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『幼な子われらに生まれ』 [重松清]


幼な子われらに生まれ (幻冬舎文庫)

幼な子われらに生まれ (幻冬舎文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 1999/07
  • メディア: 文庫

内容(「BOOK」データベースより)
37歳の私は、二度目の妻とその連れ子の2人の娘とありふれた家庭を築く努力をしていた。しかし、妻の妊娠を契機に長女は露悪的な態度をとるようになり、『ほんとうのパパ』に会いたいと言う。私も、長女を前妻との娘と比べてしまい、今の家族に息苦しさを覚え、妻に子供を堕ろせと言ってしまう―。「家族」とは何かを問う感動の長篇小説。
今自宅で手元にある重松作品はこれでいったん射ち止めである。来月初旬に少し休暇をいただいてバンコクに行くので、伊勢丹に買物に行った際にはまた何冊か調達してきたいと思ってはいる。

新鮮な作品である。バツイチ同士の再婚を扱っているような重松作品には心当たりがない。主人公の「私」が暮らす家庭には見合いで再婚した奈苗と前夫との子である薫と恵理子、つまり、「私」と娘2人とは血が繋がっていない。それが、奈苗の妊娠をきっかけとしてこの家族の間のバランスが微妙に崩れ始める。血の繋がっていない2人の娘に血の繋がった新たな子供が加わった場合に、家族の絆は保たれるのかという疑問に答える1つの作品となっていると思う。

僕が昔米国に住んでいたj頃、ゲイのカップルが子供を認知することは「家族」と言えるのかという論争に接したことがある。今の米国なら十分にあり得る話だと思うが、理屈ではわかっていてもそんなのありなのかと納得できない自分もいた。今でも僕はこの質問に対してちゃんとした答えを準備しているわけではない。自分が本書の主人公「私」と同じ状況に置かれた場合に、主人公と同じように感じられるのか、同じような心の葛藤を経験するのかもよくわからない。

お薦めするのも微妙な作品でもある。主人公は、現実から逃避するようにファッションヘルスに通うようになる。ヘルス嬢とのやり取りのシーンが幾つかあるので、ちょっと子供にも読ませられないなと思う。でも、心の平静をかろうじてでも保つために「自分の聖域」を確保することはあってもいいとは思う。

この作品に重松作品としては比較的しっかりとしたクライマックス・シーンがある。奈苗の前夫に薫と会ってほしいと頼んで足元を見られた上に、前妻の携帯に電話を入れて沙織が出たため、前妻と連絡を取っていたことがバレてしまい、完全に心のコントロールを失ったシーンである。ここでも登場するのは職場ではなくてファッションヘルスであり、そこでヘルス嬢のアンジーと再会できたことによって心の平静を徐々に取り戻していく。

家族の絆というものは非常に脆く、ちょっとしたきっかけで簡単に壊れやすい。けれどもそれをなんとか乗り越えた時、絆はそれまでよりも少しだけ強固なものになっていくのではないかと思う。家族をやっていれば一生に何回かは崩壊するのではないかという危機も経験するかもしれない。なんとか乗り切りたいものだと思う。
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