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『日本の分水嶺』 [読書日記]

日本の分水嶺 (ヤマケイ文庫)

日本の分水嶺 (ヤマケイ文庫)

  • 作者: 堀 公俊
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2011/08/19
  • メディア: 文庫
内容紹介
「日本の背骨」を地図で旅する列島縦断6000キロ。空から降り落ちた雨の行く先は太平洋か、それとも日本海か?その運命を決める一本の線=大分水嶺には、自然と人間にまつわる大いなるドラマが秘められていた。本書は分水嶺=日本の背骨にかかわる128の物語を紹介。分水嶺が作り出した興味深い話題や身近な疑問を取り上げ、肩の凝らない解説で読者を空想旅行へと誘います。長らく品切れが続いていた2001年刊行の『日本の分水嶺』がいよいよヤマケイ文庫になります。

少し前にご紹介した『定本 日本の秘境』を読了した際、ヤマケイ文庫の電子書籍版をなんとなく見ていて、面白そうだなと思い、注文してしまった1冊である。理由は割と単純で、僕の生まれ故郷からほど近い奥揖斐の、三周ヶ岳~夜叉ヶ池~三国岳あたりが明らかに分水嶺だったからである。

これが立ち読みできるものなら、中身をチェックしたうえで買う買わないを決めることができるのだが、電子書籍版はそういうわけにいかない。それで購入して読み始めた感想としては、この書籍、日本の分水嶺を網羅しているだけあって、一つ一つの区間の記述はそれほど深いものじゃないというのがわかる。僕自身が分水嶺を経験したのは、岐阜・福井国境のエリアだけのことだから、そこだけ読んじゃったら後はさほど興味がわかない。挿入されている写真や地図を楽しみながら、パラパラとページをめくっていくしかない。

とはいえ、発見も幾つかあった。1つは、岐阜や長野といった、南北に長い内陸県の場合、分水嶺は県内を横切る形で存在しているということ。岐阜県西部地方では、福井県との県境が分水嶺となっているが、高山は日本海側に流れ込む川の流域ということになる。よくよく考えたら、長野県も、伊那地方を流れる天竜川は太平洋に流れ込むが、北部を流れる信濃川は日本海側に流れ込んでいる。

もう1つは、夜叉ヶ池の伝説は、僕らのような揖斐川流域で少年時代を過ごした者にとっては当たり前のように聞かされたお話で、それは西美濃の有名な伝承の1つだと胸を張ってきたが、実は夜叉ヶ池の福井側の下流域にも同じような伝承があるという話は知らなかった。加えて、こうした龍神伝説は他の地方でも似たような話があるらしく、熊本県の九重山系・黒岳の麓にある男池湧水群でも夜叉姫と同じような伝承があるらしい。

一方、視点を変えて、『定本 日本の秘境』と読み比べてみると、両者がともに扱っているエリアについては、発刊時期に40年もの時差があるからか、大きな変化を読み取ることができる。佐田岬半島は、前者においては陸の孤島として描かれていたが、後者にいたってはこの長細い半島に道路が敷設され、佐田岬灯台まで車で行けるようになっている。

前者は高度経済成長期前夜、後者はバブル崩壊後の今の日本の最も奥地を描いている。道路などなく、アクセスするのに1日2日は歩かなければならなかった時代と比べ、今は峠までの道路も整備され、トンネルによって分水嶺を越えてその向こうの目的地まで移動しやすくなった。

あとがきにおいて、著者は次のように語っている。

 つづら折りの未舗装の峠道には立派なトンネルや高速道路が走り、清らかなせせらぎは無粋な堰で埋められ、静かだった山村は大規模なレジャー施設とコンビニエンスストアがたてられていた。都会に暮らすわたしに快適な生活を非難する資格がまったくないのはわかっているのだが、あまりに変わってしまった光景を前に、やるせないものを感じずにはいられなかった。
 人々のなかには自然や環境に対する意識が高まりつつあるといわれている一方、巨大公共プロジェクトによる大規模な自然の改変から、里山や田園などの身近な生態系の破壊まで、いまだに日本の自然環境は蝕まれ続けている。
 大分水嶺は日本の自然や風土の縮図だとすれば、この1本の線を未来にむけて大切に守っていけるかどうかは、我々の日本人の試金石だともいえる。

まあ、そうなんですけどね。でも、こうした全国の分水嶺を網羅するような本が書けたのも、都会に住む著者がその地域地域にアクセスするのに、道路網や交通機関が便利だったからというのもあると思う。なにせこの著者は元々山歩きの専門家というよりも、ファシリテーションの専門家で、その著書もほとんどがファシリテーションに関するものばかり、しかも多作であり、『日本の分水嶺』だけが著書の中でも毛色が違う。忙しい著者がこうした趣味の延長のような本を書けるというのも、短期間でリサーチが可能な環境があったからだろう。

これがある特定の地域に絞ってもっと深掘りして書かれて、しかもその中から著者の言うような国土開発・経済開発と環境の持続可能性との相克のようなものが論じられるのであれば、首肯するところは大いにある。でも、これは著者が全分水嶺を網羅したから本になったようなものである。いわば先発者としてはこの著書で利益を得ているわけであって、自分のやってきたことを棚に上げて、後から続こうとする人に「それはいかがなものか」とは言いにくいのではないだろうか。

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