SSブログ

『援助じゃアフリカは発展しない』(1) [読書日記]

援助じゃアフリカは発展しない

援助じゃアフリカは発展しない

  • 作者: ダンビサ・モヨ
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2010/07/30
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
これまでの対アフリカ援助に関する議論のほとんどは、1世紀前のアフリカ大陸と同じように、当事者以外のところでなされてきた―議論は相変わらず植民地化されていたのだ。本書は、そのアフリカ問題について、当事者であるアフリカ人女性による、はじめての本格的論争の書である。
面白い本だ。僕はジェフリー・サックス教授が盛んに言っているようなアフリカでの「ビッグプッシュ」論をあまり快く思っていなかったので、「援助はアフリカの各国政府に直接供与されることが多いため、その資金が私的に流用されやすいだけではく、汚職に取り組むべき政府も弱体化させる。援助の流入が国内の貯蓄と投資の増加を妨げてしまう」という著者の主張には胸がすく思いがした。

わざわざ援助じゃなくても、「ビッグプッシュ」に必要な資金の移転は起こし得る。腐敗や汚職に塗れた政府を経由しなくても、開発に必要な資金は動員し得るというのが著者の主張である。援助のような途上国政府の国庫を通じた資金動員手段の代替案として著者が挙げているのは、

①アジアの新興国に倣い、国際的な債券市場にアクセス、
②中国によるインフラへの大規模投資をさらに増加させる、
③農産物の貿易自由化を進め、アフリカが一次産品の輸出から得られる利益を増加させる、
④マイクロファイナンス機関の活動を後押しや、家屋担保の借入れ促進、出稼ぎ送金の手数料引き下げなどにより、金融仲介活動を促進する。

さらに、援助の引き換えに先進国援助機関や開発金融機関(世界銀行など)がアフリカの被援助国政府に求める政策・制度改革にも懐疑的だ。「完璧な世界において、経済成長の底辺にいる貧し国が必要とするのは複数政党制民主主義ではなく、決断力のある慈悲深い独裁者による経済成長に向けた改革である」と主張し、経済成長の進展よりも先に選挙を急ぐのは失敗のもとだと指摘する。

末端の本当に社会サービスとセーフティネットを必要とする人々や、やる気やアイデアはあっても元手がない人々に必要な資金を提供するには、政府が十分な能力を持っていないという途上国は多い。そんなことなら政府間で行なわれる援助じゃなくても、NGO活動や民間の企業活動に必要な資金が直接流れる仕組みであった方がよい。また、著者は、援助依存は途上国政府が国民に対して果たすべき説明責任も疎かにさせてしまう危険性があると指摘する。
 アフリカが必要とするのは中産階級だ。経済利益に敏感な中産階級は、お互いを信用し合い(そして信用が壊れた場合に駆け込める裁判所がある)、法規範を尊重し遵守する。中産階級は自分の国が順調にそして分かりやすい法的枠組みの下で発展していくことを願っている。中産階級もそうでない人々も、政府が説明責任を持って政策運営することを期待している。とりわけ、中産階級が必要としているのは、中産階級を進歩させる政府だ。
 このことは、アフリカには中産階級がないということを意味しているのではない―――アフリカにも中産階級はあるのだ。しかし援助漬けの環境では、政府は起業家を育成し中産階級を発展させることについて、彼ら自身の経済的利益を増やす以上の興味は持っていない。経済的に強い発言力がなければ、中産階級は政府を非難する力がない。現金へのアクセスが簡単なら、政府は相変わらず全権力を掌握し、説明責任は援助ドナーに対してのみ(しかも名目的にのみ)持つだけだ。(中略)
 よく機能している健全な国では、政府の説明責任と引き換えに中産階級は税金を支払う。外国援助はこの関係を迂回してしまう。援助が多いと政府は国民への財政依存度が低いので、国民にいろいろ説明しようとしない。(pp.82-83)
別の言い方もしている。
 援助があるとアフリカの政策立案者の一部は怠惰になる。(中略)援助流入は恒常所得のように見えるので(まさしくそうなのだが)、政策立案者たちは彼らの国の長期的発展に資金を供給するより良い別の方法を探そうとするインセンティブを全く持たなくなるのだ。(中略)したがって、援助依存の世界では、貧しい国の政府は税を課す必要はない。税金が少ないというのは聞こえはいいが、徴税がないと、当然あるべきチェック・アンド・バランスが破綻することになる。(pp.93-94)
公的部門がまっとうな民間部門の活動を阻害するというと一種のクラウディング・アウトのようにも思える。

ただ、これが短絡的にODA廃止論に油を注ぐ話にはならないという点も補足しておく。著者は人道目的で行なわれる緊急援助までは否定していないし、提案の内容的にもこれが全ての途上国に当てはまる議論だとは思えないところもある。例えば著者は中国の援助を歓迎するかの発言をしていて、読んだ方は「おや?」と思われたかもしれないが、著者が言っているのは中国による「大規模インフラ投資」であって、援助ではないことにも気付かされる。だからといって中国のアフリカ投資が100%民間ベースであるわけでもない。

要すれば、本書が言いたいのは、ODA廃止論というよりも、ODAの役割というのが民間の活動を活性化させるための潤滑油的な位置付けに徐々に変わっていかなければならないということなのではないだろうか。或いは、プロジェクトファイナンスのような金融アプローチを促進する役割が、ODAにももっと求められていくということなのかもしれない。

既に随分と長い文章になってきているので、第1部はこれくらいで。元々僕が本書を読もうと思った動機はアフリカの民族の多様性が成長にどの程度、どのようなメカニズムで影響を与えているのかという点にある。それに関連した記述には今回言及していないので、これについては次回のお楽しみということにしておきたい。

アフリカだけではなく、アフガニスタンでも援助の効果に懐疑的な見方があるというのを思い知らされる記事だ。
タグ:アフリカ
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 1