

◆一方、グローバル化や、脱植民地化と近代化に伴う混乱は、伝統的宗教構造を揺るがせ、変化を強いてきた。宗教に対する世俗主義の勝利。しかし、実際には萎縮するどころか、今日、研究者は、「再興(resurgence)」という言葉で宗教的光景の活況やダイナミズムを表現している。

◆宗教団体や宗教における考え方は、「開発」に関する思想に直接的間接的に大きな影響を与えてきており、信仰に触発された多くの指導者や学者、組織が、開発事業において支配的となった新しい考え方(人間開発?)の先駆者であると主張するようになった。

◆宗教団体と開発機関の接近は、開発における市民社会の役割の変化によって影響を受けたもの。

◆開発実務者は宗教団体を単に市民社会の一部として見なし、NGOと同じ条件で同じような活動を行っていると見る傾向がある。しかし、宗教団体を世俗主義的な他のNGOと同一視することは難しく、単純なカテゴリーに収められないほどバラエティに富む。特定宗教を背景に持つNGOと信仰コミュニティ、宗教団体の間の関係も複雑で、様々な形を取る。宗教団体(FBO)にのみ注目するのでは、集会や宗教メディア、信仰に触発された集団、その他宗教組織が持つ広大でダイナミックな世界の多次元の重要性に目が行き届かなくなるリスクがある。

宗教と開発の交流の実際:世界宗教開発対話(WFDD)
◆1998年以降の世銀と宗教指導者や宗教団体との関係構築は、ハイレベルのリーダーシップの下で進められ、かなり長期にわたって続けられたという点でユニーク。

《不安げな開発アクター》
◆開発機関の掲げる開発アジェンダの多くは、貧しいコミュニティで活動する宗教団体や宗教指導者にとって馴染のあるものだが、彼らがそこで活動していることは、開発実務チームには見えていないことが多い。この見落としは、宗教団体と開発機関の役割が異なるという先入観や、宗教団体が開発目標に対して反対の立場を取るのではないかという疑念に基づく。

◆宗教指導者やコミュニティが描く開発機関像にも一方的な偏見が存在する。「富の集中を進める」「債務返済、経済危機、食糧・農業補助金、公共部門効率化」「水道民営化」

《両者の関係構築に至る9つのフェーズ》
世銀が宗教団体にアプローチした理由:①世銀批判への対応、②貧困対策での共通利害、③関心と活動が共通する分野では協働した方が効果的との認識。

 1)無視と不安:世銀の長い歴史の中で、宗教団体との関係構築は散発的で個人のイニシアチブによるもの。
  記録に残されていない。

 2)宗教指導者や団体による世銀批判(1980年代以降):アフリカやラ米の経済危機での世銀の対応が批判の対象に。

 3)「貧しい人々の声」:ローカルコミュニティは、政府やNGO、軍や警察よりも
  先ず宗教団体に信頼を寄せることが多い。
 
 4)市民社会:宗教指導者は世界的な市民社会フォーラムに参加(World Vision、Christian Aid)。
  国内でも同様なフォーラムで指導的立場にある。

 5)債務削減・PRSP:ジュビリー2000運動。PRSPでは国の貧困削減政策の策定時に
  public consultationを求める。

 6)援助調和化:宗教団体は調和化に必要な資金面、活動面の問題の解決に貢献するだけでなく、
  問題の一部ともなっている。宗教団体の政府に対する不安・不信。 (例)HIV/AIDS問題

 7)貧困と闘うためのアライアンス:UNミレニアム宣言(2000)では宗教コミュニティへの直接的言及は
  なかったが、その後MDG達成努力の中で焦点の1つとなってきた。
  (例)Religion for Peace、Micah Challenge

 8)ポストコンフリクトとその後:宗教団体は紛争中も教育・保健サービスを提供。紛争終結後の平和構築と
  サービス提供でも役割。

 9)サービス提供とHIV/AIDS:宗教団体の運営する学校や保健サービス。特にHIV/AIDS対策で顕著。

《WFDD-緊張関係の経緯》
◆1998~99年:ウォルフェンソン世銀総裁とカンタベリー大司教の個人的な取組みとしてWFDD創設。ローキーでスタート。

◆世銀組織横断的取組みに発展させようとしたところで、世銀内部から抵抗。
 1)宗教は争いの種を作る:教会と国家の微妙な関係。原理主義運動を巡る不安。
  ←(著者反論)開発関係者は宗教の役割、宗教団体の活動を単純化して見過ぎているのではないか?

 2)宗教は危険である:宗教団体と開発機関は拠って立つアジェンダが異なる。
  宗教団体は、「近代化・社会変革に反対」「女性の役割の変化に反対」「サービス提供も、
  改宗目当てや特定グループのみを支援するものではないか」   
  ←(著者反論)そうではない宗教団体も多い。

 3)宗教はいずれ機能喪失する:近代化・経済成長とともに、宗教や信仰は衰退。
  ←(著者反論)単純化しすぎ。宗教や信仰の変化のトレンドやダイナミズムを理解するには、
   もっとエビデンスが必要。

◆宗教グループに関する個人や組織の仮定が、個人的経験に基づくものが多い。「宗教リテラシー」向上のためには、強力なリーダーシップと客観的データの蓄積が必要。

◆開発機関と宗教界の連携は、宗教的文化的事情に応じて改変されなければならない。そのためには事例研究の拡充が必要。

◆開発アジェンダと宗教アジェンダがいつも一致するわけではないが、宗教団体やグループのアジェンダやビジョンの変化、活動内容から、開発機関は知見を得ることができる。

《教訓》
◆グローバルレベルで宗教団体と関わることには、世銀経営層は依然懐疑的。
  1)知識欠如。保健・教育での宗教団体の活動の評価が不十分。
  2)使用言語やアプローチの違い。
  3)宗教団体の資金の流れがわかりにくい。
  4)世俗団体と宗教団体の関係が不安定。

◆WFDDのその後の経過:
  1)カンタベリー会合(2002)、ダブリン会合(2005)でMDGsとHIV/AIDS、保健、
   子供に関する実務的課題を議論。
  2)ウォルフェンソン総裁退任、カンタベリー大司教交代を機に、モメンタム後退。
   優先的パートナーシップに絞り込んだ活動に。
  3)アクラ会合(2009)、特定国での特定サービス提供に絞った活動へ。
  4)WFDDは世銀から独立して事務局開設。
   世銀内では「価値観と倫理に関する開発対話(DDVE)」グループが課題分析活動でWFDDに協力。

《評価》
◆ポジティブな評価は難しいが、進展があったのも事実。
  1)相互理解の促進
  2)調和化とスケーリングアップが対話の目的として明確になった。
  3)特定の宗教運動や原理主義運動に関連したリスク管理への意識の高まり。
  4)両者が持つ誤った先入観に基づく敵意が緩和された。

宗教と開発のパートナーシップを優先課題とするには
◆パートナーシップ構築の理論的根拠:
  1)宗教団体の存在と住民から得ている信頼
  2)宗教団体による開発への積極的関与
  3)紛争解決、予防、人道支援における宗教団体の役割
  4)宗教が持つ倫理観と価値観
  5)その世界的ネットワークを通じた開発アジェンダの支持

◆論争(ディベート)ではなく、対話(ダイアログ)を。相手から学び、そして自ら変わっていくことこそ対話。非難の応酬ではなく、開発機関の進める政策やアプローチに対する理解が双方で異なるのはなぜなのかを理解し、評価し合う。(例)ジュビリー2000

結論:未来のアジェンダ
 a. 代表的な国々で何が起こっているのか、その構図を慎重に追いかけておくこと
 b. 教育と若者という重点領域における宗教団体の役割に焦点を当てること
 c. 経済的動機の領域をさらに追求すること(ウェーバー効果)
 d. キリスト教以外の宗教も含めたより広範な宗教団体ネットワークになるよう拡張していくこと
 e. ガバナンスや腐敗汚職の問題に積極的に関与すること
 f. ジェンダーやリプロダクティブヘルスに関する慎重だが積極的な対話
 g. 和解と再建が必要かつ実行可能な場における協力を促進すること

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開発と宗教の交流、開発援助機関と宗教関連団体の連携の直接的事例として、こうして世銀が何をしてきたのかを見ていくと、どうしても感じてしまうのは、これはクリスチャン同士の対話じゃないかということである。そうじゃないと反論されるところもあるかもしれないが、こうしてトップ同士の人間関係構築からスタートしている話で、登場してくる人々は少なくとも殆どがクリスチャンである。WFDDが世銀内部でも受けが悪かった理由を幾つか並べているが、世俗的開発機関の典型例である世銀の場合、スタッフにも様々な信仰を持つ人々がいるだろうから、とりあえずキリスト教関連団体との対話から始めようと言われても容易にそうですかといかないところはあったのではないかと思う。

僕なりにこの章で重要だと思ったのは、「開発と宗教」と言った場合に呈せられる拒否反応の殆どが個人的経験と先入観に基づくものでしかなく、本当に宗教を理解するためには、もっと客観的なデータを積み重ね、エビデンスに基づいた冷静な議論が必要だと著者が言っている点である。結局世銀組織内で主流化するまでに至らなかったことに対する負け惜しみとしか聞こえないところはあるのだけれど、エビデンス・ベースの議論の必要性については、宗教に限らずその通りだろう。「近代化・経済成長とともに宗教や信仰は機能喪失する」というのは当っていないと思う。1990年代前半、オウム真理教にあらだけ多くの若者が入信したことを考えると、あまりに経済発展が進むとかえって信仰に救いを求める人が増えてくるのではないかという気がする。

そんなわけで、2005年にウォルフェンソンが世銀を去ってから、WFDDは勢いを失った。ただ、だからといって開発援助業界において「開発と宗教」というアジェンダが意義を失ったのかというとそうでもない。今や内閣府やOECDの調査研究の対象となっている「幸福度」とかは、本来人が人生に最も望む幸福と健康の度合いをどう反映させるかという問題意識から始まっており、そこには信仰や宗教も含まれているように思う。「宗教」と言われると抵抗感があるが、「幸福とは何か」と言われると、それを考える必要性については誰も反対はできないだろう。

HappyPlanetIndex.jpg

上図は英国NGO Friends of the Earth(FoE)が開発した「Happy Planet Index(地球幸福度指数)」に基づいて、国別に色分けした世界地図である。緑色が最も幸福度が高い国で、茶色が濃い国は逆に幸福度が最も低い(出所:Wikipedia)。日本が低いだろうというのは想像してはいたが、米国が意外に低いというのには驚かされた。
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