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『差別と日本人』 [読書日記]

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

  • 作者: 野中広務・辛淑玉
  • 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
  • 発売日: 2009/06/10
  • メディア: 新書
内容紹介
日本の中に蔓延る「差別」。日本人はいつから「差別」と関わり続けているのか?日本のタブーに論客2人が論じる日本の行方と日本人論の決定版。
1月25日、北京でハンセン病患者・回復者への差別撤廃を訴える「グローバル・アピール2011」が世界64カ国110大学の連名で発表された。昨年はムンバイ、今年は北京と場所を変えてのアピールで、昨年は企業経営者に訴えたのに対し、今年は教育機関へのアピールとなった。昨年のこの季節はインド・ムンバイに僕はいたんだなと思うと、時の経つのがいかに早いかと思い知らされる。
*日本財団ブログの「グローバル・アピール2011」の記事については、下記URLを参照。
 http://blog.canpan.info/koho/archive/1323
*去年の「グローバル・アピール2010」について紹介した僕のブログ記事については、下記URLから!
 http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2010-01-27

グローバル・アピールの季節だっただけに、なんとなく差別の問題をブログでも取り上げてみたくて、図書室で借りてきて読んでみることにした。基本的には対談集で、それに辛が補足解説を付けてくれている。非常に読みやすく、差別問題の入門編としては高校生ぐらいになったらうちの子供にも読ませたいと思う。

僕は帰国してからもあまり積極的にはテレビを見ない生活を続けているのであまりよく知らないが、選挙になると「共産党に入れる」と連呼している妻も辛のことは毛嫌いしており、まあそれだけの論客であるということなのだろうと思う。在日朝鮮人に対する差別を声高に主張しているこの辛と、元自民党の実力派官房長官だった野中の共著というのはちょっと意外な気がしたが、野中が部落出身で昔から様々な差別を経験してきた人であったというところで、共通点が見い出せた気がする。

僕自身が小学生時代にクラスメートに「朝鮮人」と口にしていたので、辛の指摘には耳が痛い。ただ少しだけ弁明させてもらうとすれば、それでも僕は近所に住んでいたその在日のクラスメートの家に何度か遊びに行っていたし、中学時代には生徒会の仕事を一緒にやったりもしていた。でも、喧嘩した時にそうほざいていたことは確かであり、それはカッとなってつい口から出てしまったなどと言っても決して申し開きはできないだろう。多分僕は彼を傷つけてしまったに違いない。

部落問題というのも比較的身近に存在していたような気がする。これも中学時代の話だが、うちの町の中で交際相手と付き合うなと親から止められた彼氏だったか彼女だったかを嘆いて、交際相手が自殺するという痛ましい事件があったと記憶している。

「在日」の辛と「部落」出身の野中の共著ということで、多分それだけで拒否反応を示される方も多いのではないかと思うし、アマゾンの書評などを見ていると、特に右寄りの方からの攻撃は大変厳しいものがあるようだ。確かに、本書を読んでいて、構造的弱者に対する温かいまなざしは持ちつつも政治的にはかなり現実的判断を強いられてきた野中に比べると、辛は何かというとすぐ「在日」に話を持っていくところがあってそれだけはちょっと苦痛ではあったが、そこは割り引いて、「差別」をすることに対する日本人の意識の鈍さはもっと一般化し得るのではないだろうか。「差別とは、富を独り占めしたい者が他者を排除するために使う手段である。そして、この差別は、する側になんとも言えない優越感を与える享楽でもある」(p.18)という指摘には、たとえ辛の背景があったとしても素直に耳を傾けるべきではないかと思う。正社員が派遣社員を小馬鹿にする、総合職が一般職を小馬鹿にする、東大・一橋・早稲田・慶応出身社員が他学出身社員を見下す―――「在日」か「部落出身」かじゃない、僕らの身の回りに、自分と相手との間に明確な線引きをして優越感に浸っているケースはざらにある。僕の身近で「馬鹿」という言葉を本気で使っている人をこの1年は特に見かけた。そうやって他人を見下して、優越感に浸っている人の話を聞くと、この人は多分僕のこともそう見てるんだろうなと僕は想像し、スティグマも感じたりする。

だから、僕はできる限り「馬鹿」呼ばわりされる人の側に立っていたいと思うし、我が子供たちにも、構造的社会弱者の目線に立って物事を見られる人になって欲しいと思う。辛のような強硬派でも野中のような超現実主義でもなんでもいいけど、大事なのは差別される側の痛みをちゃんと感じ取れる感受性のある人間になれるかどうかだろう。同和対策事業が終わって、もう差別はないと皆が平気で言う時代になって、そこで野中は言っている。人権擁護法を作り、「ソフト面から教育で直していかなきゃいけない。歴史を覚えさせていかなきゃいけない」(p.155)と。結局この法案は流れてしまったのだそうだが、学校教育でそれを教えることが難しくとも、親としてはまだできることがあるような気がする。
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