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南アジアの手工芸と開発(3) [インド]

AreaStudiesVol10.jpg『地域研究』、Vol.10 No.2 (2010年3月31日発行)
京都大学地域研究統合情報センター
南アジアにおいて手工芸を研究対象とする研究者と、手工芸を媒体とした開発に携わる実務者の協働を通して、近年の経済発展に伴い、変動の激しい地域社会の今を読む。
特集2「南アジアの手工芸と開発」
松村恵里
「『カラムカリ・アーティスト』を名のる女性製作者の誕生」

pp.183-203


民博の学術機関誌に掲載されていた特集記事の収録論文の紹介シリーズ、第二弾から少し間が開いてしまったが、不定期でこれからも続けていきたいと思っています。

前2回はグジャラート州カッチ地方の刺繍を取り上げてきたが、今回取り上げる論文は南部アンドラ・プラデシュ州のさらに南部、タミルナドゥ州との州境に近い巡礼地シュリ・カラハスティ(Sri Kalahasti)で盛んな手描き模様染色布「カラムカリ(Kalamkari)」(下写真参照)に関するものである。

KalamkariArt2.jpg

カラムカリはペンを使って植物染料によって染色される布で、元々はテンプルクロス(寺院や神像の背景に掛けるための寺院奉納布)とされ、神・叙事詩をデザインモチーフとして描く壁面装飾布だった。しかし、こうした非実用的なテンプルクロスタイプの布から、実用的なドレスマテリアル等へと用途が広がり、デザインも神・叙事詩から鳥・草花をモチーフとするものへ、さらに装飾技法も伝統的なものから合理的なものへと変化し、全国的にも知られるようになっていく。

19世紀半ば以降シュリ・カラハスティ周辺で発展を見せたカラムカリは、その後20世紀前半に衰退期を迎える。しかし、1952年に全インド手工芸局が設立され、全国各地に手工芸を保存・伝承するための研修センターが設置される動きが強まると、カラムカリについても研修センター設立の可能性が検討され、結果、手描き技術が残っていたのがシュリ・カラハスティ周辺のみであったことから、1957年にカラムカリ研修センター(KTC)が設立された。KTCは1995年に閉鎖されたがその間約40年にわたって人材育成が行なわれ、卒業生の中からマスタークラフツマンも輩出されるようになった。言わば民間主導での技術保存・継承が行なわれる体制が出来上がったことがKTCの閉鎖に繋がっている。

しかhし、KTC閉鎖後、非実用的なテンプルクロスタイプの需要と製作者人口との需給関係が悪化し、実用布の需要を創出して需給を改善していく必要性が生じる。そこで起きた新たな動きが、2004年に中央政府が州政府を通じて始めたカラムカリ製作者に対する融資プロジェクト「カルナ・プロジェクト(Karuna Project)」と、1995年に設立され2008年以降カラムカリ製作者の育成・支援活動を本格化させたNGO「カラ・スルスティ(Kara Srusti)」である。

特に後者は、木工芸、カラムカリ、漆工芸を中心にデザイン開発を行ない、製品化を積極的に進めた団体で、カラムカリ部門においても、トレースによる木炭下描き、線描、彩色の訓練を3ヵ月行ない、証明書を発給した対象者をカラムカリ製作者として正式登録していった。女性支援が設立支援の目的ではなかった団体だが、家事と仕事を両立できる便利な職として多くの女性がカラ・スルスティの工房で訓練を受け、証明書を手にしてカラムカリ製作者となっていった。ここで育った製作者達が、ドレスマテリアルや実用的なインテリア用の布として、カラムカリの大量生産に貢献していったのだという。

KalamkariArt1.jpg

カラムカリに関する一般的知識としてはこの程度まででいいと思うが、この論文はさらにこのカラムカリ製作に携わる女性に注目し、この女性達の間技術習得度はかなり異なり、指導者から技術・表現に関する深い教授を受けておらず、単純で低い技術レベルしか持たない女性製作者がいる一方、「フリーハンドができる」「神が描ける」などの技術的な理由を持って、「カラムカリ・アーチスト」と自ら名乗る女性製作者も現れるようになってきたことを指摘している。
 1950年代、SKHT(シュリ・カラハスティ)のカラムカリにおける手工芸開発では、女性達はあくまでも男性に付随した、開発から取り残された存在であったといえる。しかし、徐々に女性たちの技術力の差がみられるようになり、女性製作者間にも差異化が生じ始め、男性製作者同様「カラムカリ・アーティスト」と自称する女性たちが生み出され、さらに政府の経済的テコ入れや、政府の後援を受けて手工芸開発計画に参加してきた任意団体のNGO化によって実用的カラムカリ布の製作・生産が進行したことで、「カラムカリ・アーティスト」を名のる女性製作者たちは多様化することとなった。
(中略)
 女性たちはカラムカリの技術を習得することによって、学歴なしには就業の道が望めなかった状況から解放されるなかで、男性が使用していた、技術や就業形態、経済的責任に関わりながら、帰属集団に捉われない「カラムカリ・アーティスト」という自己認識を身につけ、自身を表す言葉として使用するようになった。(p.199)
まあ学術的にはこのあたりが重要なのだろうが、それにしてもこれだけのことを主張するのに何度も何度も同じことを繰り返して述べられているような論文で、少し読みづらさを感じた。

こうした背景を少しでも知っていたら、インド土産としてベッドカバーとか枕カバーとかテーブルクロスとかを購入して持ち帰り、いろいろな方に蘊蓄を語っていられたのになとも思うのだが、帰国してしまった今となっては後の祭りだ。


Kendo5.jpg

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