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週報(10/3-10/9) [備忘録]

今週は、掲載した記事の中で週内に起きたの出来事を結構取り上げてきているので、あえて書き加えるようなことは少ないような気がする。むしろ、先週の週報で書いたことについてのその後を幾つか取り上げてみたい。
この記事、いったん完成・アップした後で編集をケータイで行なった際、何かのはずみで後半の記事を消してしまったみたいです。もう一度書き直したのでご覧下さい。

【「ものに当たりたくなる気持ち」のその後】
先週の週報で10月6日(木)に仕事の上ではかなり大きなヤマ場があるとお知らせしていたものは、なんとか無事にクリアした。あとは先方のレスを待つだけなのだが、週末を跨ぐと別の方面から「どうなってる?」という催促を受けるものなので、いかに先方の神経を逆なですることなく、早くレスを返してもらえるように祈るしかない。

ここ2ヵ月ほどの間の自分の仕事を振り返ってみると、自分のいい加減さを棚に上げてよく言うよと苦笑されそうだが、いろいろな人が違った思惑から全く違ったことを言われるのに振り回されてばかりいたような気がする。Aさんには「Bさんに相談しろ」と言われ、Bさんのところに行くと今度は「Aさんに相談した方がいい」と言われる。Cさんは「その場所へはDさんと一緒に行った方がいい」と言われたが、Dさんは「やっぱCさんとあなたでしょ」と言われる。外にいらっしゃるEさんからは「早くその成果品が欲しい」と再三にわたって催促される一方、職場の中ではその成果品に関して、「まだ先の話でしょ。ゆっくり考えればいい」と言われてなかなか取り合ってもらえない。とにかく関係者一同のベクトルがなかなか揃わず、最適解がなかなか見出せないという2ヵ月だった。

僕にとって不本意だったのは、そうした思惑の違いを上手く収拾できないがためにあいつは手際が悪いとの印象を内外の一部の関係者に与えてしまったことである。他の人ならもっと上手くやったのかもしれないが、相手側も情報共有してくれていないのに、僕だけが一方的に「ちゃんと我々と情報共有して足並み揃えてやってくれ」と言われるのは納得いかないものも感じた。

具体的に書きづらくて一般読者にはわかりにくい記述になっているけれど、「備忘録」ということでお赦し下さい。

【「なんとかしてくれ、阪神を!」のその後】
先週ぼろくそに書いた阪神タイガースの体たらくに関して、今週は甲子園での対ヤクルト三連戦で三連勝し、神宮での三連敗の汚名を払拭してくれたので感謝せねばならない。お陰で中日ドラゴンズはその間ナゴヤドームでの対広島三連戦を三連勝し、一気にヤクルトを追い抜いて首位に返り咲いた。8月初旬には10ゲーム以上の差があったヤクルトと中日の順位入れ替わりは、奇跡としか思えない。

ただ、首位交代が現実のものになった10月6日(木)、中日球団は現落合政権のコーチ9人と来季の契約を更新しないと発表し、首位返り咲きのお祭りムードまたもや水をさした。巷の論調としては球団の姿勢は理解に苦しむというもので、僕もそう思う。単年度契約なら来季契約しないというオプションはありだと思うが、そんな当たり前のことをなぜこういうタイミングで発表してくるのかとの疑問を投げかけている。(元々他球団でプレーしたコーチが多かったのだから、「落合色一掃」かというとそうではない。)他球団でプレーしたコーチなのによくドラゴンズが強くなるために貢献をしてくれた方々ばかりだったと思う。こういう無機質で血も涙もない発表をする球団では、たとえ次期高木政権で誰がコーチとして入閣しても、選手の心は離れてしまうのではないかと心配だ。

そもそも、落合監督退任の遠因が観客動員の低迷にあるとすれば、球団は、ラジオやネット上で声援を送っている程度のファンはファンとして認知していないのではないかと思えてくる。ネット上の意見交換では落合監督の采配に対して好意的な意見が圧倒的に多いし、それがドラゴンズを応援する声にも繋がっている。今回の猛烈な追い上げに対しても、「球団を見返してやれ」という声がかなり多い。それなのに観客動員は相変わらず低迷しているという。首位交代がかかっていた7日の広島戦も、ナゴヤドームには空席が目立ったというし、ネット上での声援は観客動員には繋がらないという見解を球団が示しているように受け止められないこともない。しかし、監督が交代したからといって観客動員はそんなに伸びない。むしろ、今よりも負けが混むようなチームで、わざわざ球場に足を運んで応援しようということにはならないだろう。遠隔地から声援を送っているファンにとっては、勝ってくれるという期待があることがやっぱり大事で、負けてもいいから球場に足を運んで欲しいという球団の考え方にはやはり納得がいかないものがある。

昨夜の野球中継、TBS-BSで観戦することができたが、堂上兄のサヨナラ打は21時に野球中継が終了した後のことで、感動が味わえなかったのが残念。TBSはラジオの野球中継も9月末で終了している。他のラジオ局も同様な様子。こういうメディアの姿勢も、遠隔地の野球ファンの神経を逆なでしている。今日からナゴヤドームで繰り広げられる対ヤクルト首位攻防四連戦、東京のファンは観戦できるのだろうか。

【今週の再会】
1)10月4日(火)、岐阜・高山に事務局を置くNGOソムニードがJICAの草の根技術協力事業としてインド・スリカクラム県で行なっていた活動がJICAの理事長賞受賞したのを受けて東京で開催された授賞式で、和田・中田共同代表にお目にかかり、その後和田さんとは東京・丸の内に場所を移してさらに夕食をご一緒させていただいた。この話は別の記事「嬉しい出来事」でもとり上げた。美味しい日本酒だったが、たった2杯で結構フラフラ。

2)10月7日(金)、大学3年の夏に一緒に北海道・室蘭に行って現地の複数の学校に通う中学生の希望者対象に英語の補習を行うプログラムに参加した仲間6人で集まり、中目黒の南インド料理のお店「シュリ・バラージ(Sri Balaj)」で宴会。最近、インド料理を扱うレストランは東京でも激増しているが、ドサやイドリー、ワダ、ウプマといった南インドの定番メニューを扱っているレストランは今でも珍しい。シュリ・バラージのことは人づてでかなり前から聞いており、一度行ってみたいと思っていたので、今回は図々しくも僕の提案でお店が決まった。カレーのラインナップにも、ケララのココナッツベースのカレーや、マドラスのフィッシュカレーは参加者の間でも好評だった。北インド料理のレストランでもあまり見かけない「カブリ・ナン」がメニューにあったのにも驚いた。ナンの生地にナッツやドライフルーツを挟んだ甘いナンで、カレーをつけなくても美味しい。
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南インドではチャイではなくコーヒーがよく飲まれる。このお店には「サウス・インディアン・コーヒー」もあった。インド駐在時代によく飲んだが、何故金属製のコップに深めの受け皿までセットになって出てくるのかわからずにいた。(まるで、一合枡の中にコップを置いて一升瓶から日本酒を注ぐような感じだ。)今回、お店の方が砂糖を入れたコーヒーを2つの器の間で移し替えて空気と砂糖とコーヒーがよく混ざるよう実演してくれたので、ようやく理由がわかった。面白かったから今度は家族を連れて訪れてみたいと思う。

場所は僕が1990年4月から1993年1月まで住んでいた目黒区下目黒からも近く、僕のジョギングコースの沿線上にあった。遠回りだったけれどJR目黒駅から権之助坂を下り、大鳥神社の交差点を右折して山手通り沿いに目黒警察署方面に歩いて行った。当時僕がよく通っていた「揚州商人」や「勝丸」といったラーメン店は今でも営業していた。レンタルビデオ店も未だ存在した。店の並びは随分変わったけれど、少しでも当時の面影を見出せたのは嬉しかった。

今週はこれ以外にも6日(木)にも宴会があり、肝臓が休まる暇があまりなかった。7日の「同窓会」の後、僕は1人中央線快速で家路についたが、途中座席が空いて座れたのが運の尽きで、下りる駅を寝過してしまった。

3)10月8日(土)、娘の志望校の1つである中野にある私立中学の学園祭に娘と2人で出かけた。この中学校がある早稲田通り沿いは、これまた僕が1993年1月から10月まで豊島区南長崎で一人暮らしをしていた当時のジョギングコースの1つで、これまた懐かしの街並みであった。

4)10月9日(日)、お嬢さんの大学の学祭で上京して来た高校時代の剣道部の後輩と会い、大学の構内を歩いた。8月に開かれた高校の同窓会総会で高校卒業以来初めて再会し、メルアドを交換して連絡を取ったもの。僕自身が忘れていた高校時代の自分のことを思い出させてもらういい機会になった。逆に、その後輩があまり体が丈夫じゃなくて学校を休みがちだったという事実を(多分)初めて知らされ、申し訳ない気持ちになった。剣道部の稽古も頻繁に休んでいたのを、表面的にしか捉えていないからそうなるのだ。

お嬢さんには、大学生であるのをいいことに、22日開催の三鷹国際交流協会(MISHOP)の国際理解講座のビラを押し付け、参加者動員への協力をお願いしておいた。なにせ大学生は口コミでも広がるネットワークが大きい。それに、途上国の高齢化なんて今どきの若い人には特に知っておいていただきたいとも思う。
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