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『続・あゝ野麦峠』 [シルク・コットン]

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あゝ野麦峠 続 (2) (角川文庫 や 7-2)

  • 作者: 山本 茂実
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: 文庫
出版社/著者からの内容紹介
 戦後ノンフィクション、屈指の名作『あゝ野麦峠』が世に出て十数年。以来、不朽のロングセラーを続ける間に、著者の手元には、さらなる膨大な新資料が集められた。
 ”あゝ飛騨が見える……”とつぶやいて、晩秋の野麦峠に散っていった哀しい工女みねの兄のその後は……? 野麦峠を越えた悲惨な工女たちは、飛騨地方の工女ばかりではなかったこと……。 また、女工哀史ばかりではなく男工哀史もあった事実。岡谷地方を震撼させた山一争議が、後に製糸業界に与えた影響は……?
 これは、新たに発見されたエピソードや資料をもとに、明治政府の下で強力に進められていた富国強兵政策の中で押し潰されていった、若き工女や村人たちの姿を浮き彫りにする感動のドラマである。
また古い本で恐縮です。僕が読んだのは昭和55年4月に角川書店から出ている単行本だが、既に絶版になっているので代わりに角川文庫から昭和57年に出た文庫本の方のリンクを張っておきたい。

続編というのは本編から比べると面白さが薄れるという経験を何度もしたことがある。それくらいの割り引いた気持ちで『あゝ野麦峠』の続編も読み始めたのだが、そうした期待を裏切り(?)、民俗学資料としてはかなり面白い1冊だと思った。飛騨から野麦峠越えして岡谷の製糸工場に働きに来ていた工女を中心に描いていた本編とは異なり、この飛騨出身の工女から派生して様々な切り口でこの時代と言うものを描いている。

「あゝ飛騨が見える」とつぶやいて、野麦峠で息を引き取った政井みねさんを、その時背負っていた兄・辰次郎さんは、その後故郷に地蔵を建立して妹の供養をされた(第1話・おみね地蔵由来記)。この政井辰次郎さんはなんと写真で登場している。明治の時代と現代の読者である僕達を一瞬で繋げる手段がこうした挿入写真である。

また、野麦峠越えで岡谷に働きに来ていた工女が全て飛騨出身ではなく、さらに数十キロ離れた越中八尾あたりからも出稼ぎに来ていた工女経験者に直接取材して書かれた話(第2話・越中おわらと野麦峠)も新鮮だった。さらには、飛騨の糸引き稼ぎが明治時代以前から行なわれていた話(第3話・オトメ餅の哀歌)とか、峠のお助け茶屋にいたという鬼婆さとはいったい誰だったのかを調べてみた話(第13話・お助け茶屋・鬼婆さの謎)とか、本編を読んだことがある読者にとっては、その中で登場していた数々のエピソードをそれぞれ個別に膨らませて発展させていった話がかなり多く、楽しい読書になると思う。

本編を読めば岡谷製糸業界の歴史がそれなりに理解できると思うが、続編ではその周辺のエピソードを深掘りしたより民俗学的な読み物になっているような気がした。時代としてはもう少し前を生きておられた宮本常一の著作と比べて大きく違うのは写真の点数の多さだと思うが、この続編では野麦峠周辺の写真を本編と比べてもより多く挿入しており、その点でも読者の理解を非常に助けている。

勿論、本編ではあまり描かれていなかった山一争議(昭和2年、1927年)以後の岡谷製糸業界の推移について多少の言及があるのは参考にはなった。岡谷の有力企業家の1人である二代目片倉兼太郎は、山一争議に先立つ大正11年(1922年)に外遊し、絹糸のライバルとなる化学繊維(人絹、ステープルファイバー、ナイロン等)の前途を見極めようとされたという話。片倉翁は、「化学繊維おそるるに足らず」と述べ、その前提として「ますます努力をして技術を開拓しコストダウンすれば充分対抗できる。絹に勝るものはない」とし、具体的に片倉製糸大宮工場に昭和3年に多条自動繰糸機「御法川式多条繰糸機」を導入した。これで工女はこれまでの5分の1の人数で済むようになるという合理化策である。

また、この多条繰糸機の開発により、自動繰糸機向きの均一統一された原料繭が緊急に求められるようになる。そのために行なわれるのは蚕種の改良とそれに合わせた養蚕農家の組織化である。松本では「片倉の蚕種普及団」ができ、片倉と特約した生産者組合「片倉特約養蚕組合」が結成されていったという。

 統一蚕種は「日本在来種と支那種の一代交配」による改良品種で、この普及は驚くべき拡がりを見せ、最盛期23年には遂に全国必要蚕種の85%を片倉の普及団でまかなうという業績をあげた。
 そして肝腎の片倉特約組合は、組合数1300、組合員35万9000戸の農家を、片倉の自動繰糸機の系列下に加えて、養蚕技術者2600人を派遣し、1292万貫の片倉ののぞむ原料繭を確保したのである。(pp.359-360)

実は本編を読んだ時に物足りなさを感じ、かつ続編を読む際に期待したのはこの部分である。原料繭から糸を引く製糸工場ば話の舞台となっているのだが、その生産要素として考えられる工員(労働力)、企業家(資本)については描かれているけれど、原料となる繭の生産についての言及があまりにも少ないのが気になっていた。今多くの途上国では養蚕を農家の収入向上策として振興しようとする動きがあるが、それは原料繭の生産の部分で、そこから糸を引いて質の高い生糸を作るところの技術はどうなっているのか疑問であった。折角質の高い原料繭ができても、糸繰りの技術が稚拙だと、結局質の悪い糸しか生産できないという結果になる。

日本の場合は、逆、とまでいえるかどうかは未だわからないけれど、製糸技術が民間中心に明治時代に急速に進歩した。原料繭需要の絶対量が増えたのだから、養蚕農家は恩恵を受けた筈だし、それに応じて養蚕に新規参入した農家もかなり多かったのではないかと思う。そして、山一争議とその直後に発生した昭和恐慌に対する片倉の対応策の方向性が蚕種改良と生産農家の組織化にあったとしたら、既にそれまでに養蚕農家側にもそれらを受け入れる環境があったということなのだろうと思う。

つまり、今の途上国では日本のようなプロセスを踏んだ養蚕・製糸業の発展にはなっていないのではないかというのが気になった。

続編も本編で登場した人やもの、場所を個々に発展させて書かれていたわけだが、できれば原料繭の生産農家にももう少しスポットを当てて欲しかったなと思う。

僕の養蚕の勉強の中でも、今週は特に蚕種製造や系統保存に関して資料を読んだり専門家の方々からお話を伺ったりした。遺伝子学的な知識や統計学的センスが求められる話で、一朝一夕にマスターすることなどとてもできない。今のところ、養蚕の中でも最も僕にとっては難解なのがこの部分である。まだまだ勉強せねば!
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