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「農」をどう捉えるか1 [読書日記]

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「農」をどう捉えるか 市場原理主義と農業経済原論(社会科学の冒険II期 1)

  • 作者: 原 洋之介
  • 出版社/メーカー: 書籍工房早山
  • 発売日: 2006/04/25
  • メディア: 単行本
内容紹介
農業は、世界中どこでも画一的な、市場という機構になじむのか?明治以来多くの先人がこの問題と格闘してきた、新渡戸稲造、柳田國男、那須皓、東畑精一、彼らの洞察を基に、国際経済学・農業経済学の泰斗が21世紀の「農」を問う力作。
日本からインドに持ってきて、スタックしてしまった1冊である。もう少し読む時間がとれるかなと思っていたが、毎晩宿舎に帰ってくるとその日の訪問調査でとったメモを日誌にまとめる作業をして、その後書いている本の原稿に手を加える作業をやっていたので、意外と時間が取れないでいた。

本書にしても、元々は那須皓についてまとまった記述があるので購入した経緯があり、1950年代後半に那須が在インド日本大使として仕掛けた日印農業協力の跡地の1つを訪ねる予定も組んでいた今回の旅の中で、できれば読み切ってしまいたいと思っていた。しかし、農業経済学の学説史ともいえる専門書であるため断片的に読んでいてもなかなか頭に入らず、とりあえずは東畑精一の思想について紹介しているところまで読んでこの記事を書きはじめた。

何故ここで止めたかというと、東畑精一の議論の中で養蚕が取り上げられていたからである。東畑によれば、農業発展に不可欠な付加資本は農業内部からは提供されないが、農業の外にいる商人こそがそれを提供しうる。農業の発展は、商人と耕作農民との接触によって創造されるという。

日本の場合、養蚕農家は基本的に自由競争の中で経営が行なわれていた。これに対して、製糸業者は寡占競争という不完全競争市場構造の中に置かれていた。このようにして、両者の間で市場に参加する経済主体の数が異なる中で、製糸業者と養蚕農民との間で自発的に特約関係が取り結ばれるようになっていったのが日本の姿である。

 製糸会社は、特約組合組織を通じて、原料生産農民に養蚕資金を前貸する。この資金の融通に加えて、製糸業者は、現物貸付、蚕種の配布などをおこなっている。農民に対するこれらの前貸資本によって、製糸業者は「経済を動かす」ことになる。そして、この特約にとっての最重要な問題とは、生糸の品質の均一性であった。製糸業者は、資金の前貸しや蚕種の配布と特約関係をとおして、商品の同一性を維持しようとしていた。現代経済学流に解釈すれば、まさに商品の質について大きな不確実性が存在する環境の下で、買い手側の製糸業者がその不確実性を何とか軽減・克服しようとして特約という取引形態を採用したという理解なのである。これこそが、東畑が『日本農業の展開過程』でしめしてくれた「農業をうごかすもの」という議論のポイントであった。(pp.105-106)

僕はこの議論を読みながら、戦前の日本の繭取引の市場構造が、インドのそれとはかなり違うなというのを感じた。南インドでは養蚕農家は沢山いるし、製糸業者も沢山いる。戦前の日本と比べて、不完全競争の度合いが小さいのである。そして、製糸業者と養蚕農家が特約関係によって取引の内部化が図られた日本と違い、南インドでは繭市場が整備されており、せりによって取引価格が決まっていくのである。

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《バンガロール郊外、ラマナガラムの繭市場》

現状、製糸業者の経営規模はあまり大きくないので、日本で製糸会社が直面した繭の均質性の問題は製糸業者のレベルではあまり感じずに済んでいるようである。市場で質のいい繭には高い値がつき、悪ければ低い値がつく。養蚕農家にしてみれば生産コスト的にこれくらいの値は欲しいというラインはあるものの、取りあえずは売れるわけで、極限まで質を上げようと言うインセンティブがまだまだ働きにくいのかもしれない。今できることは、市場での繭評価基準と手続きを明確にして、質のいい繭が確実に高い値を得られる仕組みを保証することぐらいなのだろう。

因みに、蚕種の配布は、南インドの場合、品種によっては現在NSSOという公的機関が維持管理していて配布を行なっているものと、民間の種屋さんが配布しているもの(市場取引ですね)とがある。その他農業投入財の決済は、繭が売れてから行なわれているようだった。

但し、南インドの養蚕行政関係者に聞いたところ、あと15~20年すると南インドの製糸業者の数は激減するらしい。製糸業者は親の代から製糸をやっているというムスリム経営者がほとんどで、業者数は多いとはいえ、閉鎖性が強くて新規参入者を排除しようとするところが多いそうだ。ところが、製糸業者の間でも後継者の問題に直面しているところが目立ち始めており、現在の経営者が引退する頃には、後継者がいない可能性が高くなってきている。若い後継者が台頭し、これまでの家内工業的な製糸業に代わってより近代的な器械製糸を行なうようになっていけば、業者数は減少しても1業者あたりの生糸生産高は増えていくだろう。インド政府が器械製糸を推進して期待しているのはそんなところだろう。

そうすれば、市場構造が戦前の日本と近くなっていくのだろう。
蚕種の開発と系統維持、大量生産と配布も、製糸業者が内部化を図る可能性もないとはいえない。

こうやって考えを巡らせながら、東畑が描いた戦前日本における製糸業者と養蚕農家の特約関係というのも、戦前期はそうだったからといってそれ以前からそうだったとは必ずしも言えないのではないかというのにも気が付いた。明治時代とか、その前の江戸時代とかはどうだったのか、機会があればもう少し調べてみたいと思うようになった。

*現時点で本書の読み込みはかなり不十分です。従って、いずれもう一度本書についてはこのブログで取り上げてご紹介してみたいと思います。
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コメント 1

toshi

生糸生産が大変なのですね。
綿糸業者か゛大変なのは産業革命以来ですね。

by toshi (2011-07-11 23:54) 

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