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東村山市長の取組み [時事]

入所者と子どもたちとの交流が生まれる
ハンセン病療養所内の保育園を構想する東村山市長-渡部尚さん
 国立ハンセン病療養所・多磨全生園の所在地で、2007年から市長を務める。療養所入所者の間で、地域との共存を目指すハンセン病問題基本法の制定運動が高まったころ、全生園の自治会から保育園の誘致を打診された。
 「子どもを生み育てることが許されなかった入所者の皆さんと未来を担う子どもたちとの交流が生まれる。市内で200人以上に上る待機児童の解消にもつながる」。ぜひと思った。
 同法の第12条は、療養所の土地を自治体が利用できるとするが「地代」が障害となった。「当初の基準では、地代が1,000万円にもなり、保育園の経営が成り立たない」。市や自治会の働き掛けで、より低い額も提示されたが、一段の引き下げを国に訴える。
 全生園とのかかわりは、サラリーマンを経て市議となってから。「存在は知っていたが、それまで行ったことはなかった」。らい予防法の廃止など、人間の尊厳のために戦う入所者の力強さに感銘を受けた。
 全国にある国立療養所の所在市町がつくる連絡協議会の会長で、各園と自治体による将来構想づくりも見守る。東京都中野区生まれ。48歳。(中川克史)
8月1日(日)付東京新聞朝刊第3面の「この人」で紹介されていたこの記事。備忘録としてアップしておきます。「ハンセン病」とは何なのか、日本の政府と社会は患者や回復者、そして家族に対してどのような仕打ちをしてきたのか―――そんなことは今どきの大学生でも全く知らない。こういう交流が子供達にハンセン病について知るきっかけをもたらし、新しい未来を拓いていってくれるのだと期待し、東村山市長を応援したい気持ちである。

因みに今読んでいる民俗学者・宮本常一の著作の中には、ハンセン病に関する言及が所々に出てくる。「カッタイ病(やみ)」とか「レプラ」とか。江戸時代に使われていた前者はともかく、後者の方は比較的最近で、僕らの親の世代ぐらいまでは日本ではどこでも見られた病気だったのがわかる。それを完全隔離して社会から完全に断絶する政策を取ってしまった我々自身の愚行を省みるためにも、風化をさせてはいけないと強く思う。
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東村山市長 わたなべたかし

今日は。本日、友人から連絡を受け「サンチャイ☆ブログ」に私の記事があることを知りました。だいぶ時間は経過しましたが、取り上げていただき、有り難うございます。東村山市にある国立ハンセン病療養所・多磨全生園の保育園誘致運動はお蔭様で実現へ向け実を結びつつございます。その後、国がかなり地代を引き下げたことから、入所者自治会の皆さんとともに国の提案を受け入れました。11月には保育園予定地の整地がなされ、12月14日(火)には保育園を運営する事業者の公募を国が開始しました。一日も早く保育園が完成し、ハンセン病の施設にこどもたちの声が響くことを 期待しています。なお、ブログ記事についてはツイッター http://twitter.com/mayor_watanabe に記載させていただきました。   
by 東村山市長 わたなべたかし (2010-12-17 15:37) 

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