『ネパールの政治と人権』 [読書日記]
内容(「MARC」データベースより)
2001年6月の王室虐殺事件の勃発に始まり、現在混迷の極みにあるネパールの近代民主主義について、ネパールの一住民の視点で、歴史、回顧録、ルポルタージュを組み合わせ、ときほぐしていく。
以前、米国ワシントンDCに済んで通信制大学院の修士課程に在籍していた頃、帰宅すると幼い子供2人の相手もあって思うように課題文献を読む時間を捻出できないのに悩み、職場からの帰宅途中でスタバに寄って1時間少々文献を集中的に読みこむ時間を設けていたことがある。その話を何かの機会にディスカッションスペースで書き込みしたところ、当時ネパールに住んでいた同期の学生さんから、「いいですね、うちにはスタバはありません」と皮肉られた。独身の人には言われたかねえなぁと反感を覚えたのを思い出す。時間はあったのだろう。その方は1年で修士を取って先に卒業された。
現在の僕の生活の中にも、帰路立ち寄りできるような「スタバ」はない。子供の数も当時より増えており、いったん帰宅してしまったら集中して本を読むのもかなわない。たかが350頁の本書を読むのに6日も要したのは、少ない細切れの時間を使ってコツコツ読んでいたからでもあるし、疲れて集中力を欠いた中で読んでいたからというのもある。
いきなり脱線ご容赦を。
さて、インドにいてもネパールの本。見つけたのは日本人会室。誰が持ち込んだのかはわからぬが、そのチョイス自体はナイスだと思う。僕がカトマンズに住んでいたのは1995年10月から1998年5月まで。その間にネパールで起きた事件は今でも覚えており、微力ながらそれをどのように理解すればいいのかは考えてもみたりもしたものだが、本書を読んでみて、ネパールの王制と民主制はどこからどのように来て僕が住んだ時代に至ったのか、そしてそれがどのように発展(適当な言葉ではないかもしれないが)して2001年6月の王宮乱射事件に繋がったのかが市民の視点から客観的に描かれており、よく理解できた。原書発刊は2005年であり、当然その後起きた出来事、例えば王制廃止、マオイスト政権奪取はカバーされていない。しかし、何故そうした出来事がその後起きたのかは本書を読めばおおよそ理解できる。そして、何故マオイスト政権のプラチャンダ首相があんなにあっさりと辞任に追い込まれたのかも、なんとなくわかった気がした。
正直なところ、この本を読んだらネパールの将来に明るい展望は殆ど見出せない思いがするだろう。援助機関は政府役人と関わるべきではないし、政治家に信頼の置ける人物も殆どいないので政治的に決まってくる援助案件って本当にやっても貧困住民に裨益するのかどうかもよくわからなくなってしまった。
本書を読みながら登場人物を評価するとこんな調子である。
-シャハ王朝 X
-ラナ摂政家 X
-ネパール国民会議派 X (派閥間構想ばかりを繰り返している)
-ギリジャ・プラサド・コイララ X (この人物は政治を私物化しているとしか思えない)
-ネパール共産党(統一マルクス・レーニニスト)(CPN-UML) X
-旧王制パンチャヤット派政党 X
-故ビレンドラ・ビル・ビクラム・シャハ国王 X
-故ディペンドラ皇太子 X
-ギャネンドラ・ビル・ビクラム・シャハ元国王 X
-マオイスト X
-国軍 X
結局、著者は住民以外の誰も評価していない。誰が政権を担っても結局上手く運営できないだろうというのが見て取れる。しかも、マオイストにしても、元々最も強力な勢力圏であるカリコット郡あたりで現地踏査を行なうと、国軍もマオイストもやってることはあまり変わらないという住民の声があるのを著者は拾っている。だから、民心が完全にマオイストに傾いているのかと言われるとそうではないのではないかと思えるのである。かといって、今だに国民会議派のリーダーに君臨しているのがギリジャでは…。僅かの期間でも、ギリジャ・コイララ首相に期待してしまった自分の思慮の浅はかさを後悔した。
そんなふうに考えていくと、ネパールの政府を相手に援助を考えていくのは相当にしんどいのではないかという結論になってしまう。むしろ期待されるのは住民に直接届く支援を行なえるNGOなのかもしれないが、ネパールには昔からNGOで勤めるのがある種のビジネスと化して、代表をやると結構儲かるという悪評が立ってしまっており、マオイストはNGOを攻撃対象ともしてきた。そんな中で、本当に住民のことを考え、私腹を肥やす一部の悪徳NGOとは違いますという姿をはっきり見せていかないと、NGOでも受け容れてもらうのは難しいのではないかと気にはなった。
悲しいけど、これがネパールの現実なのだ。
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