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『NGO主義でいこう』 [読書日記]

NGO主義でいこう―インド・フィリピン・インドネシアで開発を考える

NGO主義でいこう―インド・フィリピン・インドネシアで開発を考える

  • 作者: 小野 行雄
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
NGO活動の中でつきあたる「誰のための開発援助か」という難問。あくまで一人ひとりのNGO実践者という立場に立ち、具体的な体験のなかで深く柔らかく考える、ありそうでなかった「NGO実践入門」。
実は本書を読むのは二度目である。「ペリー」小野さんは僕の大学院同級生で、彼が2002年に本書を出版した直後、義理もあったので1冊購入してすぐに読み切った。当時の僕は米国駐在だったので、離任で家をたたむ際に本書も誰かに譲ってしまった。

それを今再び(借りて)読もうとしたのは、彼が事務局長を務める草の根援助運動(P2)に会員として入れてもらおうと思ったからである。ペリーさんからの依頼もあり、僕はインドを発つ前にオリッサ州ムニグダにNGOニューホープ(New Hope Rural Leprosy Trust)のエリアザー・ローズさんを訪ね、本書でも紹介されている「P2ビレッジ」の1つを訪問している。その時にローズさんにも約束したことでもあるが、僕が今後インドの経済開発と先住民の問題に少しでも関わっていくとしたら、P2の会員になるのは1つの手段だろうと思っている(勿論、いずれはうちの子供達にインド・スタディツアーに参加する機会を与えたいとも思っているし…)。それに、僕はP2をインド事業を通じてしか見ていないが、元々P2といえばフィリピン事業の方が有名であり、僕も会員になることを考えるなら、P2のインド事業だけでなくフィリピン事業も国内での活動も知らなければいけない、それには今の僕の問題意識に立ってもう一度ペリーさんの著書を読んでみたらいいのではないかと思ったわけだ。

そういう眼で読み直したので、新しい発見もあった。専従スタッフを事務局に1人しか置いていない小さな団体だが、事業実施のための組織というよりも、他に仕事も収入源も持っている人が開いている時間を利用して自分たちにできることをやっているという意味では一種の市民運動だなと思う。「運動」だという点ではインドのオイスカ北インド総局がやっていることがこれに近いのかなと思う。こういう活動の仕方は今の僕にとっては理想である。

その上で、やはり本書についてはニューホープとの関連でブログ記事は書いてゆきたい―――。

1.先住民ドンゴリア・コンドについて
 ここで選択の話に戻るのだけれど、ここの人たちにとっては、人生に選択の幅などほとんどない。義務教育も機能していないから読み書きはできず、言葉が違うから村を出ることもほとんど考えられない。こんな集落でもカースト制の影響はあるらしく、職業を変えることもできない。大体、ほとんどの人は季節によって移動しながら狩猟と農耕を組み合わせた生活をしていくわけで、選択の幅どころの話ではない。(p.99)
その前の節で、ぺりーさんは「貧しいということは、選択肢が少ないということだ。とても貧しいということは、ほとんど何の選択肢もないということだ」(p.90)とも述べているが、とりわけここの先住民にどのような選択肢があるのか、訪ねて行って実際の生活を見たけれど全くイメージができなかったのは僕も同じだった。大都市に行けば経済活動になんとか関わって少しでもお金を稼ぎ、テレビを買うなりケータイを買うなりして生活を豊かにしていこうという方向性がはっきりしているような気がする。しかも大きな方向性はそうであってもそこに至る選択肢は結構あるように思う。ところが先住民の村に行ってみると、そういう方向性自体が適切なのかどうかも僕はよくわからなくなってしまった。いやがおうでも市場経済化の波には巻き込まれていって、その結果として村の周辺の森林がいきなり禿山と化すような現象が起き始めている。こうなると市場経済化に乗っかっていくこと自体が彼らにとっていいことなのかどうかも明言する自信を失う。自分から未来を掴み取っていくというイメージが全くなく、ただ大きな波に抗えないでいるようにしか見えないのである。

そうした中で、基礎教育や基礎保健をやっていこうとしたP2ビレッジでのアプローチは僕にはより現実的な選択だなと改めて思う。農業はどうかと聞かれても、基本的に彼らは農耕ではなく狩猟や採取で生計を維持しているため、あまり農業という概念もなさそうだった。

本書ではニューホープが導入している小口貯蓄制度についても紹介されている。
 各集落の信頼できる女性を、貯蓄責任者に任命する。責任者は、決められた日に村のセンターに青い木箱を置いて、個人の貯金を集める。貯金する女性のほとんどは文字が識別できないから、それぞれ違った色の袋を持っていて、それにお金を入れて箱に貯金するというシステムだ。責任者がそれを預かっておき、その集落担当のコミュニティ・オーガナイザーが来たときに渡す。そのお金をニュー・ホープが管理する、というシステムになっている。(p.151)
いわゆる「マイクロファイナンス」だ。しかし、そのやり方は僕が今まで見てきた中でも最も原始的なもので、最も多くのお金を貯めた人でも3年間で155ルピーだったとペリーさんは紹介している。貨幣経済が発達しておらず現金収入が元々少ない山岳地帯では貯蓄の概念も普及しにくいし、物々交換でやってきたからまとまったお金ができても使えるあてが限られているような気がする。

2.ニューホープについて
ペリーさんはニューホープというNGOについてやや複雑なコメントをしている。
 ニュー・ホープは、リーダーであるエリアザー・ローズのカリスマ性と明確な意志に支えられた優れた組織だが欠点もある。それは、ローズにとって変わるようなサブリーダーがいないことだ。(中略)サブリーダー的立場にあるはずのメンバーは、ローズの前では直立不動で、例の首を振りながらイエスと言うのを繰り返すばかりだ。ローズの指示は絶対で、すべての活動はトップダウンで成り立っている。「草の根援助運動」側は住民主体/住民参加型のプロジェクトにしようとさまざまなアプローチを繰り返し、ローズもそれに賛成しはするのだが、なかなか変化しない。ローズもまた、住民には何も決められない、と思っているふしがある。
 住民参加・ボトムダウンはNGOが本来的に備えている機能だと思うのだが、実際にはこういう例も多く、インドのNGOにはその傾向が特に強いようだ。(p.92)
ペリーさんのこの指摘は、確かに僕がローズさんを訪ねて行った時にも感じたことではある。いろいろなスタッフにこと細かく指示をするのに時間を費やし、僕がその間待たされるということが短い訪問期間の間に度々起きた。インドというのはNGOに限らずどのような組織であってもトップは末端で起きていることまでしっかり自分で把握しておかないと気が済まないという人が多いから、僕はこの点についてはそれほど違和感を感じないでいたのだが、見る人がみたらニューホープはローズに権限が集中し過ぎていると思われるのは間違いないだろう。お忙しい時期に訪ねた僕も悪かったわけで、僕の訪問なんぞにローズさんがフルアテンドする必要などないと僕には思えたが、彼は自分でちゃんと説明しないと気が済まなかったのだろう。

ただ、本書が執筆された当時と今で1つ大きく違う点は、ローズさんの長男ランジット君が大学を出て社会人になるところまで成長している点である。ローズさんはランジット君をニューホープの次世代のリーダーとして育てようとされているのではないかという気が僕にはした。

それと、このペリーさんの記述には気になる要素も含まれているように思う。それは、P2側の意向をニューホープに押し付けてはいないかという点だ。本書には書かれていないが、ニューホープは元々山間地の僻地農村でのハンセン病対策から活動をスタートさせた団体で、ムニグダに医療施設を持ち、農村巡回して発症者の早期発見に努め、治療が必要な患者はムニグダに連れて来て診療・入院サービスを行なってきた。そもそもムニグダ拠点にして周辺農村を巡回するための組織と実施体制になっていたわけだ。そこに「P2ビレッジ」という新たな活動が加わり、そのためにコミュニティ・オーガナイザーを現地に配置することになっていった。だから、先住民の村で住民と頻繁なコミュニケーションを行なうコミュニティ・オーガナイザーは、元々ニューホープが経験やノウハウを有していたわけではなく、P2の支援を受けるようになって初めて設けられた機能なのではないかと思われる。

元々ニューホープがハンセン病対策を中心課題に据えて活動してきた団体であるという点がペリーさんの著書では抜け落ちている。ローズさんの頭の中には「ハンセン病対策の活動の方を何とかせねば」という問題意識があったとしても、援助する側(ドナー)がハンセン病についてプライオリティを置いていなければ、趣旨を曲げてもドナーのプライオリティに合わせて活動内容を修正するような対応を援助される側は取らざるを得ないのかもしれない。そういう目でニューホープの活動は見守っていってあげないといけないのではないかとも僕には思える。
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