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夜叉ヶ池登山断念 [趣味]

8連休という僕にしては長い夏休みをいただいたのだが、帰省先での最大の後悔は、揖斐川上流の夜叉ヶ池に登れなかったことだ。

最初は14日(日)の早朝を予定していたのだが前日天気予報を確認したら朝9時時点て小雨予想だったので、大事をとって延期にした。しかし当日は朝から快晴で、これだったら十分登れたと後悔。

再挑戦は16日(火)の早朝を考えていたが、前日は夕方から雨で、しかも北陸地方は大雨ということだったので、これは無理だと諦めた。夜叉ヶ池に隣接する三国岳は、福井、岐阜、滋賀の3県にまたがるため、雨雲がかかっている可能性が高かったからだ。(夜叉ヶ池のライブ映像を配信しているウェブサイトがあるので、全景はこちらで確認下さい。)

夜叉ヶ池は、実家からだと登山口まで車で1時間30分、登山口から約3kmの登山道を歩いて1時間30分で行くことができる。登山道の最後がロープを使って登る絶壁になっているのが最大の難所だが、距離的には今の自分の体力で登るには適当だと思う。それに、僕が1995年7月に「夜叉ヶ池伝説マラニック」に出場して夜叉ヶ池に最後に登ってから今年は丁度10年経つ。健康をかなり害している僕が、再び夜叉ヶ池を目指して走り出せるか、動機付けをしておきたいという気持ちがあった。

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平田靱負と玉川兄弟 [趣味]

 6月1日のNHKテレビ「その時歴史が動いた」は結構真剣に観てしまった。サブタイトル「知られざる義士伝―宝暦治水・薩摩武士の苦闘―」、1754~55年に木曽、長良、揖斐の三川の治水事業を負わされた薩摩藩の武士達の物語であるが、岐阜県美濃地方の小学校で教育を受けた者なら必ず教わる郷土の歴史の話だ。今は市町村合併で海津市という名前になってしまったが、少し前までは、海津郡平田町という町があった。この「平田」という名の由来は、宝暦治水の総奉行だった平田靱負(ゆきえ)から来ている。岐阜県人は隣の愛知県人のことはあまり好きではないが(木曽川の土手を岐阜県側よりも高くしているとかしてないとか)、鹿児島県人にはとても親近感を持っている。いずれの話も水絡みなのがおかしい。こういうご恩は何世代も何世代も語り継がれていくのである。そう考えると、いつまでも日本の戦争責任を持ち出す中国や韓国のことも何となく理解できるような気がしてしまう。

その時歴史が動いたウェブサイト               http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#01                        薩摩義士と奥の細道                                        http://www.mirai.ne.jp/~wakita/                                              木曽三川治水偉人伝                                         http://www.kisogawa-bunko.cbr.mlit.go.jp/6/6-8.htm

一方、先週末に市立図書館に本を何冊か借りに出かけた際、ふと思いついて玉川上水のことが書かれた小学校高学年向けの本を借りることにした。なんとはなしに、自分が住んでいるこの界隈は、江戸時代ってどんなところだったのだろうかと興味が湧いたからである。玉川上水が羽村取水口から新宿・四谷大木戸までの43km区間開通したのは1652年のことだ。43kmも距離があるのに、この区間の高低差は92mくらいしかないらしいから、これもとんでもない治水技術だったことがうかがえる。因みに、僕の住んでいる地域は、1734年に開通した梶野分水によって新田開発が進んだ地域らしい。元々この地域で小学校教育を受けている妻に聞いたところ、玉川庄右衛門・清右衛門の玉川兄弟というのは、やっぱり郷土の偉人として学校で教わるらしい。

これで僕も少しはこの町の歴史に詳しくなれただろうか。

玉川上水ネット                                  http://www.parkcity.ne.jp/~tama-net/                               玉川上水                                                http://www001.upp.so-net.ne.jp/takara/zyosui.htm


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ボクたちの力でSLを走らそう [趣味]

5月9日付の日本経済新聞朝刊の地域総合面に大井川鉄道の「トラストトレイン」の記事が載っていた。「Do it 街self」という週1回の特集記事だ。ボクはこうした市民の力を実感できる記事が大好きだ。「トラストトレイン」とは、機関車も客車も維持費用も、殆ど全てを市民の募金による市民参加型の保存列車のことである。少し記事を引用してみよう。

「SLは維持費だけでも年間数百万円かかる。すべてを民間の手で、という理想も『文化財保護には資金が必要』という現実を前に実際はキチキチ。」そこで、財団法人日本ナショナルトラストは、1987年、C12型SLと客車3両を約1,050万円で購入し、その費用の大半を1口3万円という個人からの寄付で賄ったという。こうして、市民の財産となったSL列車は、延べ年8日間運行するに際して、全国から集まったボランティアの手により、車内清掃やプレート磨き、車内での募金活動が行われる。機関士の育成まで自前で行なっているという。

ボク自身は未だこうしたトラストトレインへの寄付を自分でやっているわけではないが、アメリカに住んでいた時には、ボルチモア鉄道博物館とペンシルベニア鉄道博物館のサポート会員になり、貴重な文化財の維持管理にわずかばかりの協力をさせてもらったことがある。何しろ長男は機関車が大好き。博物館訪問も1回ぽっきりというわけにはいかない。いったん会員になれば入館料はただだし、イベントは優先チケットをもらえるし、館内のギフトショップでは割引もきく。それなりに元は取れたと思っている。

重要なのは、それに携わって楽しいと思えることにはカネを出す人は多いということだ。文化財保護を国の税金なんかでやろうとすると、その文化財をさほど重要と思っていない人でも負担をさせられて負担意識が残るが、その文化財から便益を得られると思う人にしてみれば、負担意識よりも得られる効用の方が大きい。金銭の話だけではなく、これはボランティア活動全般に言えることではないだろうか。なんでも行政がやってくれると思ってちゃいけないということでもある。

この記事で驚きだったのは、ナショナルトラスト運動は本場の英国でも1990年代に盛んになったと言われている中で、このトラストトレインが1987年に運行開始しているという事実である。しかも、それがわが国の「空白」の90年代を生き延び、現在も活発に行われているということである。

こういう心温まる記事を見ると、大井川鉄道に一度乗ってみたいと思うようになる。いずれ子供たちを連れて行きたいとは思っていたが、今年中になんとか機会を作りたいと思っている。