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ないよりはあった方がいいが [ブータン]

月が替わりました。お気づきかもしれませんが、2月はなんと皆勤!画竜点睛のように2月9日に空白がありますが、これは、新しく記事を書くときに前の記事を「コピーして新規作成」とせず、前の記事に上書きしてしまったことが原因です。従って、自分的には皆勤でした。

ただ、客観的にはそれは認めてもらえないでしょうし、2月は28日しかないので、いつかまた、31日ある月で皆勤には挑戦してみたいと思います。

ただ、こんなことができたのは、ロックダウンが長引いたからというのもあるんですけどね―――。

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2021年の送金流入は増加
Remittance inflow increases in 2021
Thukten Zangpo記者、Kuensel、2022年2月25日(木)、
https://kuenselonline.com/remittance-inflow-increases-in-2021/
【抄訳】
海外に住む在留ブータン人が本国に行った送金は昨年11月末時点で前年同期比3.5%増加した。王立通貨庁(RMA)が公表した最新データによるもの。RMAによると、11月末時点での送金額は76億ニュルタム。2020年11月末時点の送金額は73億5000万ニュルタムだった。

送金とは外国に住む在留ブータン人労働者が本国に資金を送ることを指し、ブータンの外貨準備高を改善し、国際収支を改善することで経常収支の赤字幅を削減している。

送金額の大半はオーストラリアから出、その総額は38億2000万ニュルタム。米国からの送金額は32億ニュルタム、英ポンド、ユーロ、その他の外貨建送金の総額は5億8069万ニュルタムだった。

月別では、最も多かったのは4月と10月で、それぞれ10億7000万ニュルタムと10億5000万ニュルタムだった。送金受取額は、ニュルタムに対して米ドル高になったことにより増加した。RMAによると、2021年4月は1ドル74.42ニュルタム、10月は74.90ニュルタム。これは1月期の1ドル73.11ニュルタムよりドル高に向かっていた。逆に、2021年11月末時点では73.73ニュルタムと若干のドル安に向かった。2020年11月末時点では74.11ニュルタムだった。

送金流入を促進するため、RMAは昨年6月1日から今年5月22日までの予定で、海外で生活、就業、就学しているブータン人に現金インセンティブを付与するスキームをパイロット的に施行している。送金受取人は、受取外貨を銀行の交換レートや国際送金取扱業者によってニュルタムに交換する際に、1%の報奨金を受け取る。

RMAはまた、在留ブータン人が公式な銀行チャンネルを通じて貯金や収入をブータンに送金するためのプラットフォームとして、2016年9月に、RemitBhutanというプログラムを開始した。RemitBhutanには現在、2,411口座が開設されている。 .

ちょっと古いが、5日遅れで2月25日のクエンセルの記事を引用する。

外国送金は21世紀に入って、開発途上国に流入する開発資金の大きな割合を占めるようになってきている。2000年代にはフィリピンでは送金流入額がGDPの10%にすでに達したと話題になった記憶があるし、1990年代半ばに僕が駐在していたネパールも、2009年に久しぶりに訪問した際、カトマンズの空港では、外国に出稼ぎに行くネパール人の専用出国カウンターが設置されていた。2015年に起きたネパール大地震の後も、外国で出稼ぎしていたネパール人が戻って来て起業し、復興に一役買った面もあったと聞く。

ネット検索で簡単に見られる国連経済社会理事会(ECOSOC)のイシューペーパーにはグラフが添付されていて、それを見ると、2010年代半ばには外国送金のフローはODAをすでに上回っている。

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それでも開発のための公的資金が欲しい国はあるので、一概にODAはすでに役割を終えたとは言うつもりはないが、随分と世の中は変わってきた気がする。ODAも果たすべき役割が変わってきているのではないだろうか。

それで、ブータンの話に移ると、興味本位に単純計算してみたところ、この記事に基づく外国送金の対GDP比は4.2%になるようである。街の声をあまねく拾ったわけではないものの、聞くところでは、ティンプー市南部のデプシ―(Debsi)地区は、僕が前回駐在していた頃はまだ造成中で空き地だらけだったが、今は多くの家が立ち並んでいて、新興住宅地となっている。ここに家を建てている人は、多くがオーストラリアで稼いできた人たちで、「オーストラリアタウン」と呼ばれているらしい。

僕が大学を卒業する時の卒論のテーマは、外国人出稼ぎの論点の整理を試みたものだった。1980年代半ばの卒論なので、今思い返すと結構恥ずかしいほどの拙いお作法で書かれたレポートだが、そこでの結論の1つは、出稼ぎが送出国にとってメリットがあるのは、その出稼ぎが比較的短期間で、送出国に戻るケースだということだった。その点では、インド人や中国人なんかと違い、ブータン人は一時出稼ぎで外国に行っても短期で帰国すると言われている。だから、きっと人の流出も、送金流入額も、ブータンにとってはいいことなのだ、と思いたい。

ただ、そうは言っても心境は複雑だ。

1つは、毎週のようにパロから飛び立つ国際線には、ブータンの若い人たちが大勢乗っていることだ。パロ空港を定点観測しているわけではないが、先日知人の見送りでチャンリミタン競技場駐車場に出かけたが、ドルックエアーのパロ~バンコク便乗客用シャトルバスはスーツケースを屋根に搭載し、オーストラリアに出かける若者でいっぱいだった。

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これは長引くロックダウンの影響では必ずしもなく、以前から申請していたオーストラリアの就労ビザが取得できたかららしい。また、仄聞するところでは豪政府はビザ取得代金のリファンドを行うような就労者受入インセンティブまで与えているそうだから、そういうのも重なっての出国ラッシュということだったのだろう。

こういう光景を見てしまうと、ブータンはそのうち若者がいない国になってしまうのではないかと心配になる。インドや中国のような、労働者を1人流出させることの限界費用がそれほど高くない国ならともかく、ブータンは必ずしもそうではない。本来なら若い人的資源は国内で有効活用される道筋がはっきりしているのいいのだけれど、決定打となりそうなものも見当たらず、目下のところオーストラリアでの就労以上に魅力的な代替策はないように思える。

もう1つ、こうした報道を見ていて複雑な気持ちになるのは、オーストラリアにいいとこ取りされている日本の現状だ。オミクロン株対策で実質国を閉じている日本は、留学生の受入れすら滞らせていて、外国人人材の受入れ競争で大幅に出遅れている。オーストラリアもブータン人留学生を大勢受け入れている国だが、留学ビザに加えて、その家族には就労可能なビザが発給されるという。目下の日本での留学生受入れは、配偶者に就労可能なビザが発給されたりはしていないし、そもそも配偶者の滞在費までカバーされる留学生受入れ制度にもなっていない。オーストラリアよりも後から制度設計をはじめた筈なのに、オーストラリアよりもいい制度になっていない。

日本がどうこうというところは話が脱線し過ぎたので、少し話を戻そう。

若い人材が、あえて海外ではなく、国内で「この地」に残りたい、あるいは国外よりも国内のここに行きたいと思える地域とはどんなところなのか、それは単にインフラ整備して、アメニティを整備すれば若者を惹き付けられるのか―――オーストラリアに旅立つ若人たちを眺めた後、2月後半はそんなことをずっと考えていた。

『ブータン山の教室』に出てきた若い先生は、結局オーストラリアに行ってしまった。また、この映画が米アカデミー賞外国映画作品賞にノミネートされて、これはいい映画だという声がソーシャルメディアでは多いが、そうやってバズっている若い人も、結局オーストラリアに行く人は行く。

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インフラ整備や産業配置に関しては、JICAが策定を支援した「全国総合開発計画2030(CNDP2030)」というグランドデザインがすでに存在する。主要産業の空間配置や土地利用は、このCNDP2030に基づいて進められるべき基本計画である。策定には多くの省庁が関わり、2019年に出来上がっている。


今さらこの基本計画の話を持ち出すのは、これはあまたのODA案件の1つとして片づけられるものではなく、誰もが知っていなければいけない基本計画だからだ。JICAの対ブータン支援事業に関わる人々の顔ぶれが変わっても、今関わっている関係者は皆が知ってなきゃいけない計画だと思う。また、上に掲げた動画に出てくるブータン政府側関係者も、計画が策定された時点から立場が変わっている方がチラホラいらっしゃる。CNDP2030は、ただでさえ忘却の彼方にやられる可能性が高いように思える。

ただ、ここで持ち出したのはCNDP2030に再び光を当てることが目的ではない。CNDP2030は与件として、これに魂を入れる努力がさらに必要だというのを述べたかった。空間利用計画の策定に関わった地方の人々が、その地域をどうしたいのか、どうやったら外からもっと人を呼び込めるのか、国内他の地域との違いをどう出して、その違いを地域の魅力としてどうアピールするのか―――CNDP2030の、その先の地域づくりの道筋が、その地域の人々の手で示せるのかどうかが大切なのではないか。

僕のようにいずれはプンツォリンに行く人間なら、CNDP2030の中でプンツォリンやチュカ、サムチ県がどういう位置付けにあるのか、その中ですでに配置されているCSTやGCBSといったカレッジは、どんな役割を担うことが求められているのか、それをカレッジの人々は知っているのかといったことは、当然関心持っていなければならない。また、僕に限らず、この地域を事業地としている他のJICAの事業も、CNDP2030の中でのこの地域の位置付けを実施関係者が承知していることは前提となる。

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今回は、ブータンの外国送金受取額の増加の報道から、ブータンの若者に、外国に行く以外の選択肢として何を提供し得るのかを少しだけ論じてみた。論じてみながら感じたのは、もうちょっと自分が持っている開発協力への期待とか、過去の経緯とかを開陳して行ってもいいかもということだった。

それらしい萌芽は2月に書いた記事の中からも読み取れるところがあるかもしれないが、自分自身のODA事業理解のために、そういうテーマをちょくちょく取り上げてみようかと思いはじめた。

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