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『陽炎の旗』 [読書日記]

陽炎の旗 (新潮文庫)

陽炎の旗 (新潮文庫)

  • 作者: 北方 謙三
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1995/08
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
時は三代将軍・義満の治世。将軍の従弟にあたる剣の達人・来海頼冬は、血筋ゆえに刺客に追われる日々を送っていた。その前に現われた水軍の頭目父子。彼らは、南北の朝廷を超えて日本の「帝」たらんとする義満の野望を打ち砕くべく、玄界灘一帯で奇襲と抵抗に明け暮れていた。頼冬はそこに、歴史の光明を見出す。南北朝統一という夢を追った男たちの戦いを描く、『武王の門』続編。
Taiheiki.jpg久し振りに歴史物を読んでみることにした。僕は1990年代初頭の一時期、南北朝時代の歴史散策に入れ込んでいたことがあり、関東で言えば足利や鎌倉、入間、分倍河原、畿内で言えば吉野や金剛山、千早城址、赤坂城址、神戸湊川等を訪れたことがある。さらには、後南朝の時代になるが、北畠一族の反幕府運動の拠点となる三重の霧山城址や北畠神社にまで足を運んだことがある。殆どオタクの世界だ。丁度、NHK大河ドラマで『太平記』が放送されることが決まった直前の頃だったと思う。足利尊氏役の真田弘之さんがものすごくカッコ良かった。(ついでに言えば僕の母の実家に近いところに、観応の擾乱の際に南朝方の京都奪回から逃れて北朝・後光厳天皇が一時避難していた小島御所というのがあったが、そちらの方には未だ行ったことがない。)

『太平記』の登場人物は、後醍醐天皇、日野俊基、護良親王、足利尊氏・直義兄弟、高師直・師泰兄弟、佐々木道誉、南朝方の楠木正成、新田義貞、北畠親房等等、どのキャラを取っても魅力的な人物が多い。公家が鎧を着て戦闘参加したりするシーンもあるかと思えば、昔ながらに公家が帝の威厳を以て武士を負け戦へと駆り立てるシーンもある。言わば古い価値観と新しい価値観がもろにぶつかり合ったダイナミックな時代だったと言うことができる。そして、元寇をきっかけに外の世界に目が向き始めた当時の日本人も、単に外からの脅威として大陸を見ていただけではなく、交易を通じて利をなす、言わば所領を中心としたストック系の考え方からフロー系の考え方へと転換が図られつつあった時代でもあった。一言で言ってしまえば面白い時代だ。

Yoshino.jpgそんな南北朝時代の人物の中でも、僕が興味があった人物が何人かいる。この頃の出来事については史料が意外と少なく、後世の小説家が比較的自由な状況設定を考えやすかったからなのだろう、童門冬二や北方謙三、邦光史郎等、この時代を素材にして歴史小説を書いた作家は多い。お陰で、北畠顕家のことは北方謙三の『破軍の星』で、懐良親王のことは同じく北方謙三著『武王の門』で、佐々木道誉のことは童門冬二著『ばさらの群れ』で、楠木正行や楠木正儀のことは第2回直木賞受賞の鷲尾雨工著『吉野朝太平記』(右写真)を読んでイメージを膨らませた。特にこの『吉野朝太平記』全5巻は非常に面白い。第1巻は楠木正行と弁内侍の叶わぬ恋の物語、第2巻以降は楠木正儀の北朝・幕府撹乱工作の痛快さに心を躍らせて一気に読むことができる。

元々鷲尾雨工が本作品で直木賞を受賞したのは昭和10年(1935年)のことで、僕が持っている時代小説文庫(1990年)も既に絶版になっており、こういう作品を蔵書として持っていることで価値が出て来る典型的な事例となっている。

さて、そんな中で未だ言及してないけど気になる人物の1人に足利直冬がいる。足利尊氏が白拍子に手を出して孕ませた子供で、尊氏から疎んじられ、不憫に思った弟・直義が養子として迎え入れた。そうなると尊氏・直義兄弟の関係が悪化して観応の擾乱に発展していくと、直冬を担いで尊氏嫡男の足利義詮に対抗しようという勢力がどうしても出てくる。直冬の人生は、本人が望む望まないに関わらず、その血が故に時代に翻弄される宿命を帯びていた。本日紹介する『陽炎の旗』の主人公の1人は、その直冬の嫡子で来海家に養子に出されて育った足利頼冬。彼もまた、時の室町幕府3代将軍・足利義満に疎んじられ、度々刺客を放たれる。それを撃退するうちに剣の道に目覚めるという設定。

もう1人の主人公は、征西将軍・懐良親王の子、都竹月王丸と嫡男・竜王丸。一時とはいえ九州平定を成し遂げた南朝方のエースだった懐良親王は、後ろ盾だった菊池武光の病死とともに勢力が衰退し、九州を捨ててより広い世界を目指す――というところで『武王の門』は終わっていたと思う。『陽炎の旗』はその続編。既に高麗を拠点にして南シナ海での交易に乗り出していた都竹父子にとって、気掛かりなのは日本の政治リスク。幕府は強大化していても朝廷が2つに割れている状況では国として安定せず、安心して日本との交易が行なえない。ということで、策を巡らせつつ足利義満を窮地に陥れ、朝廷を排して日本国王にならんとする義満の夢を諦めさせ、南北朝合一へと向かわせる。

「ただでさえ、50年以上の争乱を続けているのでしょう、この国は。武士はそれでよくとも、民は滅びます。」(p.83)
――なんだか、今のアフガニスタンとかイラク、レバノンあたりのことにも当てはまりそうな話ですね。

頼冬にしても都竹父子にしても、ついでに言えば頼冬と戦場で雌雄を決する斯波家家臣・大野武峰にしても、本当に存在したのかどうかすらわからない人物であるが、それが南北朝末期という舞台に立たせられると、本当にいたかのように生き生きとした活躍をする。そうしたダイナミズムがこの時代にはあったのだ。北方謙三といったらハードボイルド小説で有名なのだが、こういう人が歴史小説を書くと、これもまたハードボイルドの匂いが漂う。

そんな作品ですが、久々に読んでみて気になったことが少しある。第1に、女性の扱われ方。ハードボイルドなのだし当時の時代背景を考えたら致し方ないのだろうが、女性は道具としてしか扱われてなかったのがよくわかる。第2に、なんとハンセン病患者のコロニーが登場する。そのコロニーの中に女・寿々を連れ込んで事に及んだ頼冬が、「私を好こうとするなら、生半可なことでは済まぬ。私と一緒に、宿運を背負う気があるかどうかだ」なんて言ってたくせに、最後は別の傀儡女・白丁を連れて海を渡る決意をするって、一体どんな話なのだと突っ込みを入れたくなったぞ!!「宿運」とやらを一緒に背負う覚悟をしている女を捨てて、あっちの方のテクニックが上手い別の女を連れて海を渡るって、そりゃハードボイルドが過ぎますぜ頼冬殿。
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